第3章:一輪の魔法と、不器用な文字
世の中には、高価なブランドバッグや宝石でしか満足しない女性もいるのかもしれない。けれど、僕の菜摘は少し……いや、かなり違う。
ある平日の夜。新宿での激務を終え、疲れ果てて帰宅する道すがら、駅前の花屋でふと目にとまった一輪のガーベラを買った。なんでもない日だ。誕生日でも、記念日でもない。ただ、オレンジ色のその花が、なんとなく彼女の笑顔に似ていると思っただけだ。
「はい、これ」
「え? お花? どうしたの、今日なんの日だっけ……?」
「なんの日でもないよ。駅で見かけて、菜摘に似合いそうだったから」
「……」
菜摘は花を受け取ると、そこに添えられていた小さなメッセージカードを開いた。僕がレジの横で殴り書きした、『いつも美味しいご飯ありがとう。大好きです』という、小学生のような不器用な文字。
次の瞬間、菜摘の目からボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「えっ!? ちょ、なんで泣くの!?」
「だってぇ……嬉しいんだもん。健太、最近忙しくて疲れてるのに……私のこと、考えてくれてたんだなって……」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、菜摘が僕の胸に飛び込んできた。
こんなことで、こんなちっぽけなことで、彼女は世界一幸せそうな顔をして泣くのだ。僕は慌てて彼女の背中を、ぎゅっと抱きしめた。
もし彼女が涙に濡れてしまう日があったなら、それを拭えるのは僕だけでありたい。あなたにしか治せない、と言わんばかりに縋り付いてくるこの温もりを、一生守り抜きたいと誓った。




