その1.定例パトロール①
ミエネコが、パチリと目を覚ます。
その瞳は、宝石のような艶のある濃い漆黒がベースで、その奥に明るいブラウンの虹彩が浮かぶように在る。始め焦点が合わないそれは、意識の蘇りと共にシュンと焦点を結ぶのだ。
彼女は軽く首を動かし、重なるように横にいて、遅れて目を覚ます筈のアサミネコの寝息を確認する。次に首だけを伸ばしベットを仰ぎ見て、主人の気配の確認となる。
しばしば深夜まで書斎で机にかじりついて小説を描く主人、四野裕。作家である彼が、徹夜明けという不健康を今朝は犯していないか、と気に掛けてみるのだ。
概ねの四野は、ベットに丸まっている、むにゃむにゃと寝言でも言っている。
ミエネコは大きな欠伸となる。安心すると、再び毛布に眠りを誘われるのだ。屋外からが聞こえてくる雀達の朝のお喋りに、耳だけを反応させる……
そろそろ、1日の始まりだ。
彼女は、朝にカーテンが明るむと目を覚まし、月の昇り具合で夜の眠りに堕ちる(勿論、深夜の徘徊は時期に応じて行うが、飼い猫らしくそこは控えめにやる)暖かな季節、寝床は寝室の隅の猫ハウスで、冬季には了承を得るもなく四野のベッドの中に潜り込む。主人の胸に額をつけるのがミエネコで、アサミネコは控えめに四野の背に自分の背を押し付けて、といった具合に。
やや遅い朝に起きだし、朝食の準備を始めるのはこの家の主人四野だ。彼の認識では一番の早起きは自分で、だからフライパンを振るう音で猫達に朝を知らせてやろう、と思うらしい。彼はキッチンに立つと必ず「皆、そろそろ起きろ。朝だぞ、朝ですよ。本日の天気は○×です」と、騒ぐから。
猫達はとっくの昔に目覚めていて、お喋りをしている。昨夜の出来事、その夜(今しがた)見た夢、不意に思いついた事、将来の展望などのエトセトラ。それを、人には鳴き声と認識できない低周波数域でやる。
ミエネコは横になったまま、アサミネコの横顔をはたきながら声を掛ける。
「地球の終わりみたいな夢を見ちゃった。考えてみたら、昨日の洋画の続きじゃん。ホッとしたよ」
アサミネコは身を捩じらせ、ハッと首をもたげると、チラチラ見える四野の背中を追いながら答える。
「何で(人は)あんなのばかり創るんだろうか」
にゃははと笑いながら、ミエネコも同じ姿勢になって、同じように四野の背中を気にしつつ。
「何か理由があるんだよ。暇な訳ないし」
2匹はベットの上から飛び降りる。四野がキッチンテーブルに座ったようだ、という事は朝食の始まりだ。寝室からキッチンまで、ひと呼吸で駆ける。
小さな四野邸である。平屋で、玄関から廊下が真っ直ぐに伸びているかと思うと、右に折れてすぐにお終いだ。
部屋割りを玄関から順に言うなら、廊下に沿って左側に6畳のキッチン、6畳の洋間、6畳の和室と通過し寝室の入り口に到着する。そこから右側に進めるぞ、と行くとその先はあまりない。左手にバスルーム入り口、トイレ入り口と続き、洗面台のある水場を正面に迎えるとそこが廊下の突き当たりとなる。
廊下の右側は北に面し、軽自動車2台分程の庭がある。だが廊下から眺めて左には柿の木、右には物置き小屋と場所が占められ、その間の花壇は申し訳程度に在る位。残された物干し場の空間などは、それこそ干し竿ひと振り分の幅しかない。
以前住んでいた物件より全てが一回り狭いのだ。がミエネコは勿論、四野に不満はない(アサミネコは以前を知らないので、比べるまでもなく始めから狭い家だ、と文句を言う)
まず、此処は親戚からのいわば間借りで、四野はただ同然で住まわせてもらっている。以前住んでいたお隣の県R町では、居づらくなる事件があった。転居を余儀なくされて、やむなく親族という伝手に頼ってみると、格安の此処に巡り着けた訳だ。
次に、この町は四野が作家として主にお世話になる『ワナナ出版』と同一所在市である。この魅力は大きい。
今や、原稿の送付や受取りがネットで自在に行える時代だが、やはり人と人との付き合いなのだ。関係者、担当者の顔色が見えるに越した事はない。場合によっては、時局に応じて出版社が醸す色合いを観る事があって、それもメリットだろう。
更にはそもそも、四野とは分不相応に大きな家に住みたいなどと欲をかかない、生来、無欲な男である。チャンスを嗅ぎ取る能力は人並み以上にあるが、その都度それを他者に譲ってきた自覚が強い。ということは人の特徴として穏やかなのだ(ところで、ミエネコは反して我欲が強い猫であるが、彼女の信条の第一義は住むのなら狭い方が好ましい、だ。その方が主人ゆーさんといつも一緒だ。なので不満を感じていない)
四野の朝食は決まってトースト、ハムエッグ、味噌汁である。
猫達はキャットフードと、そこに添えられた手作りスープにありつく。
主人はきちんとテーブルで、ミエネコは彼に並んでテーブルの上で、アサミネコはテーブル下の脚部脇で食事を摂る。2匹の場所が異なるのは個々が其処を好んだからで、四野に他意はない。勿論彼女達の食事は量、内容共平等で、それに差がつく事はない。
猫達の朝、昼食は豪華版となる。主食のキャットフードは猫缶中心で、スープは煮込んだ鶏肉などが入る内容だ。反面、夜はスープが付かない。キャットフードも粒タイプ、カロリーは半減となる。自然にそうなった。何時からか2匹揃って夕食を残すようになって、それ故だ。
なぜ夕食を食べ残すのか、四野におよその見当はついている。
ミエネコは、書斎に転がる雑誌のページに、とある記事を見つけては異様に関心を示す。ダイエットの特集記事だ。それを食い入るように見つめては何かブツブツ言っている。
どうやら、猫達はダイエットをしているのだ。
主人に、それは見抜かれている。それで何食わぬ顔の協力なのである。
ダイエットを始めたのは、やはりミエネコらしい。彼女が率先して「もう食べない、晩御飯はここまで」とやる。
四野の知り及ばない話では、彼女に知恵を与えたのはケイトというペルシャ猫だ。ミエネコは外(屋外)でちょくちょく彼女に会う。「なぜそんなに綺麗なの」と質問した際、情報を仕入れた。世にはダイエットという根性論が存在する、と。
アサミネコはいくら食べても太らない体質なので「アタシは嫌だよ。お腹が空くのに食べないなんて、変な話だよ」とミエネコに詰め寄ったが、面白そうなので付き合っている。四野は、さていつまで続くかの苦笑いで、腕組みの傍観を決め込んでいる。
朝食を終えると皆の自由時間となる。
四野は書斎へ。6畳の洋間の隅に在る、味気ないあまり広くないスチールデスクに向かう。職業柄、作家には拘束という足枷がない。だから朝に決まって書斎に篭もる必要はないが、彼は敢えてそうする。自身を律するのだ。
自堕落な生活する事も出来るだろう。ありがちなのは、深夜まで執筆をして朝寝入るような、又は歓楽の底に堕ちて、ひらめきの岸辺に着くまで流転するような、要するに廃人まがいの生活か。
では、そのようにして行き着く先に何があるのか。安直に生きて、結果、どれ程に至れるというのか。
四野は理性の内に理解している。結局、体や頭に無理をかけない規則正しい生活が、一定のモチベーションを維持する。そこからしか展けないものに価値があるのだ、作品もそして人生も、と。
そんな男だから、彼は遅くともサラリーマンの勤務時間には机に向かい、人並みの就寝時間にはベットに潜り込みたい、と行動している。下手をすると、髭を剃りネクタイを締めスーツ姿になり、勢い込んで執筆しても良い、と思っていかねない。