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創作論  作者: 雨蛙
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家に帰ると、すぐに机に向かったニコラは早速執筆に取り掛かった。踊るようにして、羊皮紙に万年筆を走らせる。いつかの獣のような、死体のような表情とは違う、口元には笑みが浮かんでいた。腹が空けばパンを齧り、日が沈みきってしまえば床に就く。いかにも人間らしい生活を送っていた。私はといえば、部屋の中をうろつきながらその様子を見守っていた。そうして新たに戯曲を完成させたのは、執筆を初めてから二週間が経過した頃だった。コツン、と万年筆が机に触れる音がする。私が近づくよりも先にニコラがこちらを振り返り、笑って羊皮紙の束を差し出した。

「できた! できたよ、クロノス!」

私は無言でそれを受け取ると、書いてある物語に目を通した。私がページを捲る隣で、ニコラが期待に満ちた目で私を見ている。新たな戯曲は、雪国に住む孤独な男の話だった。恋愛劇ばかり上映される最近の風潮には則さない、観客の目を意識することはしない、自分自身のための物語だった。全てを読み終えた私は、そっと口元を緩める。それを見たニコラの表情が一気に明るくなるのがわかった。

「ね? すごいでしょう? 自信作だよ!」

クロノスは微笑みながら目を伏せると静かに頷いた。

「あぁ、確かにそうだ。 今までのものよりは随分とマシになった。」

「そう! だから今度こそこれを劇場に__」

「そうだな、今度こそお前の為に取っておくといい。」

微笑んだまま、クロノスが彼女の言葉を遮る。

「でも、これは……」

下を向き、まだなにか言いたげなニコラを見て、クロノスは目を細めた。その圧力に、ニコラは「でも」と何かを言いかけたあと、顔をあげないまま小さく頷く。服の端を握る手が小さく震えているのが見えた。

「うん。わかった。」

俯いたままのニコラに、クロノスが羊皮紙を差し出す。

「いいかニコラ。これは君の聖域だ。誰も踏み入ることは許されないんだよ。」

ニコラはそっと顔を上げて、小さく頷くとクロノスから羊皮紙を受け取る。

「ねぇ、クロノス。散歩に行こうよ。次の話を考えなきゃ。」

悲しそうに微笑んで、でニコラは言った。クロノスは静かに頷いてそれに答える。二人は、言葉を交わさぬままドアを開け、外へと飛び出した。

外は、頬が痛むほど冷たい風が吹き荒れていた。一吹きする度に、頬が削れていくようなそんな風。その中を、ニコラは何も言わず、石畳の上を歩き続けていた。


***


石畳の道を辿り続けると、閑静な街並みが段々と姿を変え、建物の背が伸びて空の面積が小さくなっていく。ただでさえ小さい空には、薄汚れた煙が満ちていて、つい先程まで見えていた雪景色は姿を消してしまった。ほんの僅かに残っている雪は汚れた靴底に踏まれ、茶色く濁っていた。その景色に眉を顰めるクロノスとは反対に、ニコラの表情は明るくなっていった。体は前のめりに倒れ、次々に押し寄せる人の群れを掻き分けて、前へ、前へと足を進めている。

ニコラがついに足を止めると、そこには何か巨大な建物がそびえ立っていた。白く美しい外壁は所々ひび割れていて、中心には重厚な扉が設置されていた。少し空いている扉からは、紅のカーペットが顔を覗かせ、老若男女問わず様々な人が中に吸い込まれていく。カーペットと同じ色の制服を着た男が門番のようにして扉を出入りする人々に目を光らせていた。

「クロノス、ここが劇場だよ。すごいでしょう? こんなにたくさんの人が、たった一つの演目のために集まるんだ。」

クロノスはそれに答えないまま、辺りをぐるりと見回した。確かに、彼らの周りには洒落こんだ人々が数え切れないほど渦巻いていて、その場に立っているだけで吐き気を催す程だった。そんな景色に大きく息をついたクロノスが何か言おうと口を開く。しかしニコラは何かを探すように首を左右に降り、「あっ」と声を上げたかと思えば、劇場の隅へと足早に歩き出した。そんなニコラの様子に呆れ、クロノスは大袈裟にぐるりと目を回してみせると、また大きくため息をつき彼女の後に続いた。

ニコラが向かった先には、壁にかかった一枚の額縁があった。額の中には今日上演される演目だろうか、ポスターが飾られている。彼女は額の目の前で足を止めると、そのポスターを見上げたまま動かなくなった。私は初めの方こそ黙ってニコラを見守っていた。創作が食い荒らされるゴミ溜めのような劇場。初めは乗り気でなかったクロノスだが、ここで感じた何かが、一つでも創作の糧になるのならと渋々彼女に同行した。劇場に入れば、あの日のように何かを得たニコラがすぐにでも家に帰ろうとするのだとばかり思っていた。しかし、いつまで経ってもニコラが動く気配はなかった。吸い込まれるようにしてポスターの一点だけを見つめている。いや、もはやポスターなんて見てはいなかったのかもしれない。一枚の紙切れの先に広がる何かを、ニコラは確かに見ていた。私はその間、あちこちで蠢く人々の行列を観察していた。外見だけはしっかりと洒落こんで、肝心な中身は空っぽな連中。芸術など何も理解していないような哀れな評論家達をただ目で追っていた。こんな奴らに創作は壊されていくのだと思えば、怒りさえ湧いてきた。そこから更に時間が経過すると、上演時間が近づいてきたのか劇場を行き来する人の数が減った。流石の私も、そろそろ限界だった。先程からつま先は小刻みに床を叩いていたし、人々の観察も飽きてきた頃だ。そんな私のことなど眼中にもないニコラは未だに一枚のポスターを見上げていた。痺れを切らしたクロノスは乱暴にニコラの肩を叩く。

「ニコラ、そんな所に突っ立って何を見ている。 用がないならさっさとここから出ろ。時間の無駄だ。」

「うん、そうだね」

私の話を聞いているのかいないのか、曖昧な返事をしたニコラがその場から動く様子はない。もう一度名前を呼んで急かせば、ニコラは「うん」と気の抜けた返事をしてようやく出口の方へと体を向けた。夢の中にいるような、ふらふらとした足取りで出口に向かうニコラ。しかしその目には確かな炎が宿っているようにも見えた。

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