お昼休みの中庭――出会って数時間でキス?――
昼休み――。
俺は学食でランチを済ませると、腹ごなしに中庭を歩いた。
今は一人だけど、そのうち誰かと一緒に昼休みを過ごせるようになれたらいいな。
しばらく歩いていると、花壇に沿った遊歩道を能見さんが歩いているのに気づいた。
まわりにたくさんひとは居る。
しかし小学生みたいな体型にピンと跳ねたツインテールは、どこに居てもすぐ目立ってしまう。
あれだけツインテールの似合ってしまう高校生はそうそう居ないだろうから、おそらく誰も能見さんを前にしては、同じ髪形にしようなんて思わないだろう。
俺は午前の授業中、退屈しのぎに、机に頬づえついて能見さんを観察していた。
能見さんはわりと真面目だ。授業中に寝るなんてことはない(まあ午前中だしな)。
何種類かのカラーペンを使い分け、ノートにアンダーラインを引くこともおこたらなかった。
教師が黒板に書いたながーい英文も最後まできっちりノートに書き写す。
黒板の下の方に書かれた文字は、人の頭が邪魔で見えにくいのか、そんな時、背の低い能見さんは必死に首を伸ばす。
アゴを上げて、少しでも目線を高く持っていこうとする。
横の俺からは、能見さんのオレンジグミみたいなくちびるが、ほんの少しだけ開けて、真っ白な歯がのぞいているのが見えた。
カッカッカッカン――。教師が黒板をチョークで叩く音が響いていた。
俺がこれだけまじまじと見ていても、能見さんは気づかない。
それくらい授業に集中していた。
でもちょっと調子に乗り過ぎたのか、能見さんはやがて俺の視線に気づくと、ミツバチが刺すような視線を俺に向けてきた。
俺は苦笑いでごまかしつつ、前を向いた。
「ふんっ」
能見さんは不機嫌をあらわに、ぷいっとそっぽを向く。
(嫌われるいわれはないはずなんだ。せめて、あのとげとげしい態度くらいはやめて欲しいなー)
俺は心の中で思った。
そして今は昼休みの中庭――。遊歩道にて。
俺は前方を歩いている能見さんと一定の距離を保ちながら、声をかけようか迷っている。
すると、目の前を一匹の猫が横ぎった。
猫は俺の前で立ち止まり、ニャーン――人なつっこそうに鳴いてみせた。
「おいでおいで」
俺は猫が嫌いじゃない。
その場にしゃがみ込み、猫に向けて手まねきする。
その瞬間、強く風が吹いた。
木々をゆらした風が、音を立て、着ている服をはためかす。
まったく、春は風の強い日が多いな。
「おーー!」
ふいに、男子たちのさわぐ声が聞こえた。
なんだろう。俺は顔を上げた。
見ると、前方で、能見さんがスカートのすそをおさえていた。
ライトブルーのスカートが風になびいていた。
能見さんの太ももの裏側や、膝の裏のくぼみが見えた。
美少女のスカートをあおる強風に、まわりの男どもが歓声をあげたのだった。
そんな男たちには目もくれず、能見さんはいつものトゲのある目で、一直線に俺をにらみつけた。
その時、俺の膝もとに猫はもう居なかった。
つまり、スカートのすそを押さえる能見さんの真後ろに、しゃがみ込んだ俺が居るわけで。
これではまるで、能見さんのスカートの中を見るためにしゃがみ込んでいたみたいだ。
能見さんは怒った表情のまま、ツカツカと大またにこちらへ歩み寄ってくると、
「見たでしょ」
それだけ言った。
「み、見てないっ」
俺は言った。
嘘ではなかった。猫に気をとられているうちに強風が能見さんのスカートをめくったのだ。
「ふんっ。塚地緑奈が気に入るくらいだから、どんな見所のある男かと思ったら、とんだ変態野郎じゃないの。わざわざタイミングに合わせてしゃがみ込み、女子のスカートの中を見ようとするなんて」
「違う。しゃがんでいたのは猫が居たからで」
「はー?」
能見さんは信じてくれない。
溜息まじりに両腕を開き、「やれやれ」のポーズをとる。
「ねえ、どんな色だった? わたしのパンツ。白? それとも柄のついたタイプだった?」
「知らないったら!」
まずい。
このままじゃ冤罪をこうむり、変態のレッテルを貼られてしまう。
周りの全員から嫌われ、友達もできず、卒業まで陽の当たらない場所で過ごすしかなくなる。
ニャーン――木の陰から猫が顔を出した。
「なんだ、まだ居たのか」
俺が猫の方へ向くのに、能見さんも合わせた。そして、
「ふーん」
何かを見透かしたような目で俺を見た。
「あなた、緑奈とはどういう関係なの」
「どうって、今朝二人とも遅刻しそうなところ、道ばたでぶつかっちゃって……」
「うん」
「話しながら学校の前まで来てみたら、ぐうぜん同じクラスだと分かった……っていうだけだよ」
「そうなの。なーんだ。じゃあ緑奈とはまだ何もしてないわけね」
「何もって、なんだよ」
「そんなもの、恋人どうしがするようなことに決まってるじゃない!」
能見さんはツンとくちびるをとがらせると、人差し指を俺の胸に突きつける。
「そ、そんなの、あるわけないじゃないか!」
「何よ。具体的に何をするかなんて言ったわけじゃないのに、顔まで赤くしちゃって。やっぱりあなた、そういう経験ないんでしょ!」
「ほっとけ!」
「でも緑奈とは、できればそういう関係になりたいと思っている」
「うるせえよ! あのひととそんな関係なんて……まさかなれるわけないだろ!」
「でも心のどこかでそれを期待する自分がいる」
「いない!」
「……と言っている永堀フミヤが今わたしの目の前にいる」
「だからなんなんだよ」
「うーん……」
能見さんはアゴに手をあて、しばし思案したあと、小悪魔的な笑みを浮かべて言った。
「ねえ、キスってしたことある?」
「な、なんだよそれ……」
ない、というのが正直なところだが、正直に言ってもメリットはない。
俺は黙り込んだ。
「ふーん……」
能見さんの目がデレーっと垂れ、頬が紅潮してきた。
「キス……してみよっか?」
「な、お前……」
冗談はやめろ、と言う間もなく、
「ほら、んー」
能見さんが目を閉じ、うるんだくちびるを突き出してきた。
「どういうつもりなんだ」
「どうせ緑奈ともそのうちするんでしょ。それなら、わたしがあの子より先にしてやるわ」
意味が分からなかった。
「ほら早くー。今しないと、もうしてやらないぞ」
「そ、そうは言ってもな」
「最悪、このチャンスを逃したうえ、緑奈とも発展がなくって、ずっとこの先もあなた、チューなんか経験できないかもしれないよ」
能見さんがなんだかリアルに的中しそうな未来像を口にした。
そうだ。
緑奈だって本当のところ、俺のことどう思っているか知らないし、ただの友達のつもりかもしれないぞ。
目の前では電撃的美少女の能見小葉子が俺とキスするためにくちびるを突き出している。
ほっぺに手をやってそのままくちびるとくちびるを重ねてしまえば、俺は全男子生徒の羨望をほしいままにできるだろう。
だけれど――本当にそれでいいのだろうか。
「くっ……」
俺はどうしていいか分からず、目を閉じてしまった。
にぎったこぶしに力を入れたまま、その場で固まった。
「バァーカ」
「へ?」
目を開けると、顔をひっこめ、腰に手をあてた能見さんが俺を見ていた。
「冗談に決まってんじゃん。もう、ほんとにウブなのねフミヤは」
「フミヤって……」
いきなり下の名前で呼ばれるとは。
「何よ、緑奈だってあなたのこと下の名前で呼んでたじゃないの」
「それはそうだが」
「だったらね、わたしのことも小葉子って呼んでいいよ」
「は?」
「能見なんて名字、言いづらいでしょ」
「いや、ものすごく言いやすいけど。能見さんって」
「いいから名前で呼ぶの! 小葉子って!」
「わ、分かったよ……その、小葉子?」
「それでいいの」
ぷいっとアゴをあげた小葉子は、尊大な表情のまま、両足を軽く開いた。
「さっきフミヤ、わたしのスカートの中は見なかったって言ったけど、あれほんとね」
「ま、まあ。そうだけど」
信じてくれたか。よかった。
「ごほうびにね、見せてあげるわよ」
そう言って小葉子はスカートのすそに手をかける。
「バ、バカ! そんな軽々しく男に見せるな!」
小葉子の手が、スカートのすそを持ったまま、いきおいよく上げられた。
「おおおおお!」
われながら間抜けな声だった。
布一枚がめくれただけで日常から一気に非日常の世界へと飛んでしまう。
時が止まったような気がした。
「――あれ?」
下に穿いていたのはパンツじゃなくてショートパンツだった。
体育で穿く、側面に白のラインが入ったもの。
「そう。パンツじゃないって分かってれば、初めから見えなかったなんて嘘つく必要ないものね」
小葉子があげたスカートのすそを、元に戻した。
「それにしてもあなた、男らしくないわね。男だったらもっと喜んで、食い入るように見なさいよ」
「いや、そんなこと言われても……」
俺は確かに健康な男子だ。
でも小葉子も女なら、もうちょっと自分の身体を大切にできないのか。
パンツだろうがショートパンツだろうが、男の目の前でスカートをまくるなんて。なんか違う気がする。
「じゃあわたしもう行くから、話しかけんなよバーカ」
ここまで喋っといて、なぜか小葉子はそう言うと、にくったらしく「べー」と舌を出して、走り去っていった。