第1章③
第1章③
「皆、急な招集に答えてくれ感謝する。エリファス学院長も、お忙しい中ありがとうございます」
先ほどの喧騒からおよそ1時間後、作戦会議室に置かれた円卓へ着席した国防の要人たちの前で、重苦しい空気をなんとか抉じ開けるようにヴァルターが口を開いた。
「おやっさん、そんなにしょげた顔しないでくださいよ、起こっちまってることはしょうがない、それを今からどうしよう、ってのが大事なことじゃないですか」
そんな空気を読んでか、それとも素か、このような会議の場ではやや軽い調子で声が上がった。
「グレイ、貴様も将校になったのだからふさわしい振る舞いを身につけろ、といつも言っているだろう……」
出鼻をくじかれたヴァルターは、嫌な空気を払拭してくれるかのような発言に感謝しつつも、呆れたように言葉を返す。
海軍大将グレイ・ゼーマン。
若くして海軍のトップを張るなった名将だ。その言動の威厳のなさに反比例するような冷静、かつ的確な状況判断・指揮能力を買われ、数年前から歴代最年少将校として海軍の大将を務めている。
「ほっほっほ……しかしグレイ君の言う通りじゃ。幸いここは王都ルーアン。いかなる自体にも対処できるだけの戦力がある。そうじゃないかね?」
「エリファス学院長の仰る通りです。まぁ、グレイがお調子者なのは今に始まった事ではないですし……諦めてください。やんちゃ坊主がそのまま軍人になってしまったようなやつですから」
グレイを擁護(1名は多分にバカにしている要素もあったが)するかのように発言した男が二人。
一人は魔術師然とした紺のローブを身に纏い、凍結した滝を連想するかのような見ごとな口ひげを携えた老人である。
その髪も口ひげと同じく純白に染まっており、積み重ねてきた研鑽の日々の長さを連想させる。
王立国防アカデミーの学院長を務める大魔導士、エリファス・グレイシャール。
先の宮廷筆頭魔導師でもある彼は、現在は一線を退き後進の育成に当たっている。
そしてもう一人は、貴公子然とした正装に身を包み、ここが軍の施設でなければそのままお茶会でも始めそうな優雅な雰囲気を持つ壮年の男性だ。
空軍大将レイン・ドラッケ。
グレイよりも若干年上の軍人で、その優雅な物腰と端麗な容姿から、特に王都のお姉様方から絶大な人気を誇るナイスミドルである。
この世界の空軍とは、基本的には翼のある魔物を使役して乗りこなす、一流の調教師の集団である。
その中でもレインは、テイムが特に難しいとされる亜竜種の調教に成功し、その火力と継戦能力の高さから、国内最高戦力の呼び声も高い大軍人だ。
「あらあら、こんな状況だと言うのにみんな楽しそうねぇ。王都の未来も安泰ね?」
妖艶な笑みを浮かべながら、最後にそう呟いたのは陸軍大将のローゼ・ゾルダートだ。
この世界では女性の軍人は珍しくもないが、大将の座まで上り詰めたのは長い王国史の中でも彼女だけである。
その見た目からは想像もつかないが、戦場においては、常人には考えられないほどの戦闘センスでありとあらゆる武器兵器を使いこなす彼女は、『戦乙女』のあだ名で国内外に知られており、男女問わずアイドル視されている。
すらりと伸びた長身に、相手を挑発するかのような少しつり上がった目が特徴の美女である。軍服の上からでもわかる巨大な双丘は、戦闘の際に邪魔にはならないのだろうか。
ちなみに、海軍大将グレイよりも若く見える彼女の本当の年齢を知る者は、誰もいない。かつてはいたようだが、今は誰もいないそうだ。
触らぬ美魔女に祟りなしである。
ひとしきりグレイの幼稚さを笑い、緊張がほぐれてきた面々は、本題に取り掛かることにした。
「ことのあらましは先ほどアンナから説明した通りだ。ここ数週間、過去になかった規模で魔獣被害が発生している」
「しかも段々と王都に向かって被害が出てるってことでしたよね。確かに今までに聞いたことがねぇです。ローゼの姐さん、何か知りませんか?」
一番若手のグレイが率先してヴァルターに反応する。
「あら、なぜそこで私に話を振るのかしら、グレイ? 人生経験ならこの中で一番経験豊富でいらっしゃる導師にお伺いすれば良いのではなくて?」
目だけ全く笑っていないローゼが、ヴァルターをして背筋を凍らしめる威圧感とともにグレイに微笑みかける。
「いや、えっと……特に他意はないんですよ?えーと、その……あっ、そうだ! 一番被害が報告されている平野部は、主に陸軍所属の兵士が見回りをすることが多いですから、姐さんのところに一番情報があるのではないかなーっと、そう思っただけでして、ハイ!」
眠れる虎の尾を踏みかけたグレイが、冷や汗を垂らしながらなんとかそれっぽく言い訳をする。
「ふ〜ん、まぁ、そう言うことにしておいてあげましょうか。でも残念ながら、アンナちゃんがまとめてくれた情報以上のことはまだわかっていないわね……導師、学院の方ではいかがですか?」
「学院の方では、大多数の生徒がまだ長期休暇中の帰省から帰ってきておらぬのでな……必然的に対応している依頼案件も少なく、正直まだまだ状況がつかめていないのじゃよ。アンナさんからいただいた資料をみて初めて、状況の深刻さに気がついた、と言うレベルじゃ、面目無い」
一番の年長者で、参加者全員から敬意を払われているエリファスは、誰に対しても丁寧な対応を心がけている人格者だ。
「空軍の見回りではまだあまり目立った変化は見られません。対魔結界は地上よりも対空の方が強力にかけてありますから、その影響ではないでしょうか」
レインが資料に改めて目を落としながら空からの見回り状況を伝える。
「海の方は今まで被害が出ていなかったんですが、今日になって初めて漁船が壊されたそうで……漁師連中からの話によると、かなり大型の水棲魔獣が何体か群で集まってきているらしいですぜ」
「うーむ……せっかく集まってもらったが、特に新しい発見はないな。さて、どうしたものか……」
グレイが今朝発生した港での事件について改めて共有し、発言が一巡したところで、ヴァルターは再度頭を抱えることとなった。
「ヴァルター大臣よ。ここはひとつ、ここに集まっているそれぞれの組織が今まで以上に見回りと情報収集を強化し、お互いに都度共有しながら分析を進めるしかないと思うがのう?」
「……現状ではそれしかないですな」
エリファスからの助言を聞き入れ、まずは情報取集を目下の目的と定め、ヴァルターは各軍のトップに指令を下す。
「グレイ! レイン! ローゼ! 聞いての通りだ。今まで以上に警戒を強め、何か異変があれば都度報告。 魔物は主に陸と海からの報告が多いため、空軍は空の見回りは平時通りに行いつつ、陸軍がカバーしきれない山間部を中心に警戒を強めろ!」
「「「アイ・サー」」」
各軍の大将は一様に立ち上がり、背筋を伸ばして返答を返す。
その様子を見守っていたエリファスも、労うように優しくヴァルターに声をかける。
「学院側でも警戒を強めよう。教師陣との連携はもちろん、一部の優秀な生徒たちにも声をかけて、何かあれば知らせるようにお願いしようと思うとるよ。新学期までまでひと月を切っておるし、帰省中の生徒たちも徐々に戻ってくるだろう」
「エリファス学院長、お心遣い、感謝いたします。本来であれば学生の力を借りずとも、と言いたいところですが、まだ全容が見えていないため、人手は多いほど助かります。特に、学院執行部の生徒たちであれば戦力としても申し分ない」
有事の際にはいつも先達としてアドバイスを送ってくれ、学院という立場からいつも自分を支えてくれる大魔導士の姿に、胸を震わせながら頭を下げるヴァルター。
「ほっほっほ。天下の英雄ブライアン・ヴァルターにそう言われれば、生徒たちもやる気が出ると言うものです。執行部の生徒も一部しか王都におりませんが、場合によっては他の生徒でもそれなりのことはできるでしょう。何かあったらすぐにお伝えいたしますぞ」
未曾有の事態に対しても平常心を失わず、そのいつも通りの堂々としたエリファスの姿は、見るものにも安心感を与える。
そんな歴戦の大魔導士の姿に、ヴァルター以下3名の軍幹部は、今の時代の国防を担うのは自分たちなのだ、という責任と誇りを改めて確認したのだった。
こうして、各組織のトップたちは王国に迫る異常事態に向けて動き出した。