斜陽が落とす影
白髪交じりの短髪で、丈夫そうに痩せたひょろりと背の高い男、青山刑事。
彼はぼんやりとスクリーンを眺めていた。周囲には映画館特有の、観衆の気配と雑音が漂っていて、時折、気の早いすすり泣きを始めた者の嗚咽が交じっていた。
そこは、街中のショッピングモールの区画の隅に押し込み、やっと体裁を整えたような、小さな狭い映画館だった。座席数は120位か。ただし設備はしっかりしており、座席も音響もスクリーン周りの造型も最新のデジタルに対応する、これが時流にのったシネマ座の姿だ。青山のやや大柄といえる体躯に狭いシートは窮屈気で、広くない空間に日の高い内から壮健な男がそこにいる場のそぐわなさも、合わせて目立つのだが、刑事に自覚はない。
彼は、昨日もここで映画を観て暇をつぶしていた。時間ごとにシフトして上映作品が変わるので、前回は確か、精神病院に入れられた少女の脱出劇を、少女の妄想アクションで描いた風変わりな洋画、だったか。
シーンは、主人公を含む警官達の、路上でのもみ合いになる程の激しい口論の様子に移っていた。
はるか遠景の描写で、海岸線を示す防波堤。今、怒涛の津波が内陸に向け押し寄せようとしていた。住民を避難させよう、いや、無駄に命を捨ててどうすると極限の葛藤があり、ついに主人公は身を翻すのだ。退路を捨て、気付かずにいる集落に向けて懸命に駆け出す―映画のクライマックスだった。
映画は邦題を『守人の社』という。震災の実話を元に描かれた、名も無き警察官の殉職の物語だった。
館内の客達が、ざわめくように泣き始めていた。泣く為に足を運んだのだ、当たり前だった。
しかし、青山は泣かなかった。
彼の年齢は50を過ぎていた、いや、むしろ60に近い。もうその道に長い老練な刑事と言えるから、物語の警官の行動に当惑もあったのか、というとその風でもない。そのシーンに限ってなぜか、無表情に感情のない、開いただけの瞳をスクリーンに向けていた。
奇異なのは、彼がこの映画に涙しなかった訳ではなかった、点だろう。彼は、主人公の警察学校時代の青臭い生活を描いた回想場面では、しきりに目頭を熱くしていたのだ。
それは、決して涙を誘う場面ではなかった。
青山は、牛丼のチェーン店で遅い昼食を済ませると、コンビニでペットボトルのコーヒー飲料を買い、駅前広場に設置されたベンチに腰掛けていた。
先程、携帯が鳴っていた。確認すると相方となる若い刑事、山根大介からの着信だった。彼は本署にでもいて、また部長辺りから責めらるように青山の所在を尋ねられ、難渋したのだろう。
青山は、ため息をつき携帯を閉じ戻していたが、暫くそこに薄く苦い表情があった。
周囲の景色は、ビルの間から淡い青空が覗き、高い雲が早く疾っていた。低い銀杏の植樹が緩く風に揺れ、流れる空気は秋の始まりを思わせる温度だった。
ここS市は、人口30万人弱のどこにでもある地方都市だった。
ベンチから正面には、よくある形でビルデパートとオフィスが混在して並び、通りに、気ままに普段着の色でそれなりの人波がある。3車線の国道を挟んで駅商店街、左右に連絡路が通じ、それぞれ側面に沿ってにショッピングモール、低いビル群に雑貨屋や食料品店が連なっている。
それらに矩形に囲まれ、ぽっかりと開いた空間が駅前広場で、その目立たない建物際の日陰の一角に、刑事はいた。
彼は、この数日ここにふらりと現れては、同じパターンで時間を潰していた。例えば先刻のように、まるで観たくもなかったかに映画を観て、当てどなくベンチを求め、最後は薄く苦い顔をになって、という。
それは、男の忘失めいた長考の様子だった。
彼は長い間、考え事をしていた。
一つには、とある事件に対する、この街に住む四野という作家の関与についてだった。作家に面識はないが、彼が数日前所轄の警察署に「迷子ネコ」の届出に現れ、彼の詳細が知れた。青山はそこに、ある犯人像との符号を見出していた。
そこから、憑かれたように考え始めたのだ。いや正確には、刑事は別の何かを追い始めていた。まるで今や、本来捕らえねばならない筈の容疑者、四野という作家などどうでもいい、かのように。視線を彷徨わせ、それを時折そこから見える「ワナナ出版」の所在を示すビルの看板に向けて。
いつしか、日が傾き始めていた。街を包み始める影は、物語の水面下に在る陰を暗示するかのようだった。