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裏柳生の追跡

 猫乃介は自分を尾行するものについて、何の心当たりもなかった。

 すでに大阪の地で豊臣は滅び、天下の趨勢は定まった時代において、忍びの果たす役割など知れている。

 故に忍びであるからという理由で目をつけられる覚えはない。

 特にどこかの大名に仕えている訳でもない、あえて言うのならば滅びた大名の遺児に私的に従っているのにすぎない彼のことを危険視するものがいようはずもない。

 では、個人的な怨恨か。

 しかし、元龍造寺一門に仕える忍びの家系であったというだけで、大した仕事をしたこともない使いっぱしりの彼のことを恨むものなど考えられない。

 しかも、故郷の佐賀を遠く離れた江戸において、である。

 猫乃介の頭脳はぶんぶんと猛回転したが、答えは一向に出てくる気配がなかった。


「仕方ないな。なんとかして、あやつらを撒くとしよう。何も知らない姫さまの元へ連れていくことはできぬ」


 ただ、問題なのは、あの腕利きらしいものどもを首尾よく撒けるかではなく、なんの不思議も持たれずに撒くことができるか、なのであった。

 忍びとしての神髄はどこまで自分の力を隠しきれるか―――偽装の技術にかかっている。

 戦いにおける技術としての忍術など、いかに優れていたとしても忍びの優劣を決めるものではない。

 猫乃介は、自分が忍びであるということは見破られていても、どこまでの才覚の持ち主であるかさえ見抜かれなければ大したことはないと考えた。

 つまり、吹けば飛ぶような下人だと思わせたままでいられれば、それは猫乃介の勝利なのだ。

 同時に、彼の仕える主人の元へとみすみす賊を案内するわけにはいかない。

 だからこそ、彼は自然に疑われることもなく尾行を撒くことだけを考え出した。

 どうればいいのか。

 そのために、猫乃介はまず通りを歩いていたやくざ者らしい男に目を付けた。

 町人風の着流し姿だが、腰に長い刀をぶら下げているので一目瞭然だった。

 この時代、武士以外にも帯刀をしているものはいるが、大通りを堂々と歩くものはやくざか性質の悪いばくち打ちと相場が決まっていたからだ。

 猫乃介はすれ違う寸前、くいっと手首を捻った。

 祝いものの招き猫のように。

 すると、やくざ者の手が動き、彼の肩にぶつかった。


「なにをしやがる、このどサンピンが!!」


 やくざ者は肩が触れたことで激昂する。

 ぶつかったのは彼の方だというのに、猫乃介の気弱そうな顔つきに調子に乗ったのだろう。

 明らかに自分に非があるというのに、それを忘れたかのように食って掛かってきた。

 無法であったとしても、力の誇示をするために顔を真っ赤にしてまで怒鳴りつける。


「ひっ、お許しを」


 猫乃介は土下座して赦しを請うた。

 それで場が収まるというのならば額を地面に擦り付けるなど容易い真似だった。


「すみませぬ、すみませぬ―――!!」


 這いつくばって謝罪の言葉を連呼する。

 あまりにも必死な形相に絡んだやくざ者までが言葉を無くすぐらいに惨めな姿であった。

 そして、やくざ者が怯んだすきに、今だとばかりに立ち上がり、路地裏へと駆け出していく。

 やくざ者どころか、やじ馬たちまでが呆気にとられるほどの脱兎のごとき逃走であった。

 これほど鮮やかな逃げはそうそう見られるものではないだろう。

 やくざ者が気がついたときには影も形も見えなくなっていた。

 しかも、意表を突かれたのは猫乃介を見張っていた裏柳生の忍びたちも同様であったのである。


「おい、逃げられたぞ!」

「しまった! 追うぞ!」


 だが、三人の裏柳生が慌てて追ったときには、すでに猫乃介は完全に江戸の市中に消え去ってしまった後であった……。

 こうして、猫乃介はまんまと尾行者を出し抜いたのである。



       ◇◆◇



「しまった。……まさか逃げられるとは」


 散々周辺を探し回った後、どこにも猫乃介の姿を発見できなくなったことから、裏柳生の一人が地団太を踏んで悔しがった。

 まさか、あの程度の忍びの端くれに尾行を撒かれるとは。

 ここ数日間、江戸市中を捜し歩いてようやく見つけた相手が、ごく普通の下人のように主人のための食い物を買い歩き、町人たちとバカ話をするだけの小者だと知って侮っていた。

 絶対にこちらの存在に気づきもしないだろうと思っていたのに、ここまで見事に出し抜かれるとは……。


「いや、あれは偶然だろう。あの下人にそんな知恵が回るとは思えぬ」

「そもそも俺たちの尾行に気がついた様子はなかったぞ。あの揉め事も、やくざ者から仕掛けたものだしな。あやつに土下座させて金をとろうという魂胆だったのをわかっていたから逃げたのだろう。やくざごときに本気で忍びの術を使う程度の小者で間違いあるまい」

「しかし、面倒なことになった。また、あやつを探して江戸を駆けずり回る羽目になるのか」

「それは仕方あるまい。こま姫という龍造寺の女が江戸にいることを確認できたと思えば前進したともいえる。あの猫乃介という忍びについては、鍋島の家中の者から報告を受けていることだしな」


 裏柳生のものたちは自分たちの失敗を頑なに認めようとはしなかった。

 認めるとあの猫乃介に出し抜かれたことになるからだ。

 それは忍びの誇りが許さない。

 あんな吹けば飛ぶような下人に天下の柳生が出し抜かれるなぞ……。


「まあ、あやつの行動は把握した。すぐにもう一度、見つけることができるだろう。そうすればこま姫の隠れ場所もつきとめられるに違いない」

「……だが、あの下人、確かに忍びであったな。こま姫という女、忍びを供につけられるほどのやんごとなき身分なのか?」

「いや、確か俺が聞いたところによると、その姫が童であった時分に鼠に襲われたことがあったらしい。鼠が怖くて外に出られなくなった姫のために、猫の名前を持つお供をつけることにしたのだそうだ。まあ、お守りの代わりだな」

「それであの忍びか。猫という名がついているというだけで選ばれたということか。くだらん。やはり、程度の低い下人なのだろう」


 一人が吐き捨てた。

 忍びであるとはいえ、一流の剣技を身に着け、柳生家の禄を食むものとしては、名前だけで偶然取り立てられたようなものを相手にすることすらつまらないことであった。

 こま姫との出会いについての逸話を聞いただけで、裏柳生のものたちは猫乃介を完全に過小評価し軽んじた。

 これまで以上に侮りの対象と思いこんだのである。


「とはいえ、魚市場からここまでの道のりを考えると、神田馬喰町の方に向かっていたようだな」

「さいずち長屋の方か? いくらなんでも龍造寺一門の姫がそんな喰い詰めた町人の吹き溜まりにいるとは思えんが……」

「墨田の川のほとりに、旗本の妾やらを住まわす屋敷があったはずだ。あそこはいわくつきの女を匿うには絶好の場所だぞ」


 男たちは少し考えたのち、


「よし、三左衛門は宗矩さまに報告をしろ。俺たちはあの下人のあとを追う」

「応」


 一人が反対側に消えると、残りの二人は足並みを揃えて、飛ぶがごとくに目掛けて消えていった。



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