16話
カーネはただ走る。
「ティファ様…どうか無事でいて下さい……」
不安溢れる想いを抑え懐かしいあの屋敷へと走り続ける。
そんな時、ふと頭に最近見た夢の光景が過ぎった。
あの屋敷に戻り、ティファニーの部屋へ行ったあの夢。
そこで待っていたのは…………。
ひどく胸騒ぎがするせいか、否応なしにカーネのスピードは上がる。
「見えたッ!」
物凄いスピードで走った先に見えたのは今も昔も変わらないあの屋敷だった。
唯一違ったのは……
「どうなってるんだ……!」
紅く燃えていた事だろう。
※
火の粉の舞う屋敷の中をカーネは突き進む。
「ティファ様!ティファ様!どこですか!!返事をしてください!」
屋敷の中はかなり火の手がまわっておりむせ返る程の熱気がカーネの肺を焼く。
「ティファ様!!ティファ様!!」
至る所でバキバキバキッと崩れる音が響きカーネの不安を煽る。
奥に進むにつれて火の勢いが弱まっている事からまだティファニーの寝室は燃えていないのが分かるが、それでもここには恐らくグレイシア達が来ている。
そして何より、カーネの頭にちらつくのだ。
どんなに屋敷の中を歩いても使用人達に会うこともない人の気配のない屋敷。
一人進むカーネ、そして寝室にたどり着いた時に居た人間。
ソイツが持っていた者は………。
「ティファニー様!!!!」
溢れ出す不安を抑えられずカーネは叫ぶ。
そんな事あってたまるか!もう一度立ち上がると決めたんだ!
今度こそティファ様を助けて幸せに生きるんだ。
ティファ様と2人で自由に幸せに…
カーネは己を奮い立たせるために1歩また1歩と進み続ける。
最後の扉に手をかけた時、聞き取り辛かったが微かに聞こえた。
間違えようの無いティファニーの声で「助けて…」と、小さな叫びがカーネの耳を打つ。
「ティファ様ーー!!」
カーネの蹴り足がティファニーの寝室の扉を蹴飛ばす。
吹っ飛ばされた扉は部屋の中に突っ込んでいき。扉の向こうの剣に真っ二つに切り裂かれる。
やはりと言うべきか扉の先にいたのこちらにを向ける『陰剣』、そして扇子で顔を半分隠しこちらを睨むグレイシアだった。
ティファニーは床に踞り首元を抑えながら呻き声を上げていた。
顔色は青を通り越して浅黒くなり始めており酷く痛々しく目に写った。
「ティファ様から離れろッ!!」
酷い状態のティファニーを目の前にし、一瞬でカーネの怒りは有頂天に達する。
しかし、グレイシアは答えない。
『陰剣』は目を伏せたままじっとカーネに剣を向けている。
その切先は熟練の者にしか分からない程ではあるが震えている。
「聞いているのかッ!!ティファ様をこれ以上苦しめるなと言ってるんだッ!!」
ティファニーは首を押さえ蹲っているせいか未だにカーネの存在に気付いていない。
グレイシアは何も言わず、パンッと音を立てて扇子を閉じる。
その表情は激しい怒りに濡れていた。
「どいつもこいつもこのフランジット家次期当主の命令を無視して……腹立たしい……」
ヒュンと音を立てグレイシアの扇子が振るわれる。
振るわれた扇子は『陰剣』の肩に当たりバシッと音を立てる。
そして、二度三度とグレイシアは『陰剣』の肩に扇子を振り下ろし、八つ当たり気味に殴打する。
「なぜっ思い通りにっならないッ!!………なぜっ皆っ逆らうッ!!………私が…私が………一番偉い筈なのにッ!!」
『陰剣』は何も言わず成すがままに叩かれ続ける。
「はっ、あんたが偉いもんかよ。人にさせるばかりで自分で出来る事なんて殆ど無い、そして何よりもしてもらって当たり前みたいな顔してるやつが偉いわけないだろう?」
「黙れッ!!」
一際強く扇子が振り下ろされる。
バギィという音と共に扇子は折れ、その勢いのまま先端部分が飛びカーネの前に転がる。
「こんな最後にしっぺ返しを喰らうとは思わなかったわ………。
馬鹿にしてる、実に不愉快だわ。
『陰剣』も肝心な時に役に立たないし、あの怪しい呪術師も使えない……
こんな餓鬼1匹捕まえられないなんて……」
グレイシアは駄々をこねる子供のようにその場で暴れる。
暴れるたび振り回された拳が『陰剣』に当たるが『陰剣』は避けることもせずにただ黙ってカーネに剣を向けている。
グレイシアは最後にバシンと折れた扇子を『陰剣』に叩きつけると、ヒステリックに叫ぶ。
「最後のチャンスよッ!!そいつを殺しなさい!!」
『陰剣』はやはり気乗りしない様子でチラリと後ろを振り返ると、
「………了解」
と、ただ一言呟き剣を構えた。
『陰剣』サイロス・ハミングにはシャーリィー・ハミングという年の離れた妹がいる。
元々、サイロスはどこにでもいる一般的な冒険者の1人だった。
早くに両親を亡くし、妹を守る為に始めた冒険者稼業は初めの頃は安定せず、金を得られなかった時は最低でも妹の分だけパンを買い、自分は水だけ飲んで誤魔化していた。
「お兄ちゃんだけは働かせられない!あたしも働く!」
夕食を水だけで済まそうとするたびにシャーリィーはそう言って頬を膨らませた。
「はは、ありがとシャーリィー。
でもお兄ちゃんは大丈夫だ!今は俺がちゃんと食わせてやる。
だから今は気にせず立派なレディーになれるように頑張ってくれ」
そして、その度にサイロスはそう言って妹の頭を撫でてあげていた。
そして、ある程度安定し、普通の生活が出来るようになった頃を境にサイロスの周りが変わり始めた。
サイロスの野郎最近金の回りがいいな、別嬪の妹がいるらしいぞ、そろそろ上級冒険者に上がるらしい、孤児のくせに生意気だな……。
決して好意的では無い周囲の変化にサイロスは苦悩する。
このままではきっと良くない事が起こる、妹を守りきらない日が来るかもしれない……。
ならばどうするか、そこで考えたのが技を磨き、力のみで来る強引な輩を退ければ良い、そして、後輩を鍛える事で味方を増やしていけば良いのだ、と。
そうして出来上がったのが『陰剣』だった。
慢心し横暴を働く者を諫め正しい道に導き、困窮に喘ぎ罪を犯しかけた者に救いの手を差し伸べる。
そんな事を繰り返すうちに周囲の妬みの視線は減り、好意的な視線が増えていった。
しかし、大きな力には危険が伴うものだ。
遂に、恐れていた事が起こった。
ある日、サイロスは思っていたよりも仕事が早く終わり、いつもより少しだけ早く帰路についていた。
しかし、サイロスを迎えたのは荒らされた部屋と時間と場所が記された置き手紙、そして静寂だった。
サイロスは目の前が真っ暗になった。
とうとう恐れていた事が起こってしまった…
サイロスは着の身着のまま手紙を引っ掴んで家を飛び出した。
妹を救うべく辿り着いたその場所にいたのはグレイシア達だった。
妹を人質に取られたサイロスはグレイシアに従うことを余儀なくされた。
その数日後だった、カーネとティファニーに出会うのは。
「カーネ、俺は俺の為にお前を斬る、だからお前もお前の為に俺を斬れ」
『陰剣』はいつもと変わらない屈託のない笑みで笑う。
カーネはただ静かに雅桜を抜いた。
「最後の稽古だ。殺す気でかかってこい」
『陰剣』から背筋の冷える様な鋭い殺気が突き刺さる。
カーネは動揺すること無く構え、『陰剣』
の物よりもより濃密な殺気で返す。
カーネの殺気を受けて『陰剣』は思わず1歩退いてしまう。
『陰剣』から自嘲げな笑みがこぼれる。
この短期間でここまで成長してくるのか、俺じゃ敵わないだろうな。
悔しさと誇らしさが一緒になった様な奇妙な心地の中『陰剣』はカーネに斬り掛かる。
それは今まで『陰剣』がやって来なかった攻めの剣だ。
カーネに到達する五秒の間に数え切れない程のフェイントを織り交ぜ袈裟斬りに襲いかかる。
カーネはフェイントに一切引っ掛かることなく雅桜を一閃する。
『陰剣』の剣が切り裂かれ金粉へと姿を変える。
「ッ!!」
『陰剣』は咄嗟に剣を手放し予備の短剣を構える。
「とうとうここまで来やがったか……。
初手で剣を壊しに来るなんて全くえげつないねぇ」
「全部師匠のお陰だよ……。
だからこそ、俺は師匠をちゃんと斬らなきゃ……いや、殺さなきゃいけない。
俺が生きる為に、ティファ様と共に生きるためにッ!!」
カーネはたった1歩の踏み込みで最高速に達し、『陰剣』の後ろを取る。
『陰剣』も読んでいたのか片足を軸に姿勢を反転させ、カーネに喰らいつく。
「“亜高速”」
が、カーネは『陰剣』の後ろを取ると同時に強化系魔術を発動させ、『陰剣』を振り切る。
その一瞬の内に雅桜を二閃、三閃させる。
「おおおおああああ!!」
初撃は躱せなかったもののほぼ死角から飛んで来た刃を何とか躱す。
「ぐっ、当てられちまったか」
躱し切れなかった脇腹の傷が血が流れるように黄金へと変貌していく。
『陰剣』はニヤリと笑う。
そう、それでいいんだ。お前はもう俺を超えているはずだ。
死に損ないに引導を渡してくれ。
だって……それが俺に出来る……
『陰剣』の捨て身の刃がカーネを襲う。
雅桜を振り切り死に体のカーネは躱す事が出来ない。
────バギィィィィッ!!
『陰剣』の刃がカーネの肩に突き立てられた。
しかし、音を立てて折れたのは短剣の方だった。
体制の崩れた一瞬の隙を突き、カーネの雅桜が走り抜ける。
最後の償いなんだから………。
『陰剣』の胴が半ばまで切り裂かれる。
血は迸らない。
しかし、身体の中心まで裂かれもう立ち上がる事は出来なくなってしまった。
ここに、決着はついた。
カーネは感動の様な動揺の様なよく分からない感覚を味わっていた。
『陰剣』に勝った。否、『陰剣』を殺してしまった。
本来喜ぶべき事の筈なのに何故か素直に喜べない。
この気持ちを表現するならば、勝ったと言うよりも勝ってしまったと言った方が近いのかもしれない。
カーネは静かに『陰剣』を見下ろす。
既に千切れかかった下半身は完全な黄金に姿を変え上半身も胸の辺りまで変化している。
ああ、これはもう助からないんだな……
カーネは、『陰剣』をぼぅっと見下ろしながらそんな事を思う。
『陰剣』は笑っていた。満足げに、誇らしげに、どこか遠くを見つめながら。
「これでやっと終わる。
長くて辛くて楽しくもない時間が終わる。
だから、そんな顔をすんな、カーネ。
俺に勝ったんだ、もっと喜べ」
「でも、師匠はそれでいいのかよ……
妹さんはどうすんだよ……」
泣いてるような怒っているような、そんな顔でカーネは『陰剣』を見下ろす。
「アイツはなぁ、とっくの昔に死んでんだ……
ま、俺は信じたくなくてこんな事を続けていた訳だがな……」
『陰剣』は自嘲げに笑う。
「そんな……」
「気にすんな、どうでもいい事だよ」
『陰剣』は首の辺りまで黄金に変わり果て、残りの時間が無いことが分かる。
「カーネ…後悔だけ…はすんな……よ」
『陰剣』は掠れた声でカーネに笑いかける。
その笑顔は、今まで見てきた中で1番綺麗なものだった。
「俺は……妹の所へ………」
『陰剣』は視線をカーネから外し虚空を見上げる。
その瞳に何が写ったのかカーネには分からなかった。
しかし、『陰剣』は僅かに瞠目すると、飛びっきり優しく微笑む。
「シャー………リィー……お前…迎えに……」
横たわる黄金像が一つ完成した。
カーネは惜しむように目を瞑ると雅桜を一閃し黄金像を金粉に変えた。
カーネ自身何故そんな事をしたのかは分からない。
だが、このまま放置し好事家に買われるのが嫌だった。
風に乗って金粉が部屋を舞う。
ふと、何かがカーネの頬を撫でたような気がした。




