メイドとルリオロン子爵紋章
各々の美味しい食事と楽しい談笑を楽しみながらデザートまで堪能したころ、国境から真っ直ぐこの街にクレアが到着したことやエストレミオンたちが明日も仕事であることを考慮して早めのお開き、とすることをエストレミオンは提案した。
こうしてクレアにとっては初めての外国での、エストレミオンとサーメットにとっては久方ぶりの、モルバルトとセネルダにとっては奇妙な食事会は早めにお開きとなった。
「ああ、そうだクレア。僕は明日の午前中は出かける用事があるけど、午後は空いているから、クレアも空けておいて」
「わかったわ。……あ、兄様。三日後に今日お世話になった冒険者の二人に街を案内してもらう予定なの。午後からだから、夕食は済ましてくるわね。……なにか問題あった?」
すでに食事のときに今日お世話になった冒険者の二人の話はしていたし、その時心配そうにしていたエストレミオンにモルバルトも一緒になって話してくれていたので二人がとてもいい人だったことは伝わっているはずだ。
だのにどうもエストレミオンは心配そうな顔をしている。
しかし実情はクレアの考えとは大きく異なっていた。
エストレミオン的には忌々しいと顔をしかめていただけなのだ。
今日出会ったばかりなのに、すでにクレアと遊ぶ約束を取り付けているのがエストレミオンは忌々しいのだ。自分もほぼ初対面のようなものなのに。
しばし逡巡したように黙ったエストレミオンは結局、クレアによく思われたい私欲がかった結果「問題ないよ、いくら安全と謳われててもクレアは僕らの姫なんだから気をつけてね」とクレアの部屋前で注意するに留める。
サーメットも頷いていたが、父や兄弟を含めクレアは心配性が多いなぁと思うばかりである。
家族のおやすみの挨拶を終えると、クレアは自分用だと言われた部屋に入った。
すでに中にはマーバラほか二人のメイドたちによって荷物はあらかた片付けられていた。
「マーバラ、ありがとう。湯浴みするわ」
クレアがそういえば、マーバラはすぐに部下であるメイド二人にお風呂上がりの水分補給やその準備に取り掛かせる。
「クレア様、のちほど二人の紹介をさせてくださいませ」と言われ、クレアが了承するとマーバラによって浴室に案内された。
一人でもクレアは入れるのだが、初日から自分でしてしまうとマーバラが困るだろうとマーバラに委ねた。マーバラが湯浴みの準備をすでに終えていたことにクレアは自室に入ってすぐ気がついたのだ。
「クレア様、この二人はクレア様がこちらの屋敷に滞在している間の身の回りの世話係でございます。17のマリーと12のシュウワンでございます」
「クレア様のお世話を仰せつかりました、マリーです。ファーフルに感謝を。……よろしくお願いいたします」
「ク、クレア様のお世話を仰せつかりました、シュ、シュウワンです…!フ、ファーフルに感謝を。……よろしくお願いいたしますっ」
マリーとシュウワンはクレアが椅子に座っているため正式な作法ではなく、中腰の簡易的な作法でクレアにやっと挨拶ができた。クレアは湯浴み後のケアが終わり、マーバラお手製の就寝前のお茶をいただく。
優しい声音でクレアの心をふんわりさせるマリー。癖のある髪なのか前髪がふわりとうねりを出しているが、それも相乗効果なのか聖母のように優しい雰囲気にしている。髪の毛を下ろしたらさぞかし美人であろう。
一方、まだまだ初々しさが残っているシュウワンは、肩くらいの長さの髪だからなのか下ろしており、前髪を額の上で一つのお団子を作っていた。その出ている額がが年相応の表情を隠さないため可愛らしい。
エストレミオンはどうやら専属もつけてくれたようだ。クレアはいたれつくせりで大変恐縮な気分である。
マーバラの説明によると、メイド長である自分が出来るだけクレアに付くように言われたがそうもいかない。そのためサーメットと相談し、この二人を専属とすることとしたようだ。
「うぅ…っ!エスティ兄様がごめんなさい」
「いいえ、とんでもございません。奥方様と籍を入れる前からクレア様をたいそう可愛がっていらっしゃったという話は家令であるサーメットだけでなく、この家の古い者は皆口を揃えて申しておりました。むしろ、クレア様が生まれる前からと伺ったこともあるくらいでございますよ」
マーバラはオホホと笑うが、クレア的にはそれはちょっと怖い。まさか生まれてもいない子どもの名前が決まっていて、しかもその子どもをすでに可愛がっていたなんてクレアからしたら変な人である。
まだエストレミオンと出会ったばかりの気分であるクレアは、いつかテオズミウルやエストレミオンから話を聞こうと胸の片隅に留めた。
「そうでございました、クレア様。この二人なんですが、クレア様のお世話だけでなくお掃除その他クレア様に関することはすべてマリーとシュウワンにお任せしております。ご要望がございましたらこの二人か、わたくし共にお申し付けくださいませ」
マーバラは「それでは失礼いたします」とクレアにおやすみの挨拶をすると、部屋を下がった。
まだお茶を飲んでいるクレアのそばで「明日はいかがいたしましょうか」とマリーに聞かれクレアが答えると、マリーはシュウワンに指示を出す。
「明日はとりあえず、父様に連絡を入れたいのだけど……」
「では、通信の間をお使いになられるとよろしいかと存じます」
「あるの?あれって、かなりの高額な魔道具でそこそこの魔力量を必要とするでしょう?」
「ここは商業都市ですよ、クレア様。大商会なら複数所持しているものですし、旦那様は領主代理でもございますから。エストレミオン様の指示で魔石は常に大量にご用意されておりますから、魔力量も問題ございません。商人は情報が命でございますよ、ふふ」
子爵家に通信の間があるなんてとても珍しいのだが、商人としての一面もあると言われれば納得である。
テオズミウルの屋敷に出入りする商人も、普段は注文書と同時に招待状を出すが、緊急を要するときや重要な情報だけを得たいときは通信の魔道具を使っていた気がする。
――あれ?そういえば…
「マリー」
「はい」
「我が家でもルリオロンの紋章を見たことがあるような気がするわ……」
植物の花草に囲まれた妖精が大きな卵を抱えているような紋章は、クレアの屋敷に出入りする商人が使っていた。
「恐らくですが、旦那様の傘下に入られている貴族か商人ではないかと存じます。ルリオロン子爵家の紋章は必ず妖精がモチーフとなります。そして、本家は卵ではなく満月を抱えているのです。今では世界中に妖精はおられますが、それは昔大昔、このルリオロン一帯は妖精で賑わっていたそうです。そして妖精が生まれるのは草花から。いつまでも愛されることを願って紋章にしたと聞き及んでおります。満月は、暗い夜を照らしてくださいます。そしてそれは道しるべ。……商人にとって暗い日もありましょう。だから妖精が抱える満月は必ず成功へと誘って下さる道しるべなのだそうです。妖精は幸せを運ぶとも言われておりますからね、ルリオロンの紋章に相応しいとわたしは存じますわ」
「妖精を使う家は他にないの?」
「ありません。このプロパエーゼ国において、妖精のモチーフを使用する貴族は本家にルリオロンを持つ者だけですわ。貴族は石楠花、商人には牡丹を必ず入れねばならないとされております」
エストレミオンは随分とこの国においてすごい人物だったようだ。
エストレミオンを知れば知るほど、クレアは良くわからないモヤモヤした後ろめたさのような感情が湧き上がっていく。
その気分を洗い流すかのように、マーバラの淹れてくれたお茶を飲んだ。ほのかに香る花の優しい甘さがクレアの荒れた心を少し清めた気がした。
なんとなくクレアが沈んだ気がしたマリーは、話題を変えることにした。
「クレア様、明日はエストレミオン様のお出かけですよね、お衣装いたしましょう?」
午後はエストレミオンからすでに聞いており外出になることも含めマリーが説明してくれた。気を使ってくれたようだ。
ありがたくクレアはそれに乗っかり、自分が持ってきた荷物の一部にお気に入りの衣装があることを思い出し、それを指定する。
「では、こちらのお衣装をお預かりしますね。明日のためにメンテナンスをしておきますわ」
笑顔で請け負うマリーにお礼を言ってシュウワンに託すと、「そろそろおやすみになられますか」とマリーが寝る支度をし始めた。
クレアはカップに入った最後の一口を煽って飲み、それをシュウワンが片付ける。布団に潜り込んだクレアにマリーが「ではクレア様、本日は失礼いたしますね」とおやすみの挨拶を残すとシュウワンも挨拶を残して二人は下がった。
色々知って疲れたクレアは道中のことを思い出していた。
騙すかたちにはなったものの、今のところ自分の計画通りうまくいったことにほくそ笑むと、夢の中へと眠りに落ちていった。
メイド・マリーが話してくれたルリオロン子爵家の紋章。
これはマリーが伝え聞いたお話となります。
マリー=現代の一般知識程度に思っておいてください。