プロローグ
あんたと結婚することなんて少しも期待してないから。
沙織は苛立ちを美しい微笑みで完璧に隠しつつ彼を見つめ返した。
婚活アプリとかいう新たな出会い系で知り合った何人目かの男を前にして、何をやってるんだろうと疑問が湧く。
ユウと名乗った彼についての情報のうち信頼できるのは28歳という年齢と性別だけだ。
アプリからメッセージを送る際必ず顔写真付きの身分証の提示をアプリ側が要求するからである。
ユウは落ち着かない様子でチラチラと目線を泳がせながら、新卒で入った地方銀行でずっと働いていること、最近友達が皆結婚をしていき自分も遊び疲れて身を固めたいと思っていることなどを辿々しく話している。
沙織はそうなんだ、と適当に相槌を打ちつつ、相手の着ているシャツの襟が不自然にピンとしていることや、今一決まっていないワックスをつけた髪先を哀れに思った。
多少暗くオシャレな感じではあるものの、チェーン店特有の無駄に元気で馴れ馴れしい店員の掛け声で賑わう居酒屋のカウンター席で、今日の会計を相手が持ってくれたところでこれ以上サービスできないな、と開始5分経たないうちに彼女は結論付けていた。
遊び疲れたなんて言ってはいるが彼が女の扱いに慣れていないことは明白だった。
本来であれば彼のような真面目に働いているだけの冴えない男が、沙織みたいなかわいく若い女と二人で飲むには、セット料金や同伴料がかかるはずであり、彼女は食事代はもとより高い時給を受け取るはずである。
時給も発生しないのに、笑顔を振りまいて少ない彼の魅力点を褒め上げるのは馬鹿馬鹿しいわ。
ユウは相変わらず目線も定まらぬまま、聞いてもいない家族構成や実家が広島にあることなどに話を移していた。沙織はふーん、へー、と短文にもならぬ生返事に切り替えながら、「30分後に迎えに来て」と誰に打とうかと思案に耽ることで、何度目かの時間の無駄に辟易する気持ちを何とか慰めようとしている。そんな自分の情けなさと馬鹿馬鹿しさに、沙織は高校で習った短歌の一節を思い出していた。
---例えば君
こんな風にふと思い浮かぶほど真面目に授業を受けていた自分が、今こうしていることが不思議に思える。
例えば君、そう、その君はどこにいるのだろう。少なくとも今目の前にいるつまらない男に期待するのは無駄だろう。
沙織は切実に願った。君を見つけたい。君に見つけだしてほしい。王子様を待つような気持ちというより、王子様を狩りに行くような差し迫った気持ちだ。
例えば君
がさっと落ち葉すくふように
私をさらっていってはくれぬか
でもやっぱり、さらっていってほしい。
沙織の手の中にあるスマートフォンには入っていない、まだ見ぬ君が颯爽と自分を連れ出してくれる夢をまだ捨てられないでいる。沙織は馬鹿だなと呟いて思わず薄く笑った。ツンとした哀しみに酔いが回りそうになる。