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お泊まりイベント(5)――がっかり過ぎる結末――


「違う……この感触じゃない……」


 冷静さを取り戻して俺は、自然とそんなことが口に出ていた。「やりたい気持ち」はどこかへ消えていた。


「違う? そうだよね。キスはくちびるにするもんだよね」


 楽しそうな顔をした小葉子が、ぺろりと自分のくちびるを舐め回してから、


「わたしが先にもらっておくよ」


 キスしようとしてくるのを、俺は本気で止めた。


 腕にがっちり力を入れて小葉子の肩をおさえ、首を思い切り下げて拒絶の意思を示す。


「ごめん。キス、できない」


 顔を下げたまま、俺は言った。


「なんでよ!」


「ごめん。やりたい気持ちはあるんだけど、だからってすぐやっていいものじゃないと思うんだ」


「くっ……ほんとヘタレね! キスぐらいで!」


「ああ。キスぐらいって思うかもしれない。でも俺にとってはキスの一回だってすごく重いんだ」


「わたくしたちは本気でフミヤさんのこと好きなんですよ。それなのに、なぜダメなんですか」


 緑奈の問いに、俺は首を横に振ってから、答える。


「俺、正直言って今日から初めて緑奈や小葉子のこと好きになりかけてる。でもまだ迷ってるんだよ。中途半端なんだよ。奇麗事かもしれないけど、こんな中途半端な気持ちの男と、緑奈や小葉子にキスさせたくない」


 そこまで聞いて小葉子は、両手ににぎり拳を作ってイライラに悶える。


「うぅー、ヘタレっていうか、頭が固過ぎるよフミヤはー。いつの時代の人間なのぉ」


「でもフミヤさん、わたくしたちのこと『好きになりかけてる』って言ってくれましたよ」


「こんな可愛い子を二人もはべらせといて、何を今さら『なりかけてる』さ。どんだけだよ。どんだけアレなんだよ」


「フミヤさんの曇りきったフィルターがまともになるまで、待つしかないみたいですね」


「フミヤ。あんたほんとに、モテ期っていったら今だけだよ?」


「勝手に俺のモテ期を決めるな。まだ高校生だぞ」


「うぬぼれ過ぎだよ! フミヤみたいに優しいだけで地味な男、将来よっぽどの高学歴か高収入にでもならないとモテっこないよ!」


「フミヤさん、今のところ成績は普通ですし、お人好しで無欲だから、ビジネスなんかにも向いてないと思うのですが……」


「そうだよ! あんた絶対に後悔するよ! 三十歳を過ぎても彼女の一人もできないで、コタツに入って悶えてるよ! それでこう思うんだ。『あーあ、こんなことならあの時、塚地緑奈の胸を揉んでおくんだった。能見小葉子のケツを揉み揉みしておくんだった。二人とも今頃は俺のことなんか忘れて、良い男と結婚して子供も居るんだろう。あーあ、時計の針を戻せたらなー。ドラOも~ん!』なんて、何もない空間に向かって叫んでるよ!」


「なんなんだよその具体的な未来像は。大丈夫だって。後悔なんかしないから」


「わたしも緑奈も、触っていいって言ってるんだよ? ほんとに後悔しないの?」


「しない。いや、もしおっさんになった俺が後悔していたとすれば、それはその時の俺が堕落しているだけだ。俺は間違っていない。正しいのは今の俺だ」


「ほんとあんたは……自分の世界がり固まっちゃっているのね」


 小葉子は頭に手を当て、溜息を吐いた。


 でもこんな俺を分かってくれたかのように、優しい目をして向き直る。


「好きにするがいいわ。今夜はわたし、大人しく寝る」


 よかった。今夜はこれで終わりみたいだ。


「フミヤさん、もしわたくしを選んでくれた時は、その時は、今日の分もわたくしを喜ばせてくださいね。約束ですよ」


 そう言う緑奈も、優しい目で俺を見てくれていた。


「仕方ないな、緑奈。じゃあ女どうし、一緒に寝よっか」


 小葉子が緑奈の肩に、軽く手を置く。


「そうですね。同性相手なら一緒に寝てもノーカウントですし。今夜は二人で、慰め合いましょう」


「どんな意味だそれ」


 俺が言うのも無視して、小葉子は急に飽きたように、大きなあくびを一つする。


「じゃ、わたしたち寝るから。おやすみ」


「おやすみなさい、フミヤさん」


「あ、ああ。おやすみ」


 俺はすっきりした顔で、二人に手を振る。


 バタン――。ドアが閉まり、俺は一人になった。


 そして、すっきりした顔を維持したまま、ベッドに倒れ込む。


 枕に顔をうずめて、まず強烈に感じたのは後悔。


 やっちまった。今頃になってきつい。我慢できん。


 さっきの俺、カッコ良かったけどバカ正直だ。いやいや、バカにも程がある。


 俺にはぼんやりと憧れているひとが居て、それはあの日のキスの相手であって。


 緑奈と小葉子は、そのひとではなかった。


 つまり俺がいちばん好きなのは、緑奈でも小葉子でもない。


 だから、こんな俺とあの二人をキスさせたくなかった。


 やろうと思えばできたけれど、さっき勢いに任せてしてしまっていたら、俺はあの二人を汚したことにならないか。


 二人だけじゃない。中途半端な気持ちでやってしまうと、それは自分をも汚したことになるんじゃないか。


 俺はふいにそう思ったんだ。それは正しかったかもしれない。


 でも。でもでも。


 俺だって健康な男子だ。年頃の男子なら興味があって当然なことに、俺だって興味ある。


 頭では正しいと信じていても、やはり「しておけばよかった」っていう後悔も芽生えてくる。


「あーもう! 寝る。寝る寝る! 寝るぞ!」


 部屋を暗くしてベッドに入るが、身体が興奮していた。


 頬にはまだ、緑奈と小葉子にキスされた感触が残っている。


 二人を拒んでいなければ、今頃はキスどころではなかっただろう。


 大人の男からすれば、キスぐらいでこんなに苦しんでいる俺は幼稚なものかもしれない。


 でも今日になって初めて、俺の中に緑奈と小葉子を好きになりかけてるって気持ちも生まれてきたんだ。


 この気持ちを大切にしたい。

 急ぎ過ぎて早く大人になるなんてこと、したくない。


 俺は後悔しそうになる自分を頭の中から振り払った。


「ふぅ……しかしそれにしても、あの日、俺にキスをしたのは誰なんだろう」


 部屋が暗いだけに、想像もし易くなる。


 ぼんやり頭に浮かぶ映像では、図書室で眠っている俺の頬に、目をつぶって頬を染めた緑奈か小葉子がキスをしていた。


 だがあの二人は違ったのだ。

 急に白い霧がかかって、顔の部分が見えなくなる。


 キスの犯人探しは、振り出しに戻された。


 もしかすると、あれ自体が夢だったんじゃないか。俺は寝ぼけて幻でも見たんじゃないか。そんな気すらしてくる。


 緑奈でもない。小葉子でもない。では一体、誰が居るんだ。


 俺を好いてくれている、もう一人の女性は――。


 目をつぶる俺の脳裏に、そのひとの顔が見えた気がした。


 と思った時には、俺は眠りについていた。




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