なぜ異世界の住民はどいつもこいつも馬鹿でビキニアーマーを着ているのか
杉村まさゆきは異世界転生で得たスキル「全知全能」を封印し、一般庶民としての人生を選んだ。
結婚し、定年まで勤め上げ、子供と孫が生まれ、その生涯を全うした。
しかしスキル「全知全能」取得時のショック死を拒否したまさゆきは、死そのものに拒否される存在となっていた。
死を得るためには、全知そのものへ自身の精神を押し上げなければならない。
精神拡張の旅路の第一歩として、まさゆきは魔王に転生した。
日本人として七十余年生きた彼にとって、異世界の常識は非常に不可解なものに見えた。
魔王就任後のまさゆきは、よく分からないまま魔力の測定だの何だのの業務を行った。
その工程のひとつひとつで部下の魔物たちはまさゆきを賞賛した。なんと強大な魔力だ、このスキルは一体どういうことだ、魔王様のお考えは深すぎる、自らコップに水を注がれるとは。一挙手一投足に賛辞を浴びることは、まさゆきにとって非常に居心地が悪かった。
廊下を歩くだけで讃えられた。最も早く会議の席に付いたというだけで賞賛された。
挙句の果てにはまさゆきが朝に起きたというだけで、部下たちは感動し、涙を流した。
まさゆきはレムレースと七輪を囲み、焼肉を食べている。どこかの時空の焼肉店から切り抜いてきたものだ。転生および魔王の就任祝いである。
ある種の通過儀礼を終えた魔王まさゆきは、上ミノを焼きながら言った。
「頭が変になりそうだ。俺は一体何だ?とにかく褒めて伸ばす教育を受けてる赤ちゃんか?」
「自身の努力を伴わない賛辞は転生者のスタンダードじゃよ。どこまでも都合のいい世界じゃからな」
まさゆきは娘が初めて自力で立ち上がった時、妻と一緒に褒めちぎったことを思い出していた。
あれは一歳くらいだったか、それから娘は得意気に何度も立ち上がり、その度に夫婦で拍手する。こちらがいい加減飽きても、子供は成功体験を繰り返して大人を見遣る。それを延々褒めるのは、親の義務であった。
ほど良く焼けた牛タンをレムレースの皿に取り分けながら、まさゆきは言った。
「赤ちゃんならともかく、大の大人がそんな目にあったら気持ちが悪いだろ。いくら都合がいいって言っても、出来て当然のことで気持ち良くなれるなら、それは心を病んでる奴じゃないか」
「うむ…まあこの異世界が一種病的な世界であるのは確かじゃ。しかしお前さんの元居た日本も大概じゃぞ。
ブラック企業に勤めていた頃を思い出してみよ。何をやってもけなされ怒鳴られる。似たようなもんではないか。向こうが正のブラック企業だとするなら、こっちは負のブラックじゃ」
「マイナス掛けるマイナスでプラスってことか。…ブラックの反対ってホワイトじゃ無かったんだな」
「しかしブラック企業か…ああ、思い出したよ。あんなに毎日怒られたのは人生であれっきりだな、何であんなところで働いていたんだ。フリーターでも何でも最低限の生活はできるんだから、身体や心を壊す前にさっさと辞めるべきだ。本当にどうかしてたよ」
「ふん。お前さんがそんなことを言えるのは、その人生を終えた立場じゃからであろう。
フリーターでも独立しても、後悔はするじゃろ。首をくくってもくくらんでも後悔があるのが人間じゃ」
「…確かにそうだね。軽率だったかも知れない。
そうだ、思い返せば俺は生きてる間、色んなものが不安でしょうがなかったんだ。
いきなり会社クビになったりとか…子供の寝顔を見て、このまま死んでしまったらどうしようとか、そんなしょうもないことばっかり考えてたな。でも取り返しの付かないようなことは、結局起こらなかった。このクソスキル以外は。
今この状況は不幸でも…俺の日本人としての一生は、幸運で、幸福だったんだな」
「はっはっは。お前さんはまだ幸福の内にいるのかも知れんのだ。ほれ、冷麺でも食うか?」
レムレースはメニュー表を差し出して言った。まさゆきは湧いて出てきた店員に抹茶アイスと烏龍茶を頼んだ。
実際、転生前の中間管理職の経験を生かした魔王まさゆきの手腕は、異世界の魔物を驚愕させた。
部下には報連相を徹底させた。現状を資料にまとめ、共有させた。位の低い魔物にも役職を与え、組織の動きを明確にした。兵站や流通や賞与の概念に異世界の魔物たちは度肝を抜かし、まさゆきの名を讃えた。
玉座に腰掛ける魔王まさゆきはぼやいた。
「前任の魔王たちは一体何をやっていたんだ。こんなの組織の基本中の基本だろ」
「弱肉強食が魔族の掟だからの。異世界における知的生命の中でも、割合ハッピーな脳みその持ち主どもじゃ」
「こんな城を建てる技術があるのに、会計帳簿の一つもないとかおかしいだろ…食べ物とか資材とか、どうやって仕入れてるんだ?」
魔族に囚われた奴隷のエルフがまさゆきの杯に酒を注ぐ。レムレースは紙パックのコーヒー牛乳を飲んでいる。
玉座の間に魔王直属の四天王、その内の三名がやって来た。
まさゆきは彼らの芝居掛かった物言いがものすごくコケにされているようで、あまり好きではない。
「報告いたします。四天王の一人、炎のイグニスが勇者にやられました」
「ククク…奴は我ら四天王の中でも一番の小物」
「こら!同僚に、しかもその上司に向かってそんな事言うんじゃない」
まさゆきが部下の失言をたしなめると、彼らは床に這いつくばった。
四天王のひとり、水のヴェルテクスが顔を上げて言った。
「敗走したイグニスの始末は我にお任せください」
青い鱗の肌を持つ、魚人族の戦士。得物の水神の槍で海龍を操る。水着のように布面積の少ない装いだ。水の抵抗を減らすと言った理由があるのだろうか。
「え、始末って…どうするの?」
「連れ帰って参りますよ。奴を棺桶に詰めて。フフ」
「ちょっと待ってよ、人手減らしたら駄目じゃん。仲間を殺すとか、冗談でも止めなよ?
それにそいつの仕事は誰が引き継ぐのさ」
「ハッ!我にお任せを。風の力によって炎の兵を御してご覧に入れましょう」
風のテュフォン。得物は竜巻の剣。竜に乗って戦うダークエルフの女戦士。ビキニのように被覆部の少ない鎧を身につけている。宙を飛ぶ以上、鎧の軽量化を図るのはわかる。
「いやいや、俺が言いたいのはそういうことじゃないんだよ。
ていうかそもそも、何かあったら事前に報告してって言ったよね?なんで報告より先に勇者と戦うんだよ…ほら、俺って一応君らのボスなんだから、責任取るの全部俺なんだよ?」
「ククク…奴の責任は我が取りましょう。勇者の首を取って参ります」
土のバスティアス。オーガ族の男で得物は大地の斧。ローブの下にはやはり男物のビキニアーマーを身につけている。
「だから、そう言うことじゃないんだってば。責任っていうのはさ…」
組織というものはただ人が十人百人集まったものじゃない。末端の人間を指先とし、組織の中枢にいる人間は頭脳となって彼らを指導する。指先が好き勝手に動き回ると頭脳に混乱を及ぼし、組織全体の不利益を招く。そうした事態を招かないよう、報連相と意志統一を図らなければならない…などなど。
まさゆきはかつて新入社員にした説教と同じものを、異世界の魔族たちへ懇々と語った。
「とにかく、俺は組織の頭として、君たちに毎日飯を食わせて、何かあったら保護しなきゃなんない立場なの。お願いだから、炎の人はちゃんと助けてあげて。君たちの体は、君たちだけのものじゃないんだ。
勇者くんにも人間たちにも、その場のノリで勝手に攻撃しないでよ、本当に」
「…魔王様の御心は海より深い。我には難解すぎる」
「ああ、なんという御慈悲でしょう…」
「ククク…」
四天王は仕事に戻って行った。
レムレースはソファーに寝そべり、携帯ゲームでモンスターの卵を割り続けている。魔王城の玉座の間にはあからさまに不釣り合いな存在であるが、まさゆきの部下がそれに触れることはない。恐れ多い魔王の御業のひとつと考えているのだろう。
「あいつら本当に戦うことしか頭にないのな…ここが中世ファンタジーっぽい世界なのは分かってるけど、なんでわざわざ偉い奴が最前線で斧とか剣を振り回すんだよ。それこそ現場の下っ端にやらせることだろ」
「マシンガンでも長距離弾道ミサイルでも衛星レーザーでも、何でもポンと作れるぞ。現代知識無双がしたければそう言え」
「それって知識とは何か違くない?いや、現代知識って、極端に言えばそういうことなのかな…」
「武器によって猿に知性が芽生えたとも言えるからのう。お前さんも映画2マルマルイチ観た事あるじゃろ?」
「マルキューみたいに言うね。たぶん観たけど、もう内容覚えてないよ…何十年前の映画だ」
仮にも知的生命体である魔族が、魔力だか戦闘力だかを基準とする、極めて原始的な組織を形成している。その頂点に近い者たちでさえ単なる戦闘狂で、責任感のかけらもない者たちであることが、まさゆきには奇妙に感じられた。
「例えばさ、力の強い兵隊を少数揃えるよりも、飛び道具の頭数を揃えた方が強いに決まってるでしょ。原始人は投げ槍、古代の戦争だって弓兵とか火薬で戦ったはずだ。現代の知識とか関係ないぞ、そんなの」
「前にも言ったが、異世界では因果関係が逆転しておるからのう。
敵に矢が当たらんことが決まっておるなら、百本千本射ようが同じことじゃ。そして当たらない理由が後からいくらでも付いてくる。幸運だの、神の加護だの、正義の味方だからだのとな。
アニメでも映画でも、銃弾の雨の中なぜか一発も当たらない主人公がおるじゃろ?あれと同じこと…というより、あれそのものじゃ」
「なんだそりゃ、チートか?いや、実際チートスキルがある世界なんだもんな。
…じゃあもし勝敗が決まっていたら、それは戦うだけ無駄なんじゃないの?」
「いや、結果が分かっておるのはあくまでワシらのように外側から観測できる者だけじゃ。
お前さん自身、まだ己の結末さえわからんじゃろう?全知を使えておらんからな。
戦ってる本人からしてみると"何故か矢が当たらない"ということしか分からんのじゃよ」
「…なるほど。訳わかんない理由で使い物にならなかったら、そりゃ弓矢がクソ武器扱いされるよな」
「まあ、だいたいこういう状況じゃと当たらんという傾向は別の異世界でも共通しておるな。犯行現場から逃げる怪盗とか、ワンマンアーミーの類にはまず当たらん」
「ああ…それは俺でも何となくわかるよ」
レムレースはモンスターの孵化作業を続けながら解説した。ゲーム機からは小さく軽快な音楽が鳴っている。
「この幸運と不運の偏り、いわば"非蓋然性"は、異世界ごとの恣意、性格のようなものを持っている。
望まれる結果に傾向があるのじゃ。弓矢が強い世界もあれば、女子供が強い世界もあるという風にな。
アメーバが人類以上の知性を得るとか、空気分子が勝手に固体化してしまう、という全くのナンセンスな事態はなり難い」
「漫画やアニメで言えば、作者の好みとか編集の都合ってところか?」
「そうじゃ。異世界では、その"非蓋然性"の理由でさえ後付けされるからの。被造物がそこにあるがために…適当な物理法則をでっち上げたり、その世界の神だとか宇宙の意志とか、創作者が登場するというわけじゃ。
まあこう言った大きな話は、お前さんの知覚が十分に拡大してからの方が良かろう。今のお前さんはこの異世界、ウィンドウリッカーズランドの魔王に過ぎんわけじゃからな」
レムレースはついに、約千分の一の確率で生まれる色違いのモンスターを孵化させた。
異世界の根本にあるという、結果と原因の因果関係の逆転。およびその"非蓋然性"。
魔王まさゆきが君臨するこの異世界は、ライトノベル的中世ファンタジーの世界だ。そこで繰り広げられる戦いは、泥臭くもっともらしい勝利より、華やかな逆転劇が優先される。その非蓋然的不合理性によって勝敗が決まる…と同時に、不合理な結果を招くために発展した戦いの文化が、飛び道具の抑止や、ビキニアーマーの装着に繋がるのだ。
彼ら異世界で暮らす者の視点では、勝った方がよりドラマチックであるとか、見映えがするといった要素が勝利に繋がる。慎重や計算高さよりも、慢心や蛮勇が美徳とされる。
レムレースの時空を超えた視点によると、あのふざけた四天王たちさえも"四天王"という結果から逆算して作られた存在なのだという。むろん彼ら自身は大真面目で、その生い立ちや本人の意志も実在している。まさゆきにとって彼らの振る舞いは滑稽に感じるが、その滑稽さの理由は彼ら自身には無い。
異世界という存在の根本が、非常識な意図によって運営されているのだ。
まさゆきは、不合理な結果が先にある世界を想像してみた。
全く勉強しなくても、試験に受かった理由が後から付いてくる世界。実は夢遊病の半覚醒で勉強していた、前の席の後頭部に答えが書いてあった、適当に書いたら全問正解だった。
「だんだん分かってきたよ、レムレースちゃん。
この異世界というものはつまり、都合の良い世界なんだ。だからそこに暮らす人間たちも、都合の良いように生きている。
腹が減ったらパンが落ちてるし、金がなければ金貨を拾うか盗めば良い。仮に捕まっても、また幸運か不運のコイン投げができるからね。
だから異世界の人間は、先の見通しやリスク管理の意識が異様に低い。楽観的というよりは…俺たちが当たり前に持っている合理性の概念が薄いんだな」
「うむ、中々鋭いのう。さすがは魔族で最も優秀と言われたデーモンの頭脳じゃな。
誰かにとっての都合の良さは、別の者にとっての都合の悪さでもある。
ここはつらく苦しい努力を重ねた人間が、たまたま持って生まれた才能に敗れてしまう世界じゃ。老舗の店がくだらん理由で潰れ、毎年どこぞの王が暗殺される。大人が子供に敗れる。
大番狂わせや大金星が日常なのじゃ。そのような世界では、必然的に才能が尊ばれ、切磋琢磨する者は減るであろう。
世代を経て計算が出来るようになっても、大元の原始的な精神構造は変わらん。自助努力よりも、いかに幸運を賜るかの作法に長ずるようになる。その最たる例が魔法やスキルというわけじゃな」
「道理でこのスキルとか魔法の類が癪に障るわけだよ。
要するに、拾った財布だ。それを臆面もなく使えるほど俺は恥知らずじゃない。
…しかしこの世界がそういう価値観なら、間違っているのは俺の方なんだろうな」
「そうじゃなあ。お前さんもこの世界の一員ではあるが…一方でこの世界を成り立ちごと蹴り飛ばすこともできる。お前さんが言う正誤なんぞ、所詮は相対的なものじゃ」
レムレースは無からテレビを取り出し、アニメを映した。日曜の朝に娘たちと見ていた女児向けアニメに似ている。このアニメの早送りとコマ送りを交えつつ、レムレースは説明した。
「学園登校初日に曲がり角でぶつかった男女が、何やかんやで悪の組織と戦い、やがて世界滅亡の危機と対決する。そんな話が現実に起こったらどうじゃ?
倒してもまた新たな敵、世界の危機がやって来て…男女どちらかの闇堕ちイベントでもあるかもしれんな。敵側が寝返ることもあろう。
しかし、この主役と敵役は一旦横に置こう」
「問題はモブじゃ。舞台を取り巻くその他大勢はどうじゃ?
この物語で言う所のモブは…社会人経験もないガキんちょどもに、生活基盤の行く末を握られている状態じゃ。それも何度も繰り返しな。
乳繰り合いしながら戦ってる悪の組織とガキどもが、街を破壊するわけじゃ。この際どちらが壊したなどとはどうでも良い。新築の家や新車、それどころか家族や自分の命までも、芝居の書き割りとして破壊されかねんわけじゃ。馬鹿馬鹿しくはならんか。
そんな世界でお前さんの言う責任の概念を理解し、それを自らに課すということは非常に難しかろう。
舞台装置に徹することでその未来を甘受することは、彼らなりの適応のひとつというわけじゃな」
アニメの画面は、覚醒した主人公に薙ぎ払われる悪の手先のシーンで止まっている。アニメの中ではほんのワンカットしか登場しない者たち。
「…あいつら四天王がド級の馬鹿なのにも理由があるんだな。これも異世界の原則から出来上がった文化の結晶ってわけだ」
「お前さんから見るとふざけた事象の諸々…部下どもの賞賛、スキルも魔法もビキニの三馬鹿も、あくまでその世界での合理性に基づいておるというわけじゃ。
こういった諸々は一見不条理ではあるが…実のところ、ワシもあまり好かん。
カフカのような不条理ものならば娯楽として好きじゃが、この異世界の不条理は、視点を変えると単なるご都合主義じゃからの。
しかし言っておくが、嫌いというのはそれを使わん理由にはならん。ワープロやマイコンのように便利なもんは適度に使っていかねば、いずれ老害扱いされてしまうぞ」
「マイコンって。例えが古いよ、レムレースちゃん。せめてノートパソコンでしょ」
しかしレムレースの言うことはもっともである、とまさゆきは思った。これがひとつのゲームであるならば、街や人に被害が出る前にクリアできるスキルをまさゆきは持っている。魔王軍という組織の運営維持におけるクリアとは何だろうか?
レムレースはまさゆきにクリア条件を教えた。
「この世界の人間たちを根絶やしにすることじゃよ」
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