彼女の告白(1)――熱さまシートじゃ冷めない熱がある――
わたしが額に大きな傷を負ったのは、小学生の頃。
自転車で走ってて、信号をよく見ずに横断歩道へ飛び出したら、前の車輪を思い切り車に吹っ飛ばされた。
勢いでハンドルに顔面をぶつけたみたいなんだけど。
その時に、額がスパッと切れちゃった。
親とかに「ジュウニハリも縫う大怪我だ」って言われた。
治った日には「女の子なのに、傷跡が残ってかわいそう」って、お母さんに言われた。
その意味が本当に分かってきたのは思春期に入ってからだった。
額の傷なんて関係ないと思っていたのに。それは自分だけで。
男の子はまずわたしの顔を見てから、次に額の傷を見る。
すると、急に一歩引いたような顔をするんだ。
あの子も、この子も、可愛い子は男の子に優しくされている。
わたしだって女の子だから優しくはされるけれど。それは「いちおう」って感じの優しさだった。って思う。そう感じていた。
わたしは前髪を下ろして、表情を消した。
男の子から気に入られようとするのをやめた。
クラスの女子たちが恋の話なんかをしていても、話には参加しないで、つまらなそうな顔して黙ってた。
そして時は経って――。
「水沢さん、わたしたち今日はすぐ帰りたいから、教室の掃除、やっといてもらっていい?」
中二の秋のことだった。
同じ班の仲で、いちばん目立っていた子がわたしに言った。
「いいよ任せちゃえば。帰ろ帰ろー」
わたしはまだ何も言ってないのに。みんなガタコトと席を立っていく。
その頃、放課後になると男女数人でグループを作って寄道するっていうのが、流行っていたんだ。
先生は「寄道禁止!」なんて言っていたけれどね。
お金もないし。ただ街をぶらついたり、どっかに座り込んでお喋りするだけなんだろうけど。
わたしだって、そういうのに参加したかった。けど誰も誘ってくれない。
嫌と言わないから、こんな掃除当番まで押し付けられて……。
夕暮れの教室に一人残されたわたし。
掃除だけはして帰ろうと思っても、なんか身体が重くて、モップの柄をにぎったままボーッとしちゃう。
なんだか、シンデレラっていう物語に似た展開だなーと思った。
物語の世界なら、こういう辛い状況に置かれると、次に待ってるのは素敵な恋人との出会いじゃん。
今、優しくされたら、どんなに冴えない男の子が相手でも好きになっちゃいそう。
なに考えてるんだろう、わたし。熱でもあるのかな。
と思ったら、ガラガラって音が鳴って廊下の空気が吹き込んでくる。
――誰?
見ると、そこに立っていたのは見覚えのある男の子。
「なんでこんな時間まで一人で掃除してるんだ」
わたしは相手の顔を見て、がっかりした。
同じクラスの男子、永堀フミヤだ。
ごめん、永堀君。あの時のわたしって、君のことこんな風に思ってた。
永堀フミヤ――パッと見ても冴えない、あえて長所をあげるなら「身長は決して低くない」ってことぐらい。
何が得意で、何が苦手かも分からない。
先生から好かれてるわけでも嫌われてるわけでもない。
ただ女子からは「無視リスト」に入れられている。と思う。
だって、ぜんぜん社交的じゃないし、女の子に気の利くタイプでもないし。
それでいつも教室のすみで本を開いたり雑誌をめくったり。
しかもそれが、美少女のイラストばっかの本や雑誌。
できれば関わりたくない。恋愛対象になんかまずならない、居ても居なくてもいい存在。いや、できれば学校にも来ないで欲しい存在。
って、クラスの女子たちが言ってたんだけれど。
ほんと言うと、わたしもそうなんだって思ってた。
当時はね。流され易かったんだよきっと!
その永堀君と、夕暮れの教室で二人きりになってしまった。
「……みんな帰っちゃって。奇麗にしておかないと明日怒られるから。先生に」
わたしはどうすればいいか分からないで、寒気に震えていたよ。
「そうか」
永堀君はそれだけ言うと、興味もなさそうにカバンを手に取る。
よかった。絡まれないで済む。
そう安心したら、
「ん? 顔色悪いけど大丈夫か?」
永堀君が振り返った。
「平気」
いいからそういうの。わたしのことなんかいちいち気にしないで!
って、その時は思った。
「いや、ほんとに悪いぞ。熱、あるんじゃないか」
永堀君の顔が近づいてくる。
わたしは「恐い」と思って目をつぶる。
と、永堀君の手がわたしの額に当てられていた。
驚いた拍子にモップの柄が手から放れて、コツンと床に落ちる。
男の子の大きな手が、わたしのおでこに当てられている。
やっぱり熱があるみたい……。永堀君の手、ひんやりして気持ちいい。
「やめて」
けれどもわたしは永堀君の手を払いのけた。
額の傷を見られたってことに、やっと気づいたんだ。
――どうしよう。見られた……。
頭がカーッと熱くなり、思わず壁に背をあずける。
今さら隠しても、見られたもんは見られちゃったけど、前髪に手を当てて永堀君のことを睨みつけた。
「熱……あるぞ。早く帰った方がいいって。電車も混んでくるし」
永堀君はそれでも優しい言葉をかけてはくれる。
だけどそれは言葉だけだ。
わたしはカバンを取って教室を出ようとするが、振り返って、
「優しくするまでもなかった、って思ってない?」
聞いた。
男の子っていうのは、まずわたしの顔を見て優しくするんだよ。
でもわたしにはこの傷があるから、いつも男の子は「こんなやつ、優しくするまでもなかった」って顔をするんだよ。
「なんだよそれ」
永堀君がとぼけるから、わたしもついムキになった。
「わたしの傷、見たでしょ。気持ち悪いって思ったでしょ」
「は? ああ、額の傷跡か。べつに、気持ち悪いとまで思ってないよ」
「嘘。なにか思ったでしょ」
「え?」
永堀君の言葉が、そこで止まった。
そして、とまどいつつも、なにか責任でも感じたみたいな顔をして、じっくり考え込む。
ふん。どうせ「そんなの気にすることないよ。気にするひとが悪いんだよ」みたいなこと言って、その日からよそよそしくなるだけなんだろう。
それか「大人になる頃には傷も消えるんでしょ?」と、何気に酷いこと言うやつ。
そういえば「傷あとのところに皮膚移植してもらえば?」って言ってくる子も居たなあ。
永堀君は苦手な作文でも書かされてるみたいな顔で、まだ考えてる最中だ。
あーもう、聞くんじゃなかった。
どうでもいいから、早く答えちゃえよ!
なんて、心の中で叫んだ時、永堀君はこっちを見て、
「まあ、女で額に傷があるのは大変かもしれないけど、そういう欠点も、魅力の一つなんじゃないか」
やっと出した答え。
でもわたしには響かない。
今まで何回も聞かされた言葉だった。
でも、その後に続いた言葉だけは引っかかった。
「今までなかったパターンだと思うよ」
「今までなかった……パターン?」
なにを言ってるの、このひとは?
わたしはつい、聞き返していた。
「ああ。今まで見たことないよ、額に傷があるヒロインなんて」
言われた瞬間、わたしの背中がビクッとなる。
額に傷があるヒロイン――。
わたしが、ヒロイン?
そんな言われ方したの、生まれて初めてだ。
あんまり恥ずかしくて、顔が熱くなった。口をきゅっと結んでツバを飲み込む。
そしてわたしは永堀君を強く睨みつけると、
「気持ち悪いんだよ、このオタク男子!」
叫んでいた。
その声が教室内に響いて、永堀君がびっくりして耳をおさえる。
わたしは全力で走り去った。それ以上、永堀君と一緒に居るのが恥ずかしかった。
走り出してすぐに息が切れる。辛い。明らかに熱があった。
どうにかこうにか家に辿り着いて、制服のままベッドに倒れ込む。
冷たいシーツにくるまれて、枕に顔をうずめて、さっきのことを思い出した。
ヒロイン――。額に傷があるヒロイン――。
「うぅ、頭で繰り返すほど恥ずかしいセリフ……」
永堀君は、あんなこと言って恥ずかしくないんだろうか。なんて変わっているんだろう。
ほんの一瞬でも、ゲームかアニメなんかのヒロインに、わたしをダブらせたっていうの?
そんな思考をするなんて、普通じゃない。
だからオタク男子だっていうんだよ。
「キモい。うー、あいつキモいよぉ……」
わたしはそれから三日間、高熱を出して寝込んだけれど、なぜか永堀君のことが頭から離れてくれなかった。
熱さまシートをおでこに貼り付けて、熱が下がるのをただ待つ間。
――永堀君の手、冷たくて気持ちよかったな。
なんて考えていた。




