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よみがえった記憶――額に傷を持つヒロイン――


 俺は過去のことを思い出していた。


 あれは中学二年の……九月か十月だ。


 夕日の射す放課後の教室に、俺は女子と二人で対面している。


 俺は忘れ物を取りに戻って来ただけで、相手は、一人で教室にモップがけをしていた。



「なんでこんな時間まで一人で掃除してるんだ」


 掃除ははんごとに順番ですることになっている。


「……みんな帰っちゃって。奇麗にしておかないと明日怒られるから。先生に」


「そうか」


 俺はそれだけ言ってカバンを手に取る。

 他の仲間がサボって彼女一人だけ残されている状況はなんとなく理解できたが、興味はなかった。


 しかし、


「ん? 顔色悪いけど大丈夫か?」


 彼女は辛そうな顔をして、暑い日でもないのに汗をかいていた。


「平気」


「いや、ほんとに悪いぞ。熱、あるんじゃないか」


 俺は彼女の前髪をかき上げて、汗ばんだ額に手を当てた。


 彼女のにぎっていたモップの柄がコツンと音を立てて床に倒れた。


 彼女の額には傷跡があった。

 完治しているようだがそこだけ肌の色が違う。淡いピンク色になっていた。


「やめて」


 彼女が俺の手を払いのける。


 女子の身体に気軽に触れてしまった自分の過失に、初めて気づいた。


 彼女は壁によりかかり、肩で息をしている。前髪を守るようにおさえながら、俺をにらみつけた。


「熱……あるぞ。早く帰った方がいいって。電車も混んでくるし」


 俺は、自分だったらそうするな、というつもりで言った。


 彼女は無言のままカバンを手に取ると、教室の出口付近まで歩いていく。


 喋るのも辛いなら、このまま帰ってくれていいと思って見ていた。


 すると、急に振り返って、


「優しくするまでもなかった、って思ってない?」


 彼女の言い方には、決めつけのようなものが感じられた。


「なんだよそれ」


「わたしの傷、見たでしょ。気持ち悪いって思ったでしょ」


「は? ああ、ひたいの傷跡か。べつに、気持ち悪いとまで思ってないよ」


「嘘。なにか思ったでしょ」


「え?」


 感想でも求められているのか。

 んー、そんなこと言われても。気の利いたフォローなんて思い浮かばない。


 これが例えば、ゲームのシチュエーションだったらどうだろう。


 その女の子は常に前髪を下ろしていた。そしていつも前髪を気にしていた。


 ある日、主人公にその傷を見られてしまう。

 ベターだけど、今みたいに「熱でもあるのか」って感じで主人公から前髪をかき上げられる。


 すると彼女の額には大きな古傷があった。


 それで納得がいく。

 ――ああ、だからいつも前髪を気にしていたのかと。


 彼女は傷を隠すため、前髪を下ろしていたのだ。

 その傷はきっと、彼女にとって心の傷でもあったかもしれない。


 だが、心の傷がシナリオには重要だ。ゲームのヒロインはなんらかのコンプレックスを抱えているものだし、その方がシナリオも面白くなるし、キャラクターにも感情移入できるからな。


 俺はそう思って、こんなことを言ってみた。


「まあ、女で額に傷があるのは大変かもしれないけど、そういう欠点も、魅力の一つなんじゃないか。今までなかったパターンだと思うよ」


「今までなかった……パターン?」


「ああ。今まで見たことないよ、額に傷があるヒロインなんて」


 彼女の背中がビクッとなる。


 さっきよりもっと顔を赤くして、口をきゅっと真横に結んだまま、意志のこもった目で俺を見た。


 まずい。今の感想は失敗だったかな、と思った瞬間。


「気持ち悪いんだよ、このオタク男子!」


 大きな声は、教室に響くと同時に、俺の心にもグサッと突き刺さった。


 オタク男子だなんて……気持ち悪いだなんて……。


 事実かもしれないけど、そんな言い方ってありなのか。

 俺は自分の思った通りの感想を述べただけなのに。


 彼女は残っていた体力で俺のもとから走り去った。


 教室にぽつんと残された俺。それと、倒れたままのモップ。


「ところであいつ、名前なんだったかな」


 色々と納得いかないが、仕方ない。後始末をして帰ろう。すぐ行って下駄箱あたりで再会するのも嫌だしな。




 ――――――――――――




 ……そうだった。あれは確かに中二の秋。


 十四歳になった俺は、ちょうど恋愛シミュレーションゲームやライトノベルにハマり出していた。


 年頃というか、思春期というか。

 その時期になると異常に発散される情熱が、そっち方面に行っちゃったんだと思う。


 それが健全なのか不健全なのか、良いのか悪いのかは置いといて。


 この時の、額に傷のあった女の子。


 同じクラスなのに名前が思い出せない。


 でも今から思えば、中学生の時に女子とまともに会話したのは、これが最後になった。

 「まともな会話」と言えるかどうかすら微妙だが。


 俺はそれから、ますます二次元の世界にハマっていった。


 他人のせいにするみたいだけど、この時の経験がショックだったのかもしれない。


 俺は自信をなくし、「オタク男子」を自認し、中学生にして早くも女子には縁のない青春を覚悟した。


 あの時の、額に傷のあった女の子。


 今、俺が思い出したことで、その子の顔がうっすらと浮かび上がってきた。


 そうだ。あのひとだよ――。


 真っ白な光が射してくる。朝が、また来る。




「永堀くーん。朝だよー」


 どこからともなく聞こえてくる声。


 ユサ、ユサと身体をゆすられる。夢ではなく、現実のようだ。


 まだ目覚ましは鳴っていないはずだし、寝足りない気がして、すぐには起きられない。


「フ、フフフ……」


 なんだ。耳元で、笑っているのか。


「フフフ、フミ……ヤ君。……フミヤくーん」


 俺の名前を呼んでいるだけか。とちり過ぎだろ。


 名を呼んだそのひとは「きゃっ。やっぱ名前呼ぶの無理。恥ずかしいっ」なんて独り言を言っている。


 俺を「フミヤ君」なんて呼ぶひと、居ないよな。緑奈は「フミヤさん」で、小葉子は普通に呼び捨てだし。


「えっと……永堀くーん、朝ですよー。起きてくださーい。やっぱり君は、寝ちゃうとなかなか起きないねー?」


 またユサユサと身体をゆすられる。今度はちゃんと呼べてるし、慣れてる感じだ。


 俺を「永堀君」と呼ぶひとは……居る。そうだ、あのひとだ。



「ってか……嘘? ええ?」


 目を開けると、そこにはポニーテールの結び目にクリーム色のリボンがマッチした、明るい雰囲気の女の子。


 真っ白なシーツがひらりと舞った。窓から射す日は、きらめいている。


 夢じゃない。


 一日の始まりと同時に、制服姿の美少女――水沢さんが目の前に居た。




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