魔王城に就職しました
複雑で巨大な城の最上階。
辿り着いた、だだっ広い玉座の間には屋根がなく、透明で濃厚な、魔力層で覆われていた。
城は山の頂にある。
濃い瘴気の雲が作り出す層はここより下にあり、最上階の空は晴れ渡っていた。
ぬけるような青空が無駄に美しかった。
黒髪と赤目、巻き角を持った男との戦闘に突入して半刻ほど経っただろうか。第二形態へと変形を遂げた魔王は、人型から巨大な竜へと変貌している。
漆黒の光を吸い込むような鱗は固い。
数度打ち込んだだけで、神殿の祝福を受けた俺の剣は、鱗に傷の一つも付けられずに根元から折れた。
雷撃の魔法は、空が直ぐ近くに見えるというのに、覆われた魔力の膜に阻まれてさっぱり届かない。さっきから精神力ばかり消費して、地味に疲労する。
凄いな、第二形態。
隣国の勇者が第三形態まで辿り着いて惜しかったとかいうの、ホラじゃねえの? 結局帰ってきてないわけだし。
光速の勇者と呼ばれてたが、夜の方も光の速さだって言われてたな。
思考の中に地の性分が顔をのぞかせる。
『勇者』なんて、そもそも俺のガラじゃないんだよ。
仕方ないから諦めの溜息を一つ吐いて、慣れ親しんだ暗器を取り出した。
手に馴染む二本のダガー。
故あって仲間の前では隠していたが、今はその仲間とも城内ではぐれて独りきりなのだ。躊躇う必要なんかないだろ。
俺は、特製の毒をたっぷり塗った刃を構え、地面すれすれを滑るように走った。
――まあ結局こうなるわな。
陸に上がった魚のように無様に横たわる。目の前の竜は片眼から血を流しながら、それでも首を傾げるようにして、崩れ落ちた俺を見ている。
今の俺は、さぞや滑稽なのだろう。
魔王の爪は鋭く、鍛冶職人の傑作の業物みたいだ。
前足の一番端にある爪が引っかかっただけだというのに、左腕はごっそりと肉を削がれた。
もう少し深ければ骨ごと引き裂かれていただろう。ラッキーだった。
深くはないけど神経は切れてるし、血はいっぱい出てるしで、結局使い物にはならないんだけどな。
痛みを耐える訓練に慣れてるとはいっても(本音は慣れたくない)、痛くないわけじゃないんだ。
血が流れすぎて、頭もぼうっとしてきた。
本気のダガーを出したってのに、魔王の片眼を潰すのがやっとだった。毒なんか効いてない。
「これで……仲間もいりゃあまだ、なんとかなるんだが……」
げほっ! と喉に溜まった血を吐きながら独り言を呟く。
「なりませんよ~。うちの社長は第十形態まで宴会芸があるんですから。それに、あなたのお仲間さん達なら、もう捕まっちゃってますし」
軽やかな声が返ってきた。
鈴を転がすような。場にそぐわないかるーい少女の声だった。
え? 魔王って、女? いや、竜なら雌か?
それにしたってちょっと声だけ可愛すぎだろう。
というか、宴会芸ってなんだ。そもそもシャチョウとはなんだ……。
竜の背中から、ひょっこりと少女が顔を出す。
十歳くらいの女の子。
俺の目の前で、みるみる人型に変化した魔王は、少女を片腕に腰掛けさせるように抱いて立っていた。
「……聖女様」
驚愕しながら声を絞り出す。
彼女はこの世界の聖女エリルスフィア。
魔王に攫われた女の子。
腰まで届く銀の髪と、空のような青い瞳をした聖なる乙女。
大神殿が躍起になって、国々が勇者を立てる理由。
「あ、それ辞めたんです。今は魔王城で社長の秘書やってます。なので現在の大神殿の業務体系は私とは一切関係ありません。ちゃんと引き継ぎ出来るように辞表は二週間前に書いて提出したし、神殿長以外の皆からはお別れ会だってこっそり開いてもらったのに。神殿長、あいつだけは! ゆるせんっ」
突然聖女が早口で話しはじめた。
ええっと。とりあえず……シャチョウノヒショってなんですか?
これが俺と社長、そして社長秘書エリルスフィア姐さんの面接場面だった。
・・・・・・・・・・
「もうほんっと、いい加減にしてくんないかな!? ここの神様! ていうか、あのエロ神殿長っ!!」
ダンッ。
銀の髪の麗しい少女――エリルスフィアが、グラスを乱暴にカウンターに打ち付けた。
マスターは、グラスが割れて彼女が怪我をしないか心配してる。
今日も社長秘書はご機嫌斜めだ。
なみなみと注がれた赤紫の液体がはねて、彼女の真っ白な衣服にシミを作った。しかし、そのシミはすぐに溶けるように消え、何も残らない。染み抜きいらず。
聖女の奇跡の無駄使いってやつだ。
因みにグラスの中身はただのブドウジュース。
お酒は成人してから。これ、魔王城の常識なんで。
「ねえ聞いてる、ニケくんっ!」
「あ、はい」
「声が! 小さいっ!」
「はい!! スフィア姐さんっ」
「うむ、よろしい!」
酔っ払いは声が大きい。これも魔王城の常識。
それが例え、ブドウジュースでも。
ここは魔王城の中のバーの一軒。
上司の愚痴を聞くのも経験のうち。部下の務めだと言われて、先輩営業の元光速の勇者に、このくだを巻く社長秘書を押しつけられた。
これで何度目だろうか。
我らが社長秘書、スフィア姐さん。
見た目年齢十歳ですが、みんなの姐さんです。
俺? 俺の今の肩書きは、魔王城の新人営業の元勇者ニケ。
営業です。
大事なので二回言いました。
「酒っ! この身体じゃ酒が飲めないんだってばあああ!!!」
今日も上司は通常運転です。
…………誰か助けて。
聖女エリルスフィア。
彼女は俺たちの世界の創造神を崇める一神教、その大神殿に選ばれた聖女だった。大神殿は神の声を唯一伝えるという聖女を崇め、奉る。この世界にある数多の国、全てが信じる唯一の宗教だ。
その大神殿奥に秘されていたはずの聖女が魔王に攫われたのが十年前。
それ以来、各国は勇者と呼ばれる神殿より加護を受けた人間を、魔王の城に送り込んだ。
彼女は何物にも染まらない、聖なる存在。
十歳ほどの外見で、歳を取らず無垢な器。
彼女が身につけた品は聖物となり、服は白く、装飾品は銀色に輝く。
「だからさぁ。私だってもうちょっと職場環境がマシだったなら、頑張って我慢しようかなって思ってたわけよ。実際十年くらい我慢してたし」
「わかります」
光速で相づちを挟んでおく。上司の絡み酒には素早い相づち。先輩から教わったテクニックだ。教えてくれた元光速の勇者先輩は、最近相づちが早すぎるって叩かれてたけどな!
この話、十回は聞いてる。
職場環境ってのは、彼女が十年前まで居た大神殿のことだ。
「なのに! 制服が白一色。そこはまだいいわ。前世でも制服ある職場もあった。でも私服も強制白なのよ。私が触ると洒落たグラデの生地とか全部白くなるの。目の前で染め上げ職人の悲痛な笑顔とか見ちゃうし! あれ絶対心で泣いてたと思う。……神殿長のオッサンは「また奇跡がっ」とか言ってはしゃぐし。私が触った物、密かにコレクションしてるし。出奔するときマジで髭全部抜いてやれば良かった」
前世で異世界の『あらさーおーえる』という職業に就いて、その記憶を未だに持っているというスフィア姐さんには、これが耐えられないらしい。
触れた物が白か銀になるって、軽く呪われてるしなあ。
「それに、仕事終わりの冷えたビールと枝豆。それが私の週末の楽しみだったのよ。枝豆は何とか再現出来たけど、ビール! 黄金の飲み物! お酒が飲めないのいやあああああ」
「はいはい、永遠の十歳ですもんねぇ。ひどいっすよね」
おざなりに慰める。いや、ほんっと会話ループきついんだって。
「もうこの際、飲んでもいいかなって。こっそり飲んだこともあるんだ」
こちらを向いたスフィア姐さんが真顔で言う。
「……えぬじー発言っす」
一応、大人としては止めねばならんのよ。
大人と言っても、俺もほんの二十だがな!
「でも浄化されて、ただのホッピーになったのおおおお!」
またカウンターに突っ伏してしまった。
ホッピーはわからんが、彼女の今飲んでいるブドウジュースと同じだろう。あれだって、もとは営業課長(もちろん元勇者)がどこぞの国から仕入れてきた貴重な葡萄酒だった。
スフィア姐さんが触れるとブドウジュースになる。
もうこれ完全に呪いだな!
「しかも神殿長は何度蹴ってもセクハラを止めないし! それどころかフーフー言いながら頬染めるの、最凶にキモい」
思い出したのか、姐さんがぶるりと震える。スフィア姐さんの銀の髪を編むのは神殿長特権とか言って、毎日触っていたらしい。
「俺の妹が思いっきり張り倒した時も、前屈みになってフーフー言ってましたよ」
隣で俺も遠い目をした。
俺と妹は、神殿お抱えの暗殺者だった。
孤児だったが、兄妹揃って器用だったお蔭で職にあぶれずに済んだ。もちろん喜んでいい職業とは言えないんだが、野垂れ死ぬよりはましだろ。
ある時報告で神殿長の目の前に出る羽目になったとき、あいつが妹の髪に触れたのだ。妹は俺と同じ赤髪だが、綺麗に手入れされた、艶のある髪をしてた。あのオッサン髪フェチか……?
俺の妹は、勝手に触れる人間には半自動的に裏拳を食らわすちょっぴりお転婆娘である。そして無言で後ろに立つと抹殺に走る。
彼女の裏拳は、成人男性を簡単に沈める。
神殿長、なんで触れたし。
で、二人して左遷というか、死出の旅路に出されたというか。
ちょっと勇者やって魔王倒してこいと、放り出された。
その場で殺すには、惜しいと思ったのだろう。
仕方なく、回復役の青年司祭と、どこぞの国から生け贄的に差し出された騎士と、暗器を封印した俺と妹で、即席パーティとして旅立ったのだ。
この十年で魔王と協定を結ぶ国がちらほら出ているし、協定を結んだ国は目に見えて皆栄えている。
大義名分の『勇者』を名乗らせる駒が足りていなかった。
戦争するにも理由は要るからな。
まさか自分から辞表置いて辞めてった聖女を取り戻したいだけなんて、言えないよなあ。
知ってたら誰が手伝うか。まったく。
そうそう、妹は元気に魔王城で働いてる。
俺のパーティだと、妹に惚れてた司祭と、妹が残った。
残念ながら騎士は首を縦に振らなかったので、淫魔のお姉さんの福利厚生要員にされているらしい。
ちょっと怖いので様子は見に行ってない。
随分従順になったとは、妹経由で訊いたが。
……首輪でお散歩が好きらしい。
その情報知りたくなかったぞ、妹よ。あいつ、一応南の国の王族だったのになぁ。
司祭は診療所担当。回復魔法はどこでも食いっぱぐれない職業だよな。
そして妹は魔王城の門番をやってる。赤髪の悪魔なんて二つ名まで付いてるらしい。
おかしい。
俺の妹、人間なのに。
俺が営業で妹が門番って、おかしいよね。
さて、俺の仕事はというと、さんざん言っているが営業である。
直の先輩は勇敢に戦って散ったと吟遊詩人に歌われていた、光速の勇者。そう、夜の方もちょっと早い先輩だ。ちなみに仕事も早いんだ。少しは褒めておかねば。あの人耳も早い。
スフィア姐さん曰く、各国のお偉方、特に王族や貴族のところに顔出すのに、俺たちくらい『ねーむばりゅー』のある営業もないそうだ。
確かに、出身国なら顔を知らない王族なんていないわな。
勇者を選定して謁見して送り出してるんだし。
俺たちが売る物?
魔王に攻め込まれない安全、である。
自分たちが送り出した、国一番の勇者が寝返って顔を出すんだ。
こんな恐ろしいことってないよな。
うちのスフィア姐さんは、まっとうに再就職したのに、前の職場の上司に『すとーきんぐ』されてるんですよ。だから、喧嘩する必要ないでしょーって、優しく説明してあげるのだ。
プラス、こっちに付いたら良い物買えるよって取引も持ちかける。
それは上の城より広大な、魔王城の地下に広がる直営工場で作られる、加工品である。
なんでもスフィア姐さんの前世の世界と比べて、この世界の人間の衛生感覚と知識は底辺らしい。特に夜関係。
比べて魔王城は淫魔という、その分野が生き死にに直結する種を抱えているだけあって、ずっと進んでいる。
それを、各国に売り込むのだ。
貴族も含めて、性病にかかってるやつすっごく多いんだってさ。みんなそっち方面の話を聞いて乗り気になるから、死活問題なんだろう。
光速先輩のところの王子なんて、王から性病受け継いで、生まれたときから病にかかってたそうだ。
実はけっこう、深刻。
「神殿長の毛根、今この瞬間に死んでくれないかな……」
突っ伏したスフィア姐さんが呪詛のように呟く。
但しその声は祝福を受けているので鈴を転がすように甘い。
「ついでに下の方も永遠に機能停止すればいいんすけどね」
俺が続けて呪詛を呟く。
俺には真実にする真言は使えないが、元勇者の呪詛ってことで叶わないだろうか。
俺たちは固く握手を交わすのだった。
前世あらさーおーえるのスフィア姐さんは、そもそもこの世界の神様が嫌いだそうだ。
頼んでいないのに、記憶を残したまま転生をさせ、しかも歳をとらない少女姿で、大神殿へと送り込まれた。
最初はどんな幸運かと思ったらしい。
「チートひゃっほうと叫んだ自分を殴りたい。いいや、今ここで殴ってええええ」
えぐえぐ泣きながら姐さんが叫ぶ。
いや、姐さん殴ったら、俺社長に殺されますって。
それでも、大神殿の腐りきった構造を以前働いていたカイシャと比べ、改革に乗り出そうとした。
けれど、トップは神殿長。
この神殿長は、幼い少女と髪が大好きな変態だったのだ。
セクハラにつぐセクハラの嵐。
スフィア姐さんのいたカイシャのばーこーど課長だって、もうちょっとマシだったらしい。
で、愛想を尽かして神殿と対極にある魔王城に乗り込んだ。
復讐するにはライバルに就職しようと決めたらしい。
彼女曰く、転職の自由は誰にでもあるってことだ。
スフィア姐さんはそこで、仕事は実直、部下からの信頼も厚い。
しかしイメージ戦略に疎い魔王、つまり現社長を盛り立てることにした。
『この城の全権はスフィアのものだからな。スフィアを怒らせると恐ろしいぞ』これは俺がなんだか命がけだった就職面接試験(最上階の死闘は、面接だったらしい)で社長に言われた一言だ。
「部下を褒めてあーんなこと言ってくれる社長なんて、そうそういないのよ。社長はやっぱり器が大きい」
と、スフィア姐さん。
でもあれ絶対社長の本音だと思う。
「目指せっホワイト! 優良企業!」
そう叫んで、スフィア姐さんが落ちた。
祝福により酒は一滴も飲めないので、お子様の活動停止タイムである。つまり、ただ眠くなっての寝落ちだ。
神殿長排除が目標で、各国に夜のお供を売り歩くカイシャとは、果たしてホワイトなのだろうか。
でも、この魔王城が楽しいところなのは、確実だ。
「スフィアはもう寝たか?」
「あ、はい。社長」
音も無く近づいた影が、人の形を取る。
魔王様こと、我が社の社長だ。
あ、違うか魔王が本業か?
実はさっきからずっと気配はあったのだ。スフィア姐さんは気配とか戦闘向きじゃないから気付かないけど。
姿が見えないときは、大抵スフィア姐さんをすとーきんぐか、ちょっと悪さをしに行ってるときだったりする。
もちろん、どっちも姐さんは気付いてない。
社長は慣れた手つきでスフィア姐さんを抱き上げると、肩口に頭を乗せてやり、ぽんぽんと背中を撫でた。
なにやらムニャムニャと寝言を言ったスフィア姐さんは、盛大に涎を黒いマントに垂らしている。
姐さんの浄化が唯一効かないもの。
それはこの社長。
彼のマントは白くならない。
決して歳を取らない二人。
対極っていうのは、この二人そのものへの言葉じゃなかろうか。
魔王城には表の社訓と、裏の社訓がある。
表は「目指せホワイト」
裏は「スフィア姐さんに接するときは、孫を愛でる祖父の気持ちを忘れずに(あんまり近づくと、嫁に取り上げられる)」
誰だろう、この社訓考えたの。
知らないのは、スフィア姐さんと社長だけだ。
てか、知られたら殺される。
姐さんを抱え直しながら、めっちゃ幸せ噛みしめてる強面社長を生温かい目で見送った。
きっと大神殿壊すのも、神殿長消すのも、この社長が一人で出来る。
でも独りじゃやりたくないんだ。
スフィア姐さんと二人で、やりたいんだ。
それを彼女の手がらにして、外れない枷にしたいんだろう。
離職なんて死んでもさせない気だ。
あの孤独な赤目の黒竜は。
「ま、スフィア姐さんだしな。何とかなるか」
考えたって仕方ない。
大神殿をどうにかしたら。
永遠の少女じゃなくなったら。
それは、エリルスフィアの考えること。
俺はマスターにグラスを掲げ、おかわりをお願いした。
お読み頂きありがとうございました!
今月の魔王城スローガン
「お酒は二十歳になってから」