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創作論  作者: 雨蛙
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ニコラ・シュバルツの生涯は、都会から遠く離れたとある小さな農家の家で幕を開けた。両親の暖かな愛を受け、すくすくと育ったニコラ。そんな彼女の毎日の楽しみは乗馬でも、畑仕事でもない。空想だった。両親が目を離せば、いつの間にか窓辺に腰掛けたニコラがぼんやりと外を眺め、無限に広がる空想の海に浸っているのだった。その空想は成長とともに広がり、いつしか心の拠り所となっていた。近所の子供たちが外ではしゃぎ回り、農家の後継ぎとしての道を順調に歩き始める中、ニコラだけは部屋に籠り続け、羊皮紙に自らの心を映し出す作業にのめり込んでいた。初めの頃は微笑ましく見守っていた両親も、だんだんとその表情を曇らせるようになっていた。そうしてニコラは、周囲に馴染むことなく、成長とともにその孤立を深めていく。しかし、そんなニコラにも、友達と呼べる人物が一人だけ居た。

ある日、ニコラが完成させた物語を握りしめて家を飛び出すと、彼女が向かった先は町にある小さな広場だった。

「お兄さん! 来てたんだね、ずっと待ってたよ!」

彼女が目を輝かせながら走った先は、小さな移動劇場。その移動劇場の横に立つ男。小さな劇場の管理者こそが、ニコラの唯一の友達、理解者だった。空想に明け暮れるニコラを母親のように叱りつけることもせず、父のように羊皮紙を破いて投げ捨てる事もしない。彼女の作った物語を理解し、受け止めてくれるのは彼だけ。彼女は作品が完成する度に彼の元へ向かい、感想を貰うのが日課だった。ニコラは期待を胸に、ぐしゃぐしゃになった羊皮紙を一枚、彼に差し出した。男はそれを受け取ると、ニコラの書いた物語を読み進めていく。物語が進むにつれて、男の表情は秋の空模様のように変わっていく。ニコラは、その様子を眺める瞬間が何よりも幸せだった。自分が書いた物語が、誰かの手に渡り、その心を動かしている。それを実感するだけで、言葉にできないほどの幸せが体を巡るのが分かった。

「こりゃあたまげたよ、今回も大傑作だ」と全てを読み終えた男は豪快に笑ってニコラの小さな頭に手を置き言った。

「なぁ、ニコラ。」

「なあに? お兄さん」

「よく聞けよ。ニコラ、お前さんには才能があるよ。でもな、その才能にこの町は小さすぎる。だから、十八になってまだ物語を書こうと思うなら、町を出るといい。」

「そうしたら、お前は最高の作家になれる。約束するよ」

それだけ言い残して、男はこの町を去ってしまった。以降、この男が町に現れることは二度となかった。

そうして、一八の夏、ただ一つの羊皮紙を握りしめてニコラは寂しい田舎町を去って行った。


***


生まれ故郷を離れ半年が経とうとしたある日、この先の運命を揺るがす奇跡とも呼べる出会いがニコラに訪れる。

その日は冬の半ば、豪雪が街を襲った翌日の早朝であった。お世辞にも綺麗とは言えない部屋の中、陽光に照らされキラキラと舞い落ちる埃の中、床に散乱する羊皮紙に囲われて、極限状態のニコラは静かに息をしていた。薄く開けられた緑の瞳はどこか遠い所を見ているようで、顔のあたりに散らばった銀色の髪が時折吹く風によって揺れていた。力なく開かれた手には乾き切った万年筆が握られている。

田舎町から都心へと引っ越してきたニコラは、すぐに羊皮紙へと向かい、必死にペンを走らせた。新生活への期待と興奮からか、次々と言葉が浮かんだ。脳内から消えゆくその言葉を必死に掴み、羊皮紙へと書き写す作業は決して楽ではなかったが、その苦しさすらその時のニコラにとっては喜びだった。そうして彼女は休む間もなく来る日も来る日も書き続けた。食事も摂らず、眠りにつくこともなく、時には息をすることさえ忘れて物語を紡いだ。そして命を削ってようやく完成したその戯曲は、その日のうちに近所の劇場へと送られた。約一週間の審査を終えて、家に送り返されたのがつい三日前の話である。こうしてニコラを燃やし、追い風となっていた興奮と情熱の炎は、劇場からの一通の報せによってあっけなく消えてしまった。自らの精神を削り、人間としての生活を捨ててまで完成させた戯曲は支配人の匙加減ひとつでいとも簡単に追い返されてしまった。こうして意気消沈したニコラが自界自棄になった結果が、今の死体のような哀れな姿だった。

ニコラの横たわるその部屋は静まり返っていた。時計の秒針の音、風で羊皮紙がめくれる音が部屋に響き渡る。時折文字が浮かぶことはあったが、筆を握る気にはなれなかった。時折窓辺にやってくる小鳥たちは、「まだ生きていたのか」といいたげに部屋を覗き込んでいた。そんな来訪者にチラリと目をやったニコラは再び天井を仰ぎ、目を閉じようとした。___その時だった

胸の奥に、なにか暖かいものが生まれた。 それと同時に、窓から鋭い陽光が部屋を貫いた。それに驚いた来訪者たちは白い羽を撒き散らしながら飛び立っていく。部屋に入り込んだ光が、劇場のスポットライトのようにして部屋を照らす。___そこに、彼は居た

神にも幽霊にも似た立ち姿で、彼はそこに立っていた。ニコラによく似たその人は、肩まである銀髪を揺らしながら死体のようなニコラを見下ろしていた。彼は何も言わない。大きな碧緑の瞳がニコラを覗き込む。

ニコラは何も言わないまま、ぼんやりとした瞳でその男を見つめ返した。

すると、輪郭のぼやけた声がどこからか降ってきた。いや、声がしたかも分からない。でも、確かに聞こえた。

「君は選ばれたんだよ、ニコラ」


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