2話
この屋敷の主人であり少年の“飼い主”である彼女は退屈そうに寝室で朝食をとっていた。
そして長い金髪を指先でいじりながらお気に入りの玩具の事を考えていた。
十二の少年、東洋の人間特有の肌色を持ちどんなに苦しめてもその黒い瞳を濁らせはしない生意気な玩具、鋭いナイフで刺してもその肉を貫くことはかなわず、その強靭な肉体は銃弾ですら弾いてしまう。
なにより恐ろしいのは予知しているのではないかと思えてしまうほどの反応力と銃弾すら掴んでしまう速度だ。
四方から放たれる銃弾を踊るように掴み取る姿は何度見ても興奮を抑えられない。
他の者は、少年の事を化け物などと呼ぶらしいが、彼女にとってはこの世で最も愛らしい玩具だ。
「あの子はまだこないのかしら?もうずいぶんと待たされていると言うのに」
グラスを傾けながら誰に言うでもなく一人呟く。しばらくすると三度戸を叩く音が部屋に転がり込んで来る。
「ティファニー様、余興を連れてまいりました。」
「入りなさい」
屋敷の女主人、もといティファニーは短く返事をする。
両開きの戸が開き、檻番が件の少年を連れて部屋に入ってくる。
「ご苦労、下がってもよろしい」
ティファニーが冷たく言い放つと檻番は軽く頭を下げ部屋を出て行く。
扉の前には黒い皮のマスクをし首輪と手錠と足かせをつけられた少年だけが残される。
ティファニーは薄く笑うとゆったりとした寝巻きを引きずりながら少年のそばまで歩いていく。
少年はただじっと自分の主人を眼で追う。手錠をはずされても足かせをはずされても、何の反応も返さない。
「ふふ、やっぱりお前は愛らしい、おいで、おいしい朝食を食べさせてあげる」
ティファニーは少年を寝台に座らせ自分の食べかけの朝食を少年に食べさせる。
少年はただなすがままに咀嚼し飲み込み微笑む。
「話すことを許可します。どう?美味しい?」
「はい」
少年は貼り付けた笑みを崩す事無く続ける。
「ご主人様がくださるものはどれもすばらしいものばかりです。」
「あら、嬉しいことを言ってくれるじゃない」
「今日は何をいたしましょうか?」
少年はほとんど事務的に言葉をつむいでいく。
「今日はね、新しく貴方にあげたい物があるのよ?」
ティファニーは少年にしなだれかかって甘えたような声を出す。
少年は体を走る悪寒を隠しながらわざとらしくおどけてみせる
「本当ですか?それはありがたいです」
「貴方のその思っても無いことを平然と言うところ、好きよ」
「………ありがとうございます。それで?一体何を下さるのでしょう?」
「当てて御覧なさい?」
少年の膝に頭を乗せながら悪戯っぽく微笑むティファニーにめんどくさい女だと思いながらも少年は思案する。
当然のことだが自由を絶対にくれないのは分かっているので別のものを考える。
とりあえず、自分の希望するものからあげていくか、と適当に答えていく。
「寝台ですか?」
「はずれ、でもまぁいまのが嫌だと言うなら考えといてあげる」
「では、新しい服?」
「はずれ」
「分かりませんね、お手上げです」
少年は考えるのが面倒になったのかあっさりと答えを求める。
ティファニーは機嫌良さそうに少年の頬をなでる
「ずいぶん諦めるのが早いのねぇ」
「私はご主人様のような教育を受けていないのでここまでが限界なのです」
少年は自嘲気味に口の端を吊り上げる。
「強いてもう一つあげるとしたら………自由、ですかね」
ティファニーは少年の首輪から垂れている鎖を引き、少年の耳元で囁く。
「私のことが嫌い?」
ふと、少年の鼻腔が甘い甘い香りで撫ぜられる。
「答えなさい。どうなの?」
ティファニーから香ってくるむせかえるほどの甘い芳香が少年の頭の奥をビリビリと痺れさせ、正常に働いていた筈の思考能力を奪っていく。
「ぼ……く………は、」
何も分からなくなる。
聞かれた時には分かっていた筈なのに上手く言葉を紡いでいくことができない。
ティファニーの声が、甘い香りが、少年の頭の中を蝕んでいく。
まるで催眠にかかってしまったように自分の意思で考えられなくなってくる。
今はただ頭の奥からやって来る鈍痛を堪えるばかりだ
「いいなさい、私を好いていると。
貴方の全ては私であり、貴方には私しかいない。
私無しでは生きてはいけない、貴方はそういうものなの」
暗示をかけるように、記憶の奥底に刻み込むように、少年の頭をなでながら甘く、優しく囁く。
ティファニーは、この時が最も好きだった。どんなに銃弾を浴びせても、どんなに剣できりつけようと、鞭で打とうと首を絞めようと、顔色一つ変えない少年が唯一苦悶の表情を浮かべるこの時が
「ぼ…ぼく……僕は………ご主人……さ…まの………物……です」
一言一言発するたびに頭の中が鈍く痛む。
痛い………痛い……痛い…痛い…痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
また一つ少年の中にある大事なものが失われていく。
砕け心の底へ沈んでいくそれすらもう思い出せない
「僕の全てはご主人様です。」
「ふふ、うふうふふふ、あっはははははははははははは!そうよね?その通りよ!いい子ねぇ!ほんっとにいい子!よく言えたわ、ご褒美を上げましょう」
ティファニーは寝台から立ち上がり少年の顔を両手で包み込み今まで以上にはっきりとした声で少年に告げる
「今日から貴方の名は“カーネ”よ。ふふふふ、私の愛しい子犬ちゃん」
少年、否、カーネはただ虚ろに、空っぽのまま薄く笑う。
さっきまで貼り付けていた偽者の笑顔でなく、まるで自分の意思で笑っているような笑顔で。
「ありがとうございます。ご主人様」
空っぽの心の底から嬉しそうに笑った。
※
ティファニーは密かにほくそ笑んでいた。
また一つ消えていった、また一つ私の好みに近づいた。
カーネは今、ティファニーの膝の上で寝入ってしまっている。
無防備に無邪気に年相応の可愛らしい寝顔で眠っている。
「これで全部かしら?“陰”」
正面の扉が半分ほど開き黒づくめの長身の男が入ってくる。
右手には水晶球が握られている。
「あとは、何が残ってる?」
「……………あとは色欲だけです。ティファニー様」
水晶が妖しく光り、その色を紫に変える。
紫色の光が陰の無機質な表情をおぼろげに照らす。
「十分だわ。これでこの子は私の思い通りね」
「………そのはずです。」
「あぁ、目を覚ますのが楽しみねぇ。目を覚ましたら何をさせましょうかしら。まずはこのナンセンスな手錠を綺麗な腕輪に替えてあげなきゃねぇ、それからそれから、……うふふ、想像するだけで本当にワクワクするわぁ」
ティファニーは恍惚とした表情でカーネに頬擦りをする。
陰はただ何も言わず静かに佇んでいる。
しばらくすると楽しそうに妄想していたティファニーが何かに気付いたようにハッとした表情になる。
「本当に大丈夫なんでしょうね」
「………何が、でしょう」
「“アレ”だけ残せば従順になるって話よ」
「えぇ、………何度も説明しましたが最後の仕上げの暗示をかけましたよね」
「えぇ、確か相手の感情を一つ自由に変える暗示だったかしら?」
「はい、彼の愛情をティファニー様のみに向けるように設定させていただきました」
「すると、どうなるの?」
「彼には元々普通人間とは比べ物にならないほどの強すぎる感情がありました。その感情の多様性を色欲、分かり易くいいますと愛のみに狭めました。」
陰はティファニーに気付かれないようにそっと笑うとすぐに向き直り続ける。
「彼が愛情を向けるのはティファニー様だけです。そして彼は幼い、故にどうしようもなく純粋なのです。彼は裏切りません、そもそも彼の中にその選択肢すらありません」
「暗示が解けることは………」
「ありません。他の感情や記憶がよみがえることもありません」
陰の毅然とした態度にティファニーは満足そうに笑う。
「そう、ならいいわ。安心した」
そういってティファニーはカーネの髪の毛をなでつけ始める。
「…………一つだけ御注進を」
「今日は、やけによく喋るわね」
「…………………からかわないで頂きたい」
ティファニーがからかうように陰に笑いかけると陰は右下に視線をずらしむっとした声色で抗議の声を上げる。
そんな陰の態度が余計おかしかったのかティファニーは声を上げて笑い出す。
「はぁはぁ、あぁー笑った。うふふうふ」
「………笑わないでください」
「だってあなたがそんな態度を取るなんておかしいもの」
「私のことはいいのです。」
「えぇ、えぇ、そうね。で?なんなの?」
陰はため息一つついた後、一度深呼吸してから一気に話す。
「彼の力は異常です。本来戯れに使っても良い物ではありません。館の中だけで遊ぶなら大丈夫ですが、外へ連れ出すならご用心ください」
一息に言い切ると陰は、では、と一言言うと音も無く退出する。
部屋には静寂が訪れる。ティファニーはカーネをいとおしげに見つめながら髪を撫で付ける。
部屋の中にはカーネの寝息だけがやけに大きく聞こえる。
何も知らない、何も知ることができないまだ無垢な少年カーネの一生が一体これからどう変わって行くのか、どういう結果を残してその一生の幕を閉じるのか、それを知るのは運命を司る女神くらいだろう。
しかし、少年カーネの行く末を最終的に決定するのはカーネ次第だ。
その点においてカーネの一生はあまり良いスタートとはいえないのかもしれない。
少年は眠っている。
これから迎える困難などつゆほども知らず、顔も思い出せない母親の夢を見ながら、今だけでも幸せな顔をして………




