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創作論  作者: 雨蛙
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2

選んだ? いったい誰が、私のような人間を選んだと言うの

「創作だ。この私が君を選んだんだよ」

その言葉に、ニコラは眉を顰める。そして、鉛のような体を起こし、その声の主を確かめようとした。いったい、何処のどんな礼儀知らずが勝手に私の家に入り込み、こんな馬鹿げたことを言うのか。それをこの目に焼き付けようと、声の方向に目をやった。

彼と目が合った瞬間、ニコラは言葉を失った。自らを創作だと名乗るそのおかしな声の主の正体は、彼女と瓜二つだったのだ。ニコラは「ぎゃっ」と情けない悲鳴を上げたかと思えば、その場で姿勢を崩し、床に座り込んだ。それを黙って見下ろす彼。その姿は、逆光に照らされる彼の姿も相まって神とその信者、生贄のようにも見える。それが、クロノスとニコラの出会いだった。忘れもしない、君と私が出会った瞬間だ。

しばらくの間、ニコラは突然現れた私を見あげていた。なにか得体の知れない動物を見るような目をして、「あ」だの「う」だの、言葉未満の音を口から零していた。そんな彼女の様子に思わず眉を顰める。

「ほら、何を見ている。 さっさと書け。お前の使命だろう。」

彼の手が、ニコラの額に触れる。その瞬間、消え去ったはずの炎が心の奥に灯ったのがわかった。その炎は体中を巡り、次から次へと素晴らしいシナリオが浮かび上がっていく。そしてニコラは、なにかに取り憑かれたかのようにして万年筆を握り直した。乱暴にインクの瓶を開けて、万年筆を浸すと、一心不乱に筆を走らせた。空っぽの胃があげる悲鳴も、窓から吹く凍てつく寒さが体を突き刺す感覚すらも、今の彼女には無いものと同じ。ニコラは、湧き上がる情熱に身を任せ、ひたすら机へと向かっていた。

そうしてから、一体何日が経っただろうか。ある日の明け方、休むことなく筆を動かしていたニコラの手がふと止まる。すると、手首が小刻みに震えだし、万年筆がその手を離れ、小さな音を立てて転がった。ニコラは目を見開き、その場に完全に静止している。その様子から、彼女の戯曲が完成したのだとわかった。その文字を一つ一つ追いかけて、満足気に微笑む。

ニコラはと言うと、このわけのわからない状況に混乱していた。突然現れた自分そっくりの存在、その上、そいつが自分を選んだだの、使命だの言い出したかと思えば、あっという間にひとつの戯曲を完成させてしまった。こんなこと、起こるはずがない。いくら極限状態だったニコラと言えど、現実と創作の区別はついているつもりだった。でもどうしてだか、彼はそこに居て、目の前には彼女自身が書き上げた戯曲が散らばっている。

「か、書けた……」

ニコラはペラペラと羊皮紙をめくり、本当にこの作品を自分が書いたのか確かめようとした。でも、何度見ても、何度読み返しても、これは自分の筆跡で、自分の言葉だ。さらに、何度読んでも傑作と呼べるほどに面白かった。

「すごい、すごいよ! これを私が? 君、一体どうやったの?」

ニコラは羊皮紙を握りしめて、興奮気味に私に尋ねた。

「どう? 私は何もしていないさ。君の中にある欠片をかき集めたまでだ。」

「欠片?」

ニコラは首を捻って、再び羊皮紙に顔を向ける。そして、「そうだ!」と声を上げたかと思えば、また私の方に顔を上げ、一歩近づいて言った。

「これはすごい傑作だよ! 今すぐ劇場に送らないと!」

「劇場?」

今度は私が首を捻って彼女に尋ねた。

「そう! 劇場だよ! そこで採用されれば、私は一流の劇作家になれる! 」

それがニコラの幼い頃からの夢だった。その夢を掴む切符が今このの手の中にある、こんなチャンスを逃すわけにはいかない。

「それは、やめた方がいいだろうな。」

「どうして! こんなチャンス二度とないんだ!」

ニコラの言葉に彼は、いかにも不快であるといった様子でニコラを睨んだ。

「ニコラ、お前は劇場で上映された物語の末路を知っているのか。」

「安く、買い叩かれるんだよ。」

その目には明らかな怒りが滲み出ている。

「一度あの劇場で上映されてしまえば、言葉の意味なんて分かりもしない評論家たちに食い荒らされて、やれ傑作だのやれ駄作だの、好き勝手言われるのがオチだ。」

ニコラの方も、怯むことなく口を開く。

「そんなの分からないじゃないか! これは、私が魂を込めて書き上げた物語で……」

「顔も知らない作者の思いなんて、観客が気にすると思うか?」

ニコラに反論の隙を与えることなく、彼は続けた。

「そんな事は一度だってない。面白ければ傑作、そうでなければ駄作だ。一瞬の退屈を紛らわすための、ただの麻薬に過ぎない。そんなドラッグなんかに、作者の思いだなんて物は気にもされないんだよ。」

ニコラはなにか言おうと口をパクパクと動かしたが、とうとう何も言えずにその場に俯いてしまう。ぎゅっと握りしめられた拳が小さく震えていた。彼は、床に散らばった羊皮紙を掴んで、ニコラに突き出す。その羊皮紙は、ニコラが最初に書き上げた戯曲だった。文字の上に、劇場から押された朱印が赤い跡を残している。

「それに、君の作品を一度拒絶した劇場だ。もう二度と、関わる必要なんてないだろう?」

ニコラは私に目をやったあと、私の持っている戯曲に視線を戻した。そうしてしばらく黙ったあとに口を開いた。

「そ、それなら…私が書くよ! どんな観客にだって刺さる、誰が見ても傑作だと呼べるような話を! 君の言う評論家たちが舌を巻くような話を!」

しばらく肩で息をするニコラを見下ろしたあと、彼は小さく笑って言った。

「そう。それならやってみるといい。できるものならね」

その言葉に、ニコラは私の方をキッと睨んだかと思えば私の手から戯曲を乱暴に奪い取り、それを床に叩きつける。万年筆をインクに沈めて、頭を抱えながら羊皮紙に向かいはじめた。

そこから更に五日が経過した。ニコラの住む街に、冬の足音が近づき雪が街を覆う日も多くなった。人々は食料を買い込み、来る祭りと寒さに備えた。ニコラはといえば、相変わらず机に向かい、排泄以外ではその場を動かない毎日を送っていた。そんな生活を送っていれば当然、心身への影響が出てくる。体が鉛のように重く、力が入らない。その場に相応しい言葉が見つからず、焦り、苛立った彼女は髪を掻きむしり、机に頭を打ち付ける日もあった。今では、動物のような呻き声をあげながら、机に突っ伏している。半開きになった口からは、「書かなきゃ」と言ったうわ言が零れた。 書かなきゃ、書かなきゃ……書いて、書いて、そうしたら、一流の劇作家に……。それなのに、どうしてこの手は動かないんだ。

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