第2章:命がけの「間違い探し」と不可侵条約
女性の観察力というのは、時に最新の画像認識AIすら凌駕する。そして彼女たちは、パートナーにも同等の、あるいはそれ以上の解像度を求めてくる。
「健太、今日私、どこか違うかわかる?」
休日の朝。洗面所から出てきた菜摘が、モデルのようにくるりと回ってみせた。
僕の脳内コンピューターがオーバークロック状態でフル稼働する。髪型? いや、昨日と同じボブだ。服? このセットアップは先月一緒に渋谷で選んだやつだ。メイク? 絶妙すぎて判別不能。
焦る僕の視線の端で、彼女が髪を耳にかけた瞬間、指先がキラリと光った。
「ネイル! 色変えたでしょ。前の淡いピンクより、少し透明感のあるオーロラ系になってる。しかも、薬指だけ小さなストーンが乗ってるね」
「大正解! すごーい、よくわかったね!」
菜摘がパッと花が咲いたように笑う。僕は心の中でガッツポーズをした。付き合い始めた頃は「え? わかんない」と即答して地獄を見たものだが、僕の学習能力も伊達ではない。日々の些細な変化を見逃さず、言葉にして褒める。これが彼女という精密機械を長持ちさせる秘訣だ。
しかし、喜びも束の間。彼女は次の瞬間、地雷原へと足を踏み入れる。
「でもさ……最近、スマート体重計の数値が右肩上がりなんだよね。私、ちょっと丸くなったかな?」
――警告音! 直ちに全電源を落とし、退避せよ!
これは悪魔の罠だ。ここで同意すれば即死。「そんなことない」と即答すれば「ちゃんと見てない」と断罪される。
体型に関する話題は、我が国における絶対的な不可侵条約なのだ。
「うーん……丸くなったっていうか、なんか最近、幸せそうなオーラが肌に出てるなって思ってた。艶が増したっていうかさ」
「えっ。もう、何それ……ごまかしてるでしょ」
「ごまかしてないよ。あ、そうだ。来月、銀座のフレンチ予約してるから、今度一緒に新しいワンピース買いに行こうか。菜摘のスタイルの良さが一番引き立つやつ、僕が選ぶよ」
「……うん。行く!」
ふう、と胸を撫で下ろす。余計な変化には気づかないフリをして、未来の楽しみで上書きする。これが、平和な家庭を築くための外交術だ。




