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彼の告白――ハーレムが自分の本当に好きなひとに気づかせてくれることが、あるいはあるのかもしれない――


 現在の時刻は四月X日の、午前八時X分――。


 それは、多くのひとにとっては、毎日のように繰り返している「いつもと変わらない朝」だったかもしれない。


 でもそんな朝に、俺は水沢さんに告白された。


 後になって、これがどんな意味を持ってくるか分からない。


 けれども、普通に過ぎていくはずだった「高校二年の春」が、少し特別なものになってきたのは確かだった。




「以上。これで話しは終わりだよ、永堀君」


 水沢さんは軽く微笑むと、気持ちを切り替えたように立ち上がった。

 ベッドから離れ、俺に背を向けたまま「んん……」と伸びをする。


「べつに……返事が欲しいとかじゃないんだ。告白をしておきたかっただけなんだよ」


「水沢さん……」


「じゃあまた、いつものように学校でね。昨日までと同じように接してくれると、嬉しいかも」


 水沢さんはつぶやくと、ドアに手をかけた。


「待って!」


 俺は呼び止める。


 水沢さんも、俺に呼び止めて欲しいに決まっている。そう思っていた。


 が、彼女の表情は、こわばっていた。


「わたし……ケジメが付けたかっただけなんだよ。永堀君が誰かのものになる前に、せめて告白だけはして……それで玉砕して終わりにするんだって……そう思っただけだから、返事だって要らないし、余計な優しさだって要らないんだよ」


 水沢さんの言う「余計な優しさ」という言葉には重みがあった。


 中二のあの日、額に傷を持つ彼女の気持ちを救ったのは、俺のその「余計な優しさ」だったかもしれない。


 あれ以来、彼女は俺を好きで居続けて、現在に至る。


 俺がもしも緑奈と小葉子のどちらかを選ぶなら、ここで水沢さんをフォローすることは、俺みたいな男に片想いし続ける彼女を、今後も縛りつけることにもなるだろう。


 告白して玉砕して、それで終わりにする。

 これが水沢さんの出した結論だったじゃないか。


 けれども、


「俺、水沢さんのこと、拒否できない」


 俺は言っていた。


 その場の思いつきで言ったのではなく、迷いを捨てた上での結論だった。


 そしてこれは優しさでもない、と思う。俺にこう言わせたのは、優しさではなく、自分のためだ。


「え……それって、どういう……」


 まだ何が起こっているか分からないという目で、水沢さんが俺を見る。


「俺、ここで自分の態度を決定しないと、今度こそほんとに後悔するから」



 昨日の夜、俺は緑奈と小葉子の誘いを最後まで拒んだ。

 もう二度とあるかないかの大きなチャンスを、自分からしりぞけた。

 俺は二人の前でさんざんカッコつけて、誠実な男を貫いたのだ。


 しかしその直後、ベッドに入るやいなや襲ってきたのは、猛烈な後悔だった。


 けれどもあの後悔は、なりゆきに任せて欲望に身を任せなかった自分に対する、「やっときゃよかった」という後悔だった。


 正直者がバカを見ると実感した時に湧き起こる後悔。


 その後悔と、今ここで水沢さんに気持ちを打ち明けないことへの後悔は、違う。


「水沢さん、いつだったか、図書室で寝ている俺の頬に、その……キスしたんだよね」


「う、うん……したよ」


 後ろめたそうに水沢さんは目をそらす。


「実は俺、あのキスの時、起きてたんだ。相手の顔は見えなかったけど」


 俺が真剣な顔のまま言うと、水沢さんは思った通り「うそっ! ……ちょ……ど、どうしよう……」と口をおさえて顔を真っ赤にする。


「今でも残ってるよ、俺の頬には。あの時のキスの感触が」


「やだっ……やめてよ。忘れてよ。メモリ、消去してよ」


 水沢さんがにぎり拳を口に当てたまま、もごもごと言う。


「忘れないよ。それに、メモリの上書きだってできないさ」


 そう。例え水沢さんにキスされた記憶の上に、緑奈と小葉子のキスが上塗りされても。


 昨晩された、緑奈と小葉子からの、頬キス。


 あの記憶は忘れるように努めたが、水沢さんにされた頬キスの感触だけは、忘れたくないし、忘れようにも忘れられない。


「顔も見えなかった相手だけど、俺はあのキスをされた瞬間から、そのひとのことを……好きになってしまったんだ」


「す、好きって……うそ……っで、でも、そんなのシチュエーションのせいでしょ。顔も見てないんだから。それがわたしである必要なんて、ないじゃないの」


 水沢さんは、俺の言葉を否定する。


 それは、自分が幸せになれるはずがない、と思っての反発みたいに見えた。


 俺はそれに対し、頭を横に振って、


「思い出したんだ、昔のこと。中二の時のことも。……それで確信したんだ。俺が探してた相手、水沢さんで間違いない」


 俺は今朝、昔の夢を見た。

 それは夢ではあるけれど、過去の記憶でもあった。


 中二の時にいくらか言葉を交わしただけの女子。


 額に傷のあった女子。


 なんでだか、昨日あたりまで記憶にしっかりフタでもされたように忘れていたけれど。


 おそらく、緑奈と小葉子の「ハーレム展開」にばかり振り回されていたから。


 そんな、うたかたの幸運のせいで見えなかったんだ。


 あの二人のうちどちらかを選んでいたら、きっと思い出せないままだったろうし、自分の本当の相手が水沢さんだってことにも気づかなかったと思う。


「前髪で隠れてるけど、俺、もう思い出しちゃったよ。その額の傷のことも」


 俺は久しぶりにあの傷が見たくなって、水沢さんのおでこに手をやる。


 水沢さんが「うっ……」と肩をすくめ、ぎゅっと目を閉じた。


「ごめん……また何の断わりもなく触っちゃった」


「う、うんん。いいよ。ちょっとびっくりしただけ」


 女子の身体に、うかつに触るもんじゃない。


 触ってから気づくんじゃ、相変わらずダメだな俺。


「では、ちょっと失礼して……」


 俺はおでこに当てた手を、すっと上げてみる。


 額の傷は、あった。


 まっさらな丘の上に、横に薄く刻まれたピンク色の亀裂。


 でもその傷は、思った以上にずっと小さく見えた。


 こんな傷ひとつで悩んでいたなんて……。


 だけどそんなコンプレックスが、結局は俺とめぐり合わせてくれたのか。


「……ん?」


 俺が傷あとに見入っていると、水沢さんのおでこが、じわーっと汗ばんできた。


 俺の手の平も、水沢さんの汗で湿っていた。


 おまけに、


「……顔、赤いけど?」


 俺は水沢さんの顔をのぞき込んで言う。


 とっさに彼女は、両手を自分の頬に当てて隠す。


 開いた指と指のすき間から、潤んだ瞳が俺を見上げた。


「大丈夫……だよ」


「そう? やっぱり熱とかあるんじゃないの?」


「ないない」


 ぐるぐる、かぶりを振って、


「ただの……照れだよ」


 前髪をかき上げられたままそう言う彼女が、どうにも無防備で、可愛くて。


「……っ!」


 俺はそのおでこに、くちびるをくっつけていた。


 デコチューっていう言葉があるなら、それだ。


 二度、三度と呼吸をし、水沢さんのにおいが鼻腔を通り抜けるのを感じてから。


 俺はゆっくりと、顔を離した。


 ハラハラ、水沢さんの前髪が元の通りに垂れ下がる。


「なんてこと……キ、キスだなんて」


 水沢さんの顔はやっぱり真っ赤で、驚きに口をわなわなさせながら、小刻みに震えている。


「そっちだって、俺にしたことあるじゃんか」


「あれは頬にだよ」


「でこの方が軽いと思うけど」


「うぅ……でも、でも……いきなりでびっくりしたよぉ……」


 水沢さんは恥ずかしそうに顔を伏せたまま、俺の胸あたりにかるーいパンチを喰らわす。


 小さなにぎり拳が俺の胸に着地すると、そのまま身をゆだねてきた。


 お互いに身体を重ねて、顔は、それぞれ逆の方を向く。


 まるで、俺の心臓の鼓動でも聞いているような姿勢になって。


「顔が赤いの治るまで、こうさせていて」


「う、うん……」


 身体を密着させているから、ここからでは彼女の表情が見えないのだった。



 しかし俺は、ひとつの安心を得て、笑みをもらす。


 今の反応で、分かったと思う。


 この、なんとも言えない照れ臭さ。気恥ずかしさ。


 それから、胸のドキドキ。


 これはあの日のキスと一緒だった。


 たかがキス(それもくちびるにですらない)と思われるかもしれないけど。


 俺と水沢さんは、それだけでもこんなにドキドキできるんだ。



 目のやり場に困って、なんとなく時計を見ると、もう家を出る時間だった。


 まずはいつも通りに学校へ行こう。そう思った。




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