第1章④
第1章④
ヴァルターたちが話し合いを設けた日の夕方、アッシュとアリサの二人は、王立国防アカデミーの学院長室に呼び出されていた。
役職柄、一般の生徒よりは訪れる機会が多くはあるが、それでもやはり緊張する。
二人が所属する執行部とは、学院の中で特に優秀な成績の生徒で構成された生徒たちによる自治組織である。学校の経営方針に対して、生徒を代表して提案をあげたりすることもある他、トラブルがあった際の調停役なども兼ねている。
実力者が集まっていることから、学院に寄せられた依頼のうち難易度が高いものなどは、学院側から執行部所属の生徒に限定して斡旋されることも多い。
おそらく今回もその一環で、件の水棲魔獣への詳細な調査依頼だろう、とあたりをつけつつ、アリサがドアをノックする。
「お入りなさい」
コンコン、と年代物の樫の木から削り出された重厚感のあるドアを鳴らすと、すぐに応えが返ってくる。
「「失礼いたします」」
二人が声を揃えてドアを開けると、来客用にいつも使用しているコーヒーの香りがほのかに香ってくる。どこか人を安心させるかのようなこの学院長室の匂いが、アリサは好きだった。
部屋に入ると、窓際に置かれた執務机と、部屋中の壁にかけられている様々な種類の勲章、見栄え良く飾られた儀礼用の剣や盾が目に入る。
普段は学院長が座っている執務机は空いており、その横のスペースに設置されている接客用のソファに、学院長エリファス・グレイシャールが座っていた。
手ずから淹れてくれたのか、テーブルの上にはアリサたちの分までコーヒーカップと簡単なお茶菓子が並んでおり、エリファス本人の穏やかな雰囲気もあってか、お茶会にでも呼ばれたかのような錯覚に陥る。
「二人とも、よう来てくれた。休暇中じゃというのに悪いのう……」
そんな二人に、エリファスが申し訳なさそうに眉尻を下げながら声をかける。
「いえいえ! 先生からお呼び立てとあらば、たとえデート中でもほっぽり出して来ますよ!」
「あなたにデートの予定が入ることはないから安心しなさい……」
在学している今だからこそ、教師と生徒という立場ではあるが、エリファスは往年の大魔導士であり、国の英雄の一人に数えられる人物だ。
アッシュはそんなエリファスに憧れているため、こうして呼ばれる度にテンションを上げて空回りするのは、執行部内でのいつもの風景だった。
「まぁ立ち話でするような話でもないのでの、こちらに来て座ってくれ。口に合うといいんじゃが……」
そんな英雄手ずから淹れてくれたコーヒーに口をつけつつ、二人はルーアンに迫っている魔獣被害についての詳細を聞く。
「……とまぁ、そういうわけでな。学園でも情報収集に協力することになった。もちろん、教師陣が率先して動くつもりじゃが、全容が見えんので執行部のメンバーにも頼みたいのじゃ。正直猫の手も借りたい状況でのう……」
生徒という立場を巻き込むことに抵抗があるのだろう、いつもより弱々しい、困ったような表情と顔でエリファスが頭を下げる。
「学院長先生、頭をあげてください。このような非常事態、執行部として、いいえ、アカデミーの生徒として、協力するのは当然のことですわ」
「そうですよ先生! それに俺たちは猫じゃない。ドラゴンの翼を借りるつもりでお任せください!」
午前中に港で話を聞いていた二人は、平野部の方でも被害が発生しているという事実に驚きつつも、執行部としての誇りと責任にかけて依頼を受けることを決めた。
「ちょうど今日の午前中、今お話しいただいた、被害があった漁船の件で漁師の方達に話を聞いてきたところだったんです」
「すでに漁船被害の件についての依頼は受けていますし、引き続き情報収集を行います! ……必要があれば魔物も討伐していいんですよね?」
ニヤッと言う効果音が聞こえそうな笑みを浮かべ、いたずら小僧のように目を輝かせるアッシュがそう問いかける。
執行部の中でもかなり血の気が多い部類の彼は、長期休暇中の運動不足を解消できる場ができたと、内心で喜んでいるようだ。
「ふむ……もちろんかまわん、というかお願いしたいくらいじゃが、今学院にいる執行部メンバーは君たちだけじゃろう? くれぐれも無理はせんようにな。 アリサ、アッシュの手綱は任せたぞ」
「わかりました。情報の収集に重きを置き、決して無理はしないように気をつけます。 他のメンバーも随時戻ってくると思いますので、私の方から今回の件に伝えて協力してもらいます」
このまま飛び出しそうなアッシュに苦笑いしつつ、エリファスとアリサはお互いに言葉を交わし頷きあった。
「君たちは引き続き、水棲魔獣の件に注力してくれるかのう。平野部の方は主に教師陣で対応することにしよう」
滝のような髭をいじりながらエリファスがそう決める。
「わかりました。何かわかりましたらご報告いたしますね」
「先生の期待に答えて見せます! うおおおお! 燃えてきたーーー!!」
温度感に差はあるが、尊敬する英雄からの依頼ということでやる気を出した二人は、早速調査に乗り出すのであった。