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数多の世界の可能性  作者: 鈴木 啓
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5話

カーネがグライアスと訓練を始めた頃見習いメイドのアネットは先輩メイドに押し付けられた雑用を処理していた。

洗濯、皿洗い、窓拭き、雑巾がけ…寒い季節にはできるだけやりたくない仕事の数々、それらを何の文句も言わずこなしていく。

この状況に満足はしていないが、どうにかしようにもどうしようもないので仕方ない事だと割り切っている。

しかし、悪いことばかりでは無いのだ。

廊下の清掃や窓拭きをしていると高確率でカーネに会う事が出来るからだ。

「はぁ、今朝のカーネ様格好良かったなぁ…」

アネットは密かにカーネへ想いを寄せていた。

先輩メイドにはティファニー様に対しての不敬に当たるから忘れなさいと言われているがアネットはまだ十二歳、湧き上がる想いをそう簡単に捨てられないでいた。

今朝のカーネとの会話を反芻しだらしなく笑いながらカチャカチャと小気味の良い音を立てながら陶磁器の平皿を洗っていく。

ふと、窓の外からグライアスの叫び声が聞こえてくる。

「はぁ、グライアス様はいいなぁ…私ももっとカーネ様のお傍にいたい…」

窓の向こうではグライアスがカーネと手合わせをしている。

カーネが軽く距離をとり、静かに構える姿は正にお伽話に出てくる英雄のようで、凛々しく神聖な雰囲気を醸し出していた

「はぁぁ、格好良いいなぁカーネ様。ティファニー様が羨ましい…いつもカーネ様とイチャイチャしてるもんね」

戦闘中のカーネを眺めながら皿洗いをしているとふと、右手に毛深く柔らかい感触がかえってくる

「ん?」

スポンジとは違い妙に暖かいその存在が何なのか確かめるべく手元に視線を下ろす。

視界に飛び込んできたのは焦げ茶色の15センチ程の生き物、ピンク色の長い尻尾と出っ歯が特徴的なこの世界で最もポピュラーな害獣、ラットだった

「きゃあああああああああああ!!」

耳を劈く悲鳴と取り落とした皿の割る音に驚いたのか握られていても平然としていたラットは一目散に逃げ出す。

アネットも同様先輩メイドに頼まれた仕事を放り出しどこへ向かうでもなく走り出したのだった。


気がつくとアネットは練兵所の入口に立っていた。

何も考えずに無心で走った結果だ。

「はぁ……はぁ……はぁぁ」

蓄積された身体的な疲労と精神的な疲労からその場にペタンと座り込んでしまう。

「あぁ、先輩にまた怒られるなぁ……はぁ」

最近溜息の数が増えてきたなぁ、等と考えつつ視線をあげ自分の居場所を確認しまた溜息をつく。

「無意識にここに来ちゃうとか、私ってホントどうしようもないね」

自分の行動に呆れつつスカートに付いた砂をはらって練兵所の中へ足を運んだ。

「一・撃・必・殺!」

カーネの怒声と共に轟音がアネットの耳に届く。

アネットは全部が終わってしまわないうちに、と足を早める。

そして見えたのは顔を血で染め恍惚とした表情をしたカーネと頭のない大男の死体だった。



血と死の匂いに包まれながらぼんやりと聞こえてくる少女の声、何処かで聞いたことのある様な幼くて不安げな声が聞こえる。

目線を下げ肩を揺すってくる少女を見ようとするが視界が深紅に染まっていてぼんやりとしたシルエットしか見えない。

「カーネ様!カーネ様!!」

「あぁ、あ?なんだァ?」

「カーネ様!大丈夫なんですか!?頭から血が!」

少女が心配そうな声をあげながらハンカチで顔の血を拭ってくれたおかげか、次第に視界がはっきりしてくる。

それと同時に浮かんでいるような意識もゆっくりと覚醒していく。

「怪我はしていないんですか?見たところ目立った傷は無いみたいですけど」

「あぁアネットか。大丈夫だよこの血は俺の血じゃないから、全部グライアスの……」

思考が止まる。


俺は何をした?いや、何をしていた?確か、グライアスと刀術の訓練をしていた筈だ。何故アネットが此処にいる?何故聞こえて来てもおかしくない声が聞こえて来ない?


右手にはひしゃげて折れかけた血だらけの木刀が握られている。

「俺が…やったのか?」

右手から滑り落ちた木刀がけたたましい音を立てて地面を転がる。

最後の衝撃に耐えかねたのか半ば程で折れてしまった。

冷静になればなる程曖昧だった記憶が少しずつ帰ってくる。

最高の状態で放たれた一撃、興奮し思わずタガが外れた様に何度も何度もグライアスの頭へ凶器を狂喜を込めて振り続け、返り血を浴び、血の匂いを嗅ぐ度に狂喜は膨らみ、完全に潰し切った時に初めて右手は止まった。

視線の先には頭を失った無惨なグライアスの姿、取り返しのつかない事になった

「どうしよう…こんな…ティファ様に怒られる」

「え?」

場違いすぎる台詞を聞いた気がしたアネットはの間抜けた声を上げてしまう。

「だってそうだろう?折角ティファ様が俺の為に連れてきてくれたのに壊しちゃったんだぞ?」

「は?いや、その前にカーネ様?グライアス様を殺めてしまったんですよ?」

「そうだよ?」

「その事については何も感じないんですか?」

「だから、ティファ様に怒られるなって」

「人を殺して何も感じないんですか!?」

カーネの言動に腹を立てたのかアネットは顔を真っ赤にして怒鳴る。

しかしカーネはアネットが何故怒っているのか分からないのか若干引きつつも難しい顔を浮かべたまま立ち竦んでしまう。

「何とか言ってください!」

「ええっと、アネット?何を怒ってるの?」

「怒っていません!」

「そう…?」

「それよりも!なんとも思わないんですか!?」

「うぅん、でもさ、人間って遅かれ早かれ死んでしまうでしょ?だからさ考えたってしょうがなくない?」

「何を言ってるんですか!!?」

顔色を伺いながら悪びれる様子もなく言い切ったカーネにピシャリと音の鳴るような声音でカーネに叩きつける。

「そんなのおかしいです!!」

「……え?」

「しょうがないから殺してもいいと思っているんですか!?何も感じなくてもいいと思ってるんですか!?」


アネットが怒鳴るたびにカーネは戸惑う。


「簡単に人は死んではいけないんですよ!」


アネットが睨むたびにカーネの心に何かが刺さる。


「生きているということは権利なんですよ!」


分からない。


「その権利を奪ってはいけないんですよ!例え神様であっても!」


分からない、痛い。


「それを…しょうがない、なんて……」


分かラない、痛い、苦しイ。


「そんな言葉で片付けてしまってはダメです!」


聞きタクなイ、聞キタクなイ、聞キタクナイ。


「生命を奪う事に何も感じないなんて、まるで…まるで…」


キキタクナイ、キキタクナイ、キキタクナイ!!


「まるで………“化け物”じゃないですか…」


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


カーネには分からなかった。

自分が何をしてしまったのか。

何故こんなにもアネットが冷たい目をしているのか。

しかし、賢い故に理解しかけていた。

もしかしたら、自分はやってはいけない事をやってしまったのかも知れない。

そして、それはもう取り返しのつかないことなのかも知れない。

カーネを見つめるアネットの目はよく知っている目だ。

あの時の門番と同じ目、カーネが新しい剣技や体術を覚えるたびにグライアスがしていた目、冷たくて震えている恐怖や侮蔑の込もった瞳。

気がつけばアネットを押しのけ走り出していた。

やけに五月蝿い心臓の音が煩わしく脳に響く。

「ティファさまぁ…ティファさまぁ!……ティファさまぁ!!」

いつもならすぐに分かるはずのティファニーの部屋が分からない。

錯乱してしまっているのか、どこに行っても同じように見える。

「ああああああああ!!うわああああああ!!」

手当り次第に部屋をこじ開けティファニーを探し続ける。

いつまでたっても見つからない事に焦りカーネは更に屋敷の中をめちゃくちゃにする。

「どこ!?ここどこ!?わかんない!わけわかんないぃ!」

言い知れない恐怖が幼いカーネの精神を追い詰め追い立る。


こわい、こわい、くるしい、くるしい


ふと、恐怖で錯乱するカーネの鼻腔を甘い香りがくすぐる。

それと同時にカーネの体は優しく包み込まれ、甘い香りがいっそう強くなる。

その香りと暖かさに安堵したのかカーネの身体から次第に緊張がとけていく。

「ティファ…さま?」

「大丈夫よ、カーネ。もう大丈夫よ。」

ティファニーの腕の中だと気付き安心したカーネは苦悶の表情そのままに崩れるように意識を手放してしまった。



皿の割れる音とメイドのかん高い叫び声が屋敷を揺らした頃、毛布にくるまっていたティファニーは豊かな双丘を揺らしながらその身を起こし、寝惚け眼で大きなあくびをしていた。

腕を上げ大きく伸びをすると大きいながらも決して重力に負けず美しい形を保ったそれが自己主張する様に再び大きく揺れる。

ティファニーは布を纏う事もせず窓辺に近付くと両開きの窓を開け放つ。

心地よい春の日差しと共に少し冷たい風が舞い込んで来る。

部屋に充満していた男女の匂いは薄れティファニーの寝惚けた頭をゆっくりと覚醒させていく。

ふと、部屋を見渡すと彼女のお気に入りの少年の姿が見えず少し寂しく思うも頭を振って弱気な考えを振り払う。

「会いたければ会いに行けばいいのだから」

誰に言うでもなく呟くと寝台にかけてあるゆったりとした部屋着を羽織ると金糸の様な髪を櫛でとかす。

腰程まである髪をじっくりと時間をかけてとかし終えると机の上に置いてあるベルを手に取る。

リーンと透き通った鈴の音が響くと程なくして三度扉を叩く音が鳴る。

「入りなさい」

ティファニーが声をかけると妙齢のメイドが礼儀正しく部屋の中に入ってくる。

彼女こそこの屋敷の管理を任されているメイド長のシトリーだ。

「お呼びでしょうか。ティファニー様」

「シトリー、昼食の準備をして頂戴、二人分お願いね?」

「二人分…ですか?」

「えぇ、準備が出来次第カーネをここに呼んで頂戴」

シトリーはかしこまりました、と優雅に一礼すると音もなく退出していく。

シトリーの足音が聞こえなくなるまで待つとティファニーは身体を寝台に深く沈める。

最近ティファニーは少しずつではあるが不満が溜まっていた。

自分で始めさせた事とはいえこんなにもカーネとの時間が無くなるなんて思ってもいなかったからだ。

「こんなにカーネが好奇心旺盛だったなんて、計算違いだったわねぇ」

最近、カーネと会話できるのは専ら食事の時と夕方以降だけになってしまっている。

それ以外の時間は学習と鍛錬に費やしてしまっているので遊ぶ時間は一切残っていないのだ。

「そろそろ連れ出してもいい気がするのだけれど」

独りでいることが多いせいですっかり癖になってしまった独り言を呟いていると唐突に屋敷の中に凄まじい破壊音が響き渡る。

「何事かしら?」

寝台から体を起こし部屋着の帯を絞めると扉を開き石造りの廊下をペタペタと歩く。

進むにつれて破壊音に混じって絶叫がチラホラと聞こえだしティファニーは一抹の不安を覚える。

「この声……カーネ?」

不審に思いながらも廊下を進むと廊下の角からシトリーが血相を変えて走ってくる。

普段全く感情を表に出さないシトリーが一目見るだけで分かるほどの恐怖を顔に貼り付けている事に更に不審感を募らせながらティファニーはシトリーに話しかける。

「シトリー、一体何事なの?」

シトリーはティファニーを見つけられた事に安堵したのか一瞬恐怖の表情を崩すがすぐに表情を引き締めると緊張した面持ちのまま告げる。

「ティファニー様!お逃げ下さい!ここは危険です!」

「は?何故?」

言われた事が理解出来ず怪訝な声を上げるティファニーに苛立ちつつもシトリーは早口に事情を説明する。

「カーネ様が…ご乱心なされて屋敷中を荒らし回っているのです」

「カーネが?」

「はい、訓練中もしくは訓練後に何かあったのか “ティファニー様を呼びながら” 屋敷中を荒らし回っているのです。今カーネ様にお会いになるのは危険です、お逃げ下さい!」

ティファニーは雷に打たれた様によろける。

カーネに異常が発生した。

現在のカーネはかなり危険な状態。

狂ったように暴れている。

今会えば危険かもしれない。

ティファニーの口元が三日月の様に釣り上がり妖艶な笑みを浮かべ始める。

その状態でも自分を求めている。他の全てを破壊してでも自分を見つけ出したいと暴れている。

「………ふふっ」

「ティ、ティファニー様?」

「ふ、ふふふ、うふふふ」

押さえつけているような笑いが次第にタガが外れたような哄笑へと変わる。

狂ったように笑い続けるティファニーに恐怖したのかシトリーはジリジリと怯えた目で下がり始める。

「あは、アハハハハはは、あっハハハハハハハハはは!!!」

「ティファニー…様?」

明後日の方向を向いて笑い続けていたティファニーがそ反らした上体を首がもげそうな勢いでシトリーへと向ける。

「ひぃっ!」

「シトリー、カーネの元へ行くわ。貴女は逃げなさい」

それだけ告げるとティファニーは振り返ることもせず廊下を歩いていってしまった。

シトリーはただそれを見ている事しか出来なかった。


石造りの廊下を迷いなく進むとやがて叫び声のような物がハッキリと聞こえてくる。

「カーネのこんな声を聞くのは初めてね」

ティファニーは内から溢れそうになる興奮をなだめすかしながら冷静に状況を分析し始める。

初めてカーネに会った時ティファニーは随分達観した少年だというイメージを持ったものだが最近のカーネは年相応の活発で好奇心旺盛な少年だった。

その少年が一体何があったらこんなにも悲痛に満ちた叫び声をあげるのだろうか。

半ば感心するような気持ちで更にティファニーは歩を進める。

「………ニーさまぁ!ティファニーさまぁ!!」

破壊音が大きくなり、比例してカーネの苦悶の声も大きくなってくる。

「ここよ!カーネ!どこにいるの!?」

無駄とは分かっていても大声を上げるティファニーだったがカーネからの返答は無い。


早く見つけないと屋敷が先に崩れてしまう。


そう焦り始めた頃やっと客間でその姿を発見する。

「どこ!?ここどこ!?わかんない!わけわかんないぃ!」

ティファニーは客間で泣き叫ぶカーネを見て衝撃を受ける。

もう力が入らないのか部屋の中央で蹲り頭を抱えている。

体は震え、いつもは逞しいとさえ感じる背中は女性のように細く弱々しい。

荒い息遣いの合間に泣いているのか嗚咽のようなものが混じっている。

その光景はティファニーの想像を絶する物だった。

耳の奥で骨の擦れるギィィ、という音が聞こえる。

ティファニーは腹の底で熱くドロりとした物が沸き立つのを感じる。

咄嗟に口元に手を添える。

そうしておかないと腹の底から溢れそうな激情が叫び声になって飛び出してしまいそうだったからだ。

許し難い事だ。否、許してはいけないだろう。

同じ目に遭わせる、ここまでカーネを苦しめた張本人に耐え難い苦痛を与えてやらなくては気が済まない。

沸き立つ憎悪と憤怒で心を焦がしつつそれとは別に深い慈愛と哀しみが弱々しいカーネの姿を見る度沸沸と湧き上がる。

ティファニーは震えるカーネの肩を抱く。

「ティファ…さま?」

「大丈夫よ、カーネ。もう大丈夫よ。」

ティファニーが抱き締めたお陰かだんだんとカーネの身体から緊張が解けていく。

安心しきったのか眠ってしまったカーネを抱き上げる。

重くもなく軽すぎもしない、一人の人間の重みだ。

ティファニーは今まで浮かべた事も無いような慈愛に満ち溢れた優しい笑みを浮かべ踵を返し部屋へと戻って行った。

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