9話
豊かな田園の並ぶ村々を過ぎると石造りの無骨な壁が姿を現す。
ひびが入り蔦が絡まる壁面は長い年月を感じさせる。
その堅牢な佇まいはまるで要塞のような、強い拒絶感を感じさせる。
南側の関所を抜け両脇に出店の立ち並ぶ大通りに出ると平日にも関わらず祭りのような活気に溢れている。
大通りを馬車に揺られつつ進むティファニーとカーネ。
ティファニーはいつもの寝間着では無く、深い蒼のドレスを着ている。
カーネもまた、黒に赤のラインの入った軍服の様な服を着て、膝立ちで外を眺めている。
車内には異様な空気が流れていた。
ティファニーから敵地に向かう軍人の様にピリピリとした雰囲気が漂っているにも関わらず、カーネはそんな事に気付かないのか目をキラキラさせて外を見ている。
何時もならそんなカーネの様子に和みそうなものだが、今日に限っては違うようだ。
馬車が大きく揺れる度に過剰に反応し車窓から辺りを見回すティファニー。
何時も楽しげに引き伸ばされている唇も今は固く真一文字に結ばれている。
暫く馬車に揺られていると大通りの喧騒はなりを潜め、正面にティファニー邸の比ではない程の大きさの館が姿を現す。
この館こそがティファニーの実家、フランジット本家である。
馬車が停り、先程までとは全く違う鋭利な表情をしたカーネが降りる。
左手には雅桜が握られている。
カーネはティファニーの手を引きつつも辺りを警戒するが曲者どころか出迎えの者すら来ないことに若干の苛立ちを覚える。
ティファニーは「いつものことね」と、肩をすくめると先を急ぐように歩を進めた。
正門は開いており見張りの兵もこちらをチラリと見るだけで頭を下げることもしない。それどころかあからさまに殺気まで向けてくる者もいる。
そんな兵士達の剥き出しの敵意が真っ直ぐに向けられ、カーネの機嫌が頗る付きで悪くなる。
眉間に皺を寄せ歯を剥いて兵士達を睨むカーネは今にも抜刀しそうな勢いで唸っている。
兵士達もカーネの殺気に当てられ、抜剣し緊張した空気が流れ始める。
ティファニーは困ったように笑うと雅桜を握り、カタカタと音を立てているカーネの左手に自分の左手を重ね後ろから抱き締めるように包み込みカーネの頭を撫でる。
カーネはティファニーの甘い匂いと撫でられる気持ち良さによって緩みそうになる顔を何とか維持しようと渋面を作り続けようとするが結局表情をフニャフニャに崩しティファニーに甘え始める。
どうやら今すぐ惨殺劇が始まらずに済んだようだ。
兵士達も呆れたのか和んだのか剣をしまい元の持ち場へ戻って行った。
充分カーネを堪能…もとい、落ち着かせたティファニーは、改めてフランジット本家の玄関に立ち扉を叩く。
ティファニーの左手はカーネの右手がしっかりと繋がれている。
少しの間の後、扉が開かれ顔をしかめたランプが姿を現す。
「…これはこれは…妹様、お早いお着きで」
ランプはすぐ傍にいるカーネを見て顔を引きつらせるが、すぐに向き直り口角を引き下げながら挨拶をする。
ティファニーはいつもの如く軽く会釈をする。
「それはどうも、お父様のところへ案内してくれる?」
ランプは返事を返すことも無く踵を返して館の奥へ歩いていく。
ティファニー達はランプの後に続いて歩き出す。
煌びやかな廊下を暫く進むと両開きの扉の前でランプがクルリと振り返り歩を止める。
「この先に旦那様がおります。先日申し上げた通り旦那様は大変ご立腹です。覚悟して行くことですな。」
ランプは渋面を崩さずティファニーを睨みつける。睨まれたティファニーはフッと表情を崩すと、
「いいからどきなさい。」
と言って、ヒラヒラと手を振る。
ランプは何か言いたげに口を開きかけるがため息と共に口を閉じると何処かへ歩いて行った。
ティファニーは満足気にカーネに微笑みかけると表情を引き締めノックもせずに扉を開いた。
開かれた扉の先でまず目に付いたのは豪勢な料理の並べられた机だった。
いったいどこに通されたのかと思えばまさか晩餐の席だったとは
ティファニーは多少面食らったものの、表情には一切出さずに席に着く人々へと目を向ける。
縦長の机に向かう人間は全部で三人、入ってすぐ右側の席に座っていたのはどう足掻いても
貴族には見えない野卑な様相の青年だ。
顔は悪くないものの薄汚れたインナーの上から軽装鎧を装着し長さの違う剣を二本帯剣している上に、青年のまとう殺伐とした雰囲気のせいか野盗のような印象が強く、自然と不快に感じてしまう。
食える時に出来るだけ突っ込んどけとばかりに料理を貪る様子は正に野良犬そのものだ。
そして、青年の向かい奥に座っているのは、容姿、性別、纏う雰囲気、全てが真逆の女だ。
グレイシア・フランジット
ティファニーと同じ金髪碧眼だが、薄く細められた目と真一文字に閉じられた口元が、銀縁の眼鏡と合わさり余計に冷たい空気を醸し出している。
上座の誕生日席にはティファニーの父親であるガイル・フランジットが渋面のまま瞑目している。
どうやら、ランプが言っていた通り機嫌が悪いようだ。
ティファニーは居住まいを正しガイルの正面に座り視線を向ける。
ティファニーの視線に気づいたのかガイルはゆっくりと目を開く。
その目には悲しいような憤っているような複雑な目をしていた。
ティファニーはそのことを疑問に思いながらも静かにガイルの言葉を待つ。
しばらくの間青年の食器を叩く音が響く。
すると、不意にガイルが視線を落とし深く深くため息をついた。
「ティファニー。何故私がお前を呼んだのか…分かるか?」
てっきり怒声が飛んでくるものと思っていたティファニーは軽く拍子抜けした。
それと同時に何故、という疑問も湧いてくる。
「いいえ、お父様。存じませんが?」
ガイルは小さく「そうか…」と、一言呟くとまたため息をつく。
以前会ったのは半年前だった筈だが、ティファニーはひどくガイルが老けたように感じた。
そこでグレイシアがガイルの言葉を続けさせる為か、ひとつ咳をする。
ガイルはひどく疲れた様子でグレイシアを見遣ると、ため息を吐く。
「ああ、分かってるよグレイシア。」
ガイルはティファニーに向き直り、また悲しげに眉を寄せる。
「最近、なにか大きな買い物をしたそうだな。」
ティファニーはチラリとカーネを見ると、「えぇ」と答える。
「やはり〝 それ〟か。」
ガイルはあからさまに嫌そうな顔をする。
「ティファニー、それは何の目的で購入したのだ?」
「何の目的?私は普通に愛玩用として買った迄ですが?」
一切のよどみもなく言い切るティファニーだったがガイルの表情は晴れることなく、静かに瞑目し首をふっている。
「調べはついておる…嘘は吐かずともよい」
ガイルの言葉にだんだんとティファニーの表情に困惑の色が強くなってくる。
いったい父は何を知ったというのか、まだ嘘は吐いていない筈なのに、何を根拠に嘘と断じるのか理解できない。
ティファニーの様子に何か勘違いしたのかガイルは一層悲しげに目元を覆うとチラリとグレイシアに視線を向ける。
グレイシアは神妙な顔で頷くとティファニーに向き直る。
「ティファ、貴女はお父様を亡き者にしようとその凶悪な化物を買ったのでしょう?」
ティファニーの目がスッと細められる。
グレイシアはしたり顔でこちらを睥睨している。
「お姉様?ご冗談が過ぎるようですけど…」
「冗談ですって?この後に及んでまだしらばっくれるつもり?」
ティファニーは眉間の皺を揉みほぐすように指を当て、グレイシアは勝ち誇った笑みを浮かべている。
「大体、何の根拠があってそんなことを…」
「グライアス、アネット」
グレイシアが呟いた瞬間、一瞬だけティファニーの表情が引き攣る。
「知らないとは言わせないわよ?他にも冒険者を四名を死亡させた上に一名を瀕死まで追い込んでいるわね?」
ずっと静かに佇んでいたカーネは閉じていた両目を薄く開きグレイシアを見る。
内心、カーネは苛ついていた。
薄汚い格好をした男もそうだが、何よりガイルやグレイシアの態度が許せなかったのだ。
余りにも軽く見られている事実に本人であるティファニー以上に腹を立てていた。
ティファニーは焦っていた。
何にか、それは背後から漏れ始めたカーネの殺気に、だ。
上級の冒険者、或いは戦闘を生業とする者にしか分からないほど薄い殺気だが、あの青年、薄汚い格好をした青年は気付いたようで食事の手を止めずにじっとカーネを見ている。
カーネは気付いていない。
青年に見られている事も殺気が漏れ始めている事も。
「それが何か問題でも?この子に危険性がある事が証拠だとでも?」
だから、話を続ける必要がある。カーネが動くよりも先に、あの青年が動き出すよりも先に……。
「だとしたら随分と杜撰ね、そんなのは可能性の話じゃない。もしかしたらの話で裁かれてちゃ世界から人間が消えるわよ?」
ティファニーは呆れたような表情でわざとらしく肩を竦めて見せるが、グレイシアは中指で眼鏡を押し上げる。
「問題はそこではありません。確かにそれ程の戦力を持っているというのもありますが重要なのはグライアスを殺した事です」
「………どういうことかしら?」
グレイシアは不敵な笑みを浮かべニヤリと笑う。
「彼は戦術担当の教師でしたね?」
「ええ、それが何だって…」
「なぜ彼は殺されたのですか?いえ、言い方が良くありませんね、何故その化物はグライアスを殺したのですか?」
「それは……」
「彼と模擬戦をしているうち、自分を制御しきれなくなり殺害した、そうですね?」
「………。」
「そんな危険な怪物を何故いつまでも所持しているのですか?またいつ暴れ出すか分からないのに何故近くに置くのですか?」
「言ったでしょ。愛玩用だと」
「信じられるとでも?」
「信じるも何もそれが事実よ」
「貴女、時限爆弾を飼っていると言ってるようなものですよ?」
「この子は爆弾じゃない!」
「同じものでしょう?」
「違うっ!私はこの子をっ!」
「もうよい!!」
目を覆っていたガイルは悲痛さの滲む声で姉妹の喧嘩を遮る。
「もうよい、やめてくれ、父の前で争うな。私はそんなものが見たくて呼んだのではないわ。」
食堂にガイルの深い溜息が響く。
「ティファニー、私は確かにお前にとって良い父では無かったのかもしれん…」
ティファニーはすぐに「違う」と否定しようとするがガイルは手のひらを見せることで押し止める。
「良いのだ。分かっている。お前の思う幸せが私に理解できないだけなのだろう。今までお前にしてきたことを考えれば、嫌われても、亡き者にしようと思われても仕方ないのかも知れん」
ガイルは一度言葉を切ると実に苦しそうに「しかし」と続ける。
「お前は違うと言う。そんな事はしない、と…私は分からない、お前が何を考え、何を成そうというのかが、だ。」
悲しげに伏せられていた瞳がゆっくりと持ち上げられていく。
どこか虚ろで怯えたような瞳。
「だからこれは仕方の無いことなんだ。私は領主の座をお前に渡すつもりは無いが、その為にお前を殺すなど耐えられんのだ。臆病な私を恨んでも構わん、だから大人しく従っておくれ」
ガイルがパチンと指を鳴らすと奥の扉から白杖を持ったローブの男と黒い首輪を持った兵士が入ってくる。
ティファニーの後からもフランジット家に仕える兵士達がぞろぞろと入り、ティファニーとカーネを取り囲む。
カーネは姿勢を低くしいつでも抜けるように体制を整える。
ティファニーは未だに立ち上がらずにガイルをじっと見つめていた。
「お父様、どうなさるつもりですか?」
「ティファニー、分かってくれ。これは正しい事だ、私がお前を愛している事を忘れないでくれ」
ガイルは虚ろな目のまま悲しげに微笑むと踵を返し部屋を出て行ってしまう。
あとに残ったのは、いやらしい笑みを浮かべるグレイシアと剣呑な視線を向ける兵士達だけだった。




