6話
『この子は危険です!近くに置いておくべきではない!!』
『やっと授かった子供らしいのに……可哀想』
『あぁ、どうしよう。私…私……ごめんなさい』
「……やめて」
『何故こんな子を産んだの!こんなっ……!』
『母さん!やめてくれ!……大丈夫、君のせいではないよ』
『ねぇ、私達どこで間違えてしまったのかしら』
「……やめて」
『もう耐えられない!!この子は私達の手には負えないわ!』
『いい加減にしないか!例えどんな子であろうと神様に授かった大切な子だろ!?』
「……たすけて」
『それなら私は神様を呪うわ!何故神様はこんな試練をお与えになるのって!』
『……もうこの子を愛せる余地は
ないのかい?』
「……いやだ、いやだ」
『もう無理よ……私は、限界』
『そうか………。』
『だって!だって……この子は…この子は!』
「ききたくない!…いやだよ」
『 化け物じゃない… 』
「うああああああ!」
寝台から跳ね返る様にカーネは飛び起きる。
額は汗でぐっしょりと濡れ心臓は全力疾走した後のように暴れている。
「はぁ……はぁ………」
「随分とうなされていたわねぇ、大丈夫?」
声をかけられると思っていなかった、というより自分以外の人間がいると思っていなかったカーネは過剰な程肩を跳ねあげる。
「まったく、跳ね返ったり跳ね上がったり忙しい子ねぇ」
柔らかい感触と甘い匂いに包まれて初めてカーネは声の正体がティファニーだと気付く。
「ティ、ティファ様でしたか、驚きましたよもう」
ティファニーは緩くカーネを抱きしめ、押し倒す。
「ではカーネ。目を覚ましたようなので聞くけど、先程の騒ぎは一体なんだったの?」
体勢は別としてティファニーがかなり真剣に問いかけてきた事に顔を曇らせつつカーネは目を逸らす。
「あれは……その……」
「誤魔化さなくてもいいのよ?暴れたことに関しては怒ってないから」
少しでも話しやすいように、と優しい言葉をかけたティファニーであったが裏目に出てしまったのかカーネはボロボロと泣き出してしまう。
「え!?ちょっ!どうしたのカーネ!?何で?何で泣くの?」
「ティ、ティファさまぁ!……うぅ、ず、ずみまぜん、僕は、ぼくわぁ!」
「うん、ちょっと落ち着こうか、ねっ!カーネ?なんか何言ってるのか分かんないし」
しゃくり上げながら訳の分からない言葉で謝罪を繰り返すカーネをとりあえず膝に座らせ背中を擦るティファニーはカーネを宥めながら少しずつ話を聞き事情を把握し、そして思考する。
やはり遅くはなったが無事完成したようだ。
元々ティファニーがカーネに勉強をさせたのは常識を知って欲しかった訳でも自分以外の人間に慣れてもらいたかった訳でもなく、自分と自分以外の人間の区別を付けさせるためだ。
当初の計画ではカーネはティファニーと他の人間との違いに違和感を感じ、使用人達はカーネを忌避する、馴染めないカーネはティファニーしか自分を愛してはくれないんだ。という考えを持ち、ティファニーとの確固たる絆が出来るという手筈だったのだが、何処で間違えたのかカーネは使用人達に受け入れられ始めてしまった。
結果としてどうやらアネットというメイドがそれをぶち壊してくれたようなのでティファニーは内心馬鹿なメイドに感謝していた。
「それにしても……」
今カーネはやっと泣き止みティファニーの背中にしがみついている。
「最近ちょっと聡くなったと思ったらこれとは」
カーネの子供のような態度に安心したような呆れたような面持ちでため息をつくティファニーであった。
そんな気分でホッコリしていたティファニーの背にカーネが遠慮がちに声を掛ける。
「あの、ティファ様?」
「何かしら?」
カーネは躊躇っているのか視線を右往左往させている。
「あの…やっぱり僕はおかしいのでしょうか?」
「あら?どうして?」
「さっき言ったじゃないですかアネットに人を殺して何も感じないなんて…ば、化け物だって言われたって」
「えぇ、そのようね」
その話を思い出し湧き上がる怒りを抑えながらティファニーは努めて冷静に返事をする。
「はい、だから…その、やっぱり僕は、その…化け物、なんでしょうか?」
「そんなことないわ、いいのよ?何も感じなくても」
「……でも」
ティファニーは尚も渋るカーネの顔を両手で挟み、無理矢理目を合わせる。
「いい?カーネ。私はね貴方につまらない人間になって欲しくないの」
「え?」
「お花を見たら綺麗って思って美味しいご飯を食べたら美味しいって思って人を殺したら罪悪感に苦しむ当たり前の人間になって欲しくないの」
「あたりまえの、にんげん?」
「そうよ、カーネには私の家族の事を話しましたっけ?」
「え?あぁ、いや、聞いたことないです」
「そうまだ話してなかったのね」
ティファニーは疲れたような微笑を浮かべると遠くを見つめる。
「ティファ様?」
「……よし、シトリー!!」
いつもの緩やかな声音ではなく威厳のある声音でメイド長を呼びつけるティファニーの横顔は真剣そのものの表情をしていた。
「何でこんなことに……」
アネットは今きらびやかな扉の前に立っていた。
お世辞にも趣味が良いとは言えない装飾が施されている。
そう、ティファニーの私室だ。
暴れたカーネの後始末をしていたアネットはシトリーからティファニーの私室に行くようにと言われここにいる。
「はぁ、ここに居たってしょうがないか」
半ば諦めた感じで扉を叩く。
「入りなさい」
冷水ような声音に若干及び腰になりつつ扉を開く。
「失礼します。ティファニー様どのようなご要件でしょうか」
声が震えないように用心しつつ部屋に入るとティファニーがいつもの緩やかな部屋着で寝台に腰掛けていた。
ティファニーの背にはカーネがしがみついている。
カーネは怯えた様な目でティファニーの肩越しにアネットを見ている。
そのティファニーはと言うと苛立った雰囲気でアネットを睨みつけていた。
「あっあの、何か?」
「何か?ですって?」
相当苛立っているのか震えた声で静かに返す。
「貴女、私のカーネに何をしたか分かっているの?」
「え?」
ティファニーの言葉に少なからずとも思い当たる節のあるアネットはその表情を強ばらせる。
「その様子だと自覚はあるようね」
「っ!?ちっ違います!あれには理由がっ!」
「黙りなさい」
弁明しようと声を荒げるがティファニーの鋭い一言で黙らされてしまう。
アネットが口を閉じたのを確認するとティファニーはわざとらしく悲しげな表情を作ると肩越しにアネットの様子を伺うカーネの頭を撫でる。
「嗚呼、可哀想に。貴女の心無い言葉で天真爛漫なカーネは死んでしまった。これは多大な損害よ」
「……。」
「御覧なさい?私の陰に隠れて出てこようともしないわ。」
「……も、申し訳…」
「黙りなさいと言ったでしょう」
弁明も謝罪も受け入れて貰えず唇を噛むアネットを見てティファニーは嫌らしい笑みを浮かべる。
「何か特に言いたい事でもあるのかしら?」
ティファニーが威圧を込めてそう質問するとアネットは小柄な身体を縮こませて俯いてしまう。
長い沈黙の後、アネットは覚悟を決めた表情で真っ直ぐティファニーの目を見る。
「で、では一つ報告をさせてください。」
アネットの予想ではカーネは事の真実を話していないのではと考えていた。
「ティファニー様はグライアス様がお亡くなりになったことを知っているでしょうか」
それ故、事の顛末を話しカーネの異常性を話す事でティファニーの意識の方向をそちらに向けようと画策したのだ。
「それはそちらに居りますカーネ様が訓練中に起こした事故が原因なのです。」
グライアス死亡事件以来、アネットにはもうカーネへの恋慕の情は無くなっている。
あるのは化け物を見る冷たい視線。
「そして事もあろうかカーネ様はグライアス様を殺めてしまったことに対して何も感じないと仰るのです」
ティファニーはただ黙って聞き入っていた。
「このような事ではいけない、そう思った私は僭越ながら厳しい言葉をカーネ様にかけさせて頂きました」
ティファニーは依然として冷たい表情でアネットを見遣る。
アネットはその表情の裏に隠された憤怒に気付く事無く誠実に見えるよう意識しながら言葉を紡ぐ。
「その結果カーネ様を傷つけてしまったことは心苦しく思いますが……」
「もういいわ、充分よ」
いきなり腰を折るような真似をされ目を丸くするアネット、ティファニーは沈痛な面持ちで深く溜息をつく。
「どうやら貴女私が何も知らないと思っているようね」
「は?……え?」
「此度の顛末の全てくらい把握しているわ」
「でっ!でしたら!」
「いいこと?私はその様な些末なことは問題では無いと言っているの」
アネットはティファニーの言い分が理解出来ず疑惑の表情を深める。
「貴女カーネになんて言ったのでしたっけ」
唐突に話が切り替わり面食らいつつもアネットはカーネに言い放った言葉の中で一番穏やかな言葉を探る。
「しょ、しょうがないから殺してもいいなんて思ってはいけないと……」
「嘘ね、嘘でなくてももっと酷い事を言っているでしょう?」
即座に断言されてしまったアネットは決まり悪そうにティファニーから目線を逸らす。
「化け物…と言ったそうね」
「あれは!……」
再び無意味な弁明を繰り返そうとしたアネットはティファニーの鋭い目線で黙殺されてしまう。
「カーネはその言葉にとっても傷ついたようなのだけど?」
ティファニーの視線は徐々に冷たく攻撃的になっていく。
「私ははじめに言ったわよねぇ。カーネに粗相を働いたものにはそれ相応の罰を与えると」
視線が冷たくなっていくにつれその語気には熱が籠っていく。
アネットは目を逸らしたまま必死に考えを纏めようと四苦八苦していたが、ティファニーの殺気を含んだ強い視線がそれを許してはくれなかった。
考えれば考える程アネットの思考は空回りしていく。
方向性を間違えた、読み違えた、カーネは話していた、はじめから切実に謝罪するべきだった、何か、この状況を打開する為に、何か!
「今回カーネが暴れたのは初めての事ですがその被害は無視できるものじゃありません」
「ティファ様……ごめんなさい」
「ん?ああ!違うのよ?カーネは悪くないの!謝らないで?ね?」
あまり見た事の無いティファニーの真面目な態度に再び罪悪感が湧き上がったのかカーネはティファニーの背中に顔を埋めながら鼻声で謝罪し始める。
「貴女今いくつでしたっけ?」
「……今年で十二になります」
「カーネは今年十三になるのよ?何故十三の少年に出来る事が出来ないのかしらねぇ」
アネットは恥じ入るように頭を下げエプロンドレスのスカートを両手でギュッと握り締める。
「私の館につまらない人間は要らないの」
「っ!?」
それは事実上の解雇処分の言い渡しのようであった。
アネットは最早これまでと覚悟を決め口元を引き締めながら顔を上げる。
「分かりました…では本日中に屋敷から出て行きます。」
アネットにとって此処はなかなか良い職場だった。
しかし、あれだけの事をやってしまったのだから、そう思うと仕方ないという気持ちの方が強くあきらめは出来た。
踵を返し部屋から出て行こうとするアネットの背にティファニーがちょっとと声をかける。
「何でしょうか?」
「誰が貴女に出て行けと言ったの?」
「え?しかし私は解雇処分を受けたのでは?」
キョトンとした表情を浮かべるアネットにわざとらしく溜息を聞かせるとティファニーは苛ついた表情を浮かべる。
「誰も解雇なんて言ってないでしょう」
「で!ではここにおいてくるのですかっ!」
さっきまでのしおらしい態度などどこかに吹き飛んでしまったかのように明るく都合の良い事をわめき出すアネットにティファニーは心底ガッカリしたような表情で告げる。
「そんな訳ないでしょう…まったく」
「えぇぇ?じゃあどういう……?」
いい加減訳が分からなくなってきたアネットはふとティファニーの後ろにいた筈のカーネが姿を消していることに気付く。
次の瞬間、アネットの両肩は何者かによって固定される。驚き振りほどこうとするが抵抗虚しくびくともしない。
「貴女には処分を言い渡すわ。意味、分かるかしら?」
「え?え?ティファニー様?何を?」
ティファニーは寝台から腰を上げ衣装箪笥へと歩を進める。
左右に開かれた衣装箪笥からは長く開かれていなかったのか薄らとカビの匂いを零す。
煌びやかなドレス達を無造作に寝台の上に投げ出しながらティファニーは目的の物を探す。
「私はね昔は名の知れた剣士だったのよ?カーネ」
唐突な話題に混乱するアネットの真後ろからその言葉に反応したカーネが感嘆の声を上げる。
「へぇー!本当ですか!ティファ様!」
「えぇ、私の家族は気に入らないみたいだったけどねぇ……あっ!あったあった!」
素直に感心するカーネに気を良くしたのか若干顔を綻ばせながらティファニーは目的の物を衣装箪笥から引っ張り出す。
ティファニーの細腕に引き出された物というのは、ティファニーの腕ほどもある刀身を持つ片刃の特殊な形状の剣だった。
鞘はなく白い布を巻き付けられている。柄には桜の文様があしらわれている。
「はぁ~~!」
「ひぃっ!?」
美麗な武器の登場に心を踊らせ感嘆の溜息を零すカーネと目当ての物が人を殺す道具であり奇遇かわざとかカーネがグライアスを殺めたものと同じ形状である事に恐怖し短い悲鳴を上げるアネット。
二人の様子を満足げな表情で頷くとティファニーは徐に刀身を包む布をスルリと外す。
刀身は薄らと桜色に発光しており妖しく妖艶な雰囲気を醸し出していた。
そして最も目を引くのはその刃紋は揺らめく炎のように絶えずその姿を変えている。
「ティファ様!それなんですか!」
美しい刀に興奮したのかカーネはアネットの肩を掴む手に力を入れる。
カーネの剛力に苦悶の表情をアネットは浮かべる。
ティファニーは段々とカーネの機嫌が良くなってきたのが嬉しいのか気分良さげに刀を一振りする。
「これはね?私の最初の遠征で手に入れた刀なの。銘を雅桜と言う不思議な刀なのよ?」
ティファニーは雅桜を片手にぶら下げながらアネットを挟んでカーネの前に立つ。
「不思議ってその模様ですか?」
「それもだけどね?この雅桜は…」
ティファニーは無造作にアネットの片足を雅桜で斬り飛ばす。
「いやあああああ!!」
悲痛な悲鳴を上げるアネットの顔を反射した光が照らす。
カーネはアネットの絶叫に驚いたのか思わずといった感じでアネットから手を放してしまう。
左足を切断されたアネットは切られた側の足を両手で握り少しでも血の流出を食い止めようと必死になる。
しかし、いつまで経っても切断面から血液が流れてくることは無い。
「その名の通り雅で美しい結果しか残らないの、つまり…こういう事」
ティファニーは楽しげに切り落としたアネットの左足を、否、左足だったものを持ち上げる。
「わあぁ!」
歓声を上げるのはカーネ。
「あ、あああ!」
情けない悲鳴を上げるのはアネットだ。
そう、ティファニーの手の中に収まっているものは、繊細な金細工を施された一本のロッドだ。
素人のカーネですら思わず感嘆の声を上げてしまう程に計算し尽くされた美がそこには集束されている。
「私の!!私の足がァ!!」
「うふふふ、あっははははははははは、ねぇ?どう?とっっっても美しいでしょう?」
「何で!?何でここまで!?」
ティファニーは嫣然たる微笑をたたえ、艶っぽく唇を湿らす。
「言ったでしょう?相応の罰よ?これが貴女への罰なの」
アネットは口の中でティファニーの言葉を繰り返す。
これが罰……ティファニーの機嫌を損ね、カーネに苦痛を与えた…罰。
絶望し力の抜けたアネットの左足の断面から黄金色のトロリとした液体が零れ出す。
ティファニーが刀を振るう度部屋に絶叫が響き黄金の血飛沫と共に新たな芸術品が生み出される。
左足の次は右手首、その次は右腕、その次は右足……。
致命傷を避けるようにアネットの身体は細かく切り分けられていく。
右手首は黄金のカップに右腕は黄金のトロフィーへ、次々と変えられ遂にアネットの身体は頭と胸だけになってしまう。
本来なら死んでしまう程の傷を受けているのだがアネットはまだ意識を手放せないでいた。
「御覧なさい?カーネ」
頭と胸のみ残されて無様に転がされたアネットを足蹴にしつつティファニーは嗤う。
「人間なんてのはね、脆いものよ?こんなに簡単に崩れて壊れてしまう」
雅桜がアネットの頬を撫でると薄く切れた頬から金色の雫が零れる。
「人の人生は選択の連続、それを誤った者は例えどんなに素晴らしい人物だとしても呆気なくその幕を閉じられる」
アネットの肩に深く雅桜が突き刺さり刺された肩が黄金へと変わっていく。
「死んでしまえば何にも残らない。精精後続へのヒントを残すくらいね。死んだ人間に何時までも縛られるのは全くの無駄なのよ」
ティファニーの言葉がカーネの心に深く染み込んでいく。
「いい?貴方は…いや、私達は化物なんかじゃない。人の死を悲しめない事は悪い事じゃないの、何も感じなくていい、何も想わなくていい、大事なのは生きている、生かされているって事なんだから」
「僕達は……化物じゃない……」
カーネは自分の両の手の平を見つめる。
あの時、血で染まっていた両手。
酷く汚れた物だと思っていたものだ。
「カーネは今日人を殺してしまった、でも生きてる。カーネは明日また人を殺してしまうかもしれない、でも生きている。それは抗いようもない事実で結果なの」
ティファニーは強い意思のこもった瞳で真っ直ぐカーネを見つめる。
カーネはその瞳に揺らめく強い炎を錯覚する。
「生きているのなら生き抜く権利がある死者をねじ伏せ足蹴にしてでも生き残らなければならない」
アネットの肩から雅桜は引き抜かれ桜色の残滓を残してアネットの頭と胸は一対の置物へと姿を変えた。
「死んでしまうのは仕方ない、死んでしまったのは当の本人の努力不足と選択の失敗の結果なのだから。」
ティファニーの瞳は憎悪の暗い光で輝きを放ちその表情に似つかわしくない薄暗さを演出する。
カーネはその瞳に見つめられ息をするのも忘れてしまう。
「この世界で本当に生きているのは私達だけなのよ?私達だからこの残酷で理不尽で歪な世界を生きる事が出来るの。その証拠にほら?」
ティファニーは足下のアネットの頭だったものを持ち上げる。
「これが失敗の代償よ」
周りの音は全てカットアウトされ、ティファニーの吐息だけが、声だけが、頭蓋に響く。
「死者を足蹴にして喰いものにしながら生きて行くのが本来あるべき人間の形なのよ?弱い弱い人間の長生きの秘訣なの」
「じゃあ、じゃあ僕は何もおかしくないんですね!?」
カーネが叫ぶ。
ティファニーの言葉に救いを求めるように縋り付くように……。
「誰よりも速くても賢くても上手くてもおかしくないんですよね!?」
────叫ぶ。
ティファニーは必死なカーネの姿を目尻に涙を溜めながら見下ろす。
嗚呼、この子の瞳を見ろ、きっとこの子も同じだ。私と同じ、理不尽に傷つけられ怯えていたんだ。
受けた傷は例え沈められていたとしても覚えているものだ。
きっとあの時の暗示は解けているのかもしれない。
だがそんな事はどうだっていい、問題なのはカーネも何かを抱えて生きているということだ。
この子を殺させはしない、この子は必要だ。私のどうしようもなく停滞した世界に色を添えるにはもうこの子しか残っていない。
ティファニーは雅桜を床に突き刺すとフワリとカーネを抱きしめる。
何も言葉をかけずただギュッと、母が子を抱きしめるように久しく再会した恋人を抱きしめるように優しく愛しげに抱きしめる。
ただそれだけでカーネは全てを肯定してもらえたんだと確信した。
ティファニーの腕の中は暖かかったそれだけの事にどうしようもなく涙がこぼれて止まらなくなった。
ティファニーは泣き続けるカーネの頭を優しくなで続けていた。
※
「今まで言えなかったことがあるんですよ」
カーネはひとしきり泣き終えるとポツリポツリと自分について話し始めた。
「最近少しずつですがこの屋敷に来る前のことを思い出してきたんです。と言っても本当に少しなんですけどね?」
カーネが産まれたのはそんなに貧しくもなくかといって裕福な訳でもない普通の一般家庭だった。
他に兄弟は居らず母と父の三人で暮らしていた。
父方の祖父母が近くに住んでいて暇を見つけては孫の顔を見に来るなんてことは無い普通の幸せな家族、だった。
カーネは生まれつき異常に腕力が強かった。赤子の頃はまだ体が不安定で存分に力を振るえず他の子よりも少し強い程度だったがその時カーネを取り上げた医師は両親にこう申告した。
「この子は危険です、近くに置いておくべきではない。育てるのであれば相応の覚悟が必要です」
両親は医師の言葉に取り合わずカーネを連れ帰った。
その結果、事件が起きる。
母親が三歳になったカーネと他の子を遊ばせていた時目を離したのだ。
母親同士での会話に夢中になり子供達を見ていなかったのだ。
そして下らない事で子供同士で喧嘩が始まりカーネは力任せに相手の子供を殴った。
相手の子供は瀕死の重体、死にはしなかったもののカーネの両親は青ざめた。
医師の言っていた事とはこういう事だったのか。
カーネの両親は急いでカーネを隔離した。
祖父母にもあまり会わないように言い、母親自身極力カーネに触れないようになって行った。
しかしそんな事は長くは続かなかった。祖母からの攻撃、周りにされる哀れみの視線、溜まるストレス。
次第に母親はカーネを憎むようになった。
そんな状態でもカーネはすくすくと育った。
そして賢かった故に自分の状況を何となくだが察していた。
恐らく自分は忌み子なのだろう。
母は自分を愛していないのだろう。
そして、いつか自分は捨てられてしまうかもしれない。
そしてその日はやって来る。
母親が耐えきれなくなり壊れたのだ。
カーネに食事を与えなくなり呪詛のようにカーネを罵り続け、その二週間後、カーネは奴隷商に売り払われた。
「僕は覚えているんですよ。父と母がまだ話す事が出来ない僕の前で、この子の名前は五歳になるまではつけないでおこうって話していたことを、僕には両親につけられた名前はありません。つまり、やっぱりあの人達は僕を育てきれなかったんです。前は恨んでいましたが、今は……ティファ様に会えたから」
ティファニーは終始黙ってカーネの話を聴いていた。
しっかりとカーネの手を握りしめ、話が終わると同時にまたギュッとカーネを抱きしめる。
「ティファ様?僕泣いてませんよ?」
「ねぇカーネ、ひとつ聞いていい?」
「なんでしょう」
「貴方…暗示解けているでしょう?」
カーネは後ろから抱きしめられたままピクリと肩を揺らす。
「やっぱりねぇ、いつから?」
「眠ったり起きたりを繰り返している時から…です」
「そんなに早くから……どうして逃げなかったの?」
「……逃げたく…無かったからです」
「どうして?」
「……それは…その…」
「なぁに?」
「……………心地好かったんですよ」
カーネの手が優しくティファニーの腕に触れる。
その触れ方は壊れてしまいそうな物に触れる様に繊細で優しい手つきだった。
「あの暗示のおかげかどうか分からないけど、ずっと僕を閉じ込めていた辛い記憶が消えてったんです」
ティファニーの手を撫でるカーネの手は小さく、小さく震えている。
「だから、知れたんです。ただ、無償に大事にしてくれている、それを肌で感じることが出来たんです」
カーネが振り向く。
そこには何の含みもない綺麗な笑顔が浮かべられている。
「だからこそ、ティファ様に愛されるこの環境が、とても心地好かったんです。どうしようもなく怖くなるくらい…」
「……そう」
スルリとティファニーの腕はカーネから離れティファニーは寝台から立ち上がる。
雅桜を地面から引き抜き白い布で刀身を包むと逆手で持ちカーネにつき出す。
「え?……ティファ様?」
ティファニーは一度深呼吸をしてからキリッと表情を締めると威厳を持って言い放つ。
「この雅桜をもって死ぬまで私の事を守り続けなさい、いいわね?」
カーネは震える手で雅桜を受け取ると恭しい態度で
「何時までもお側にいます」
と、恭順を示した。




