第1話 冴えない社畜、勇者パーティーの一員として戦う
「タクト、魔法付与感謝する。ミレーヌがいた時以上の動きができそうだ」
勇者イグノールがにこやかな笑みを向けて、私に礼を言った。
「ああ。このくらいしないと、あの人に合わせる顔がないよ」
勇者パーティーに加入して二日目の朝。
私、タクト=ヒビヤは今、彼らと共にダンジョン第五十階層に立っている。
冴えない社畜としての人生は、師匠である聖女エレノーラ様によってこの世界へ召喚されたことで終わりを告げ、今は第二の人生を馬車馬の如く送っている最中だ。
私にとってダンジョン深層での戦闘は初めてだ。
だから彼らの提案で、一度踏破済みの階層に挑むことになった。
「それにしても……大きいな。昔、観光で行ったローマのコロッセオを思い出す」
目の前に広がるのは、底なしの闇に沈んだ 直径二百メートルにも及ぶ円形の闘技場だった。
黒曜石の壁面は闇の中で鈍く光り、天井は漆黒の金属で覆われている。
五十メートルの高さに刻まれた巨大な魔法陣が、息を潜めるように淡く青白い光を放っていた。
床には複雑な魔力伝導の紋様が無数に走り、私の足裏を通してかすかに脈動を伝えてくる。
壁際には、串刺しにされた霊騎士の残骸が無数に並び立つ。
ただの飾りではない。
奴らは戦いの最中に【霊騎士団】として呼び起こされる。
――実績やステータスだけ見れば、イグノールたちの戦力は、おそらくこの国の冒険者としては最高水準だ。
それでも、私にはまだわからない。
ステータスだけでは埋められない隙間があるのだ。
「タクトは後ろで見ていてくれ。俺達が、これから出現するボスを討伐する」
「わかった。何かあればすぐに加勢する」
「ああ、だがその必要はないさ。任せてくれ」
イグノールはそう言うと自信に満ちた笑みを浮かべ、仲間たちに視線を送った。
私は黙って頷き、その背中を目で追う。
――この戦いで、イグノール達がどんな戦いを見せるのか。
それを知るには、ちょうどいい相手だ。
私の視線の先で、闘技場の中央――黒曜石の床に刻まれた魔法陣が、青白い光を放ちながら脈打ち始めた。
空気が変わる。
次の瞬間、重く低い音が地面の奥から響き、闘技場全体がわずかに揺れた。
黒煙のような魔力の渦が魔法陣から立ち上る。
中心に現れたのは、禍々しい黒鉄の鎧を纏った騎士――【ダークナイト・アークデウス】。
この階層ボスである。
身の丈を越える大剣をゆっくりと引き抜き、空気を裂くように構えを取るその動きは、もはや亡骸とは思えないほど静かで威厳に満ちていた。
――冒険者ギルドの情報によると、この男、生前は大陸を二度も救った英雄だという。
だが今は、魔界の誘惑に負け、不死の騎士王としてこの階層を守る試練の化身に成り果てた。
私は一歩下がり、前に立つイグノールたちの背中を見やる。
「……来るぞ!」
聖騎士クローディアが声高に叫び、皆に円形陣形を敷かせる。
前衛はイグノールとパラディンのバルドスが中央を押さえ、クローディアが左翼を固める。
後方には魔導士メリエラが高位魔法詠唱の構えを取っている。
全員の動きは無駄がなく、各々の役割を完全に理解している。
だが――私は頭の片隅で、冷静に数値と動きを照らし合わせる。
彼らの動きは、間違いなく洗練されている。
盾役のバルドスが霊騎士の群れを引きつけ、クローディアの剣が一閃、霊体の首を刈り取る。
勇者イグノールの聖剣アルノールが光を纏い、前線を抉りながら進む。
その後方でメリエラの詠唱が完了し、極大の炎弾が騎士たちを一掃した。
霊騎士団が崩れ落ちる。
だが、その奥――。
ダークナイト・アークデウスが、まるで血が通ったかのように、静かに剣を振り上げた。
地を割るような衝撃波が走り、イグノールの聖剣が受け止めきれずに弾かれる。
「くっ……バルドス、援護を!」
「任せろ!」
すぐさまバルドスが盾で突進し、アークデウスの大剣を逸らす。
しかし漆黒の刃が振り下ろされるたび、盾の金属が軋む音が聞こえた。
クローディアが【疾風乱舞】を繰り出し斬り込むが、漆黒の鎧には刃こぼれすら残らない。
メリエラの雷撃も、黒騎士の魔力障壁にかき消される。
「まだ……まだ効かないのか……!」
イグノールが歯噛みする声が届く。
その刹那、アークデウスの闇の瘴気と大剣の力に圧され、イグノールが転倒してしまう。
「なぜだ! 私たちはこの敵を倒したはずだ!! あの時はここまでの強さとしぶとさはなかったはずだ……」
クローディアが戦況の違和感に激昂する。
私は一歩、前に出た。
そしてその足は宙に舞う。
――やはり足りない。
ステータスは十分だ。
技も動きも無駄はない。
それでも、決定打に届かない。イグノール達の何かが、歯車が少し狂っているように見えた。
アークデウスの大剣が、再びイグノールの胸を貫かんと振り下ろされる。
私の詠唱が、無意識に出た。
『重力の鎖』
アークデウスの腕と大剣が途中でピタと止まる。
何が起こったのかわからず、何度も腕を振り下ろそうとする。
「下がって!」
私はイグノールに短く告げると同時に、霊騎士の残骸の上を横切り、黒鉄の騎士王と対峙した。
腕の異変に戸惑うアークデウスに対して右手を掲げる。
「『浄化衝波』!」
光の奔流が掌からほとばしり、アークデウスの黒鎧を貫いた。
奥底に潜む怨念が一瞬で弾け、巨体が膝をつく。
『グオオオオオオオ!!!』
騎士王の苦悶が絶叫し、仮面の奥の光が鈍くなる。
私はさらにもう一歩近づき、低く言葉を落とす。
「もう休め。英雄……」
指先から放つのは、聖と闇を併せ持つ私だけの魔法『聖闇の鎮魂歌】だ。
荘厳な音響と聖なる光が残滓すら残さず、不死の騎士王の魂を完全に浄化する。
肉体だけが機能を停止して立ち尽くす。
黒曜石の床を、重い鎧が叩く音がした。
やがて闘技場に静寂が訪れた。
「……やっぱり、足りない。このままではダメだ……」
私は誰にともなく呟く。
イグノール達の背後で、霊騎士の残骸が再び静寂へと戻る。
私の中に残ったのは、得られぬ充足感だけだった。
程なくしてダークナイト・アークデウスの巨体が鈍い金属音を立てて崩れ落ちていった。
それと共に見た事のない量の硬貨と宝石、数個の装備品が床に散乱し、青白い魔素が舞う。
大剣が床に当たり、闘技場に澄んだ残響が鳴り響く。
イグノールが振り返り、目を見開いたまま私を見ている。
クローディアも、バルドスも、メリエラも――誰も言葉を発せなかった。
「……タクト、今の魔法……」
イグノールが口を開く。
その声には驚きと、どこかに悔しさが滲んでいた。
「出過ぎたことをしてすまない。つい体が動いてしまって……」
私は笑みを取り繕って答える。
だが本当はそんな理由ではない。
ただ、見ているだけでは、もどかしかったのだ。
「……はは、助かったさ。俺たちだけじゃ、もう少し時間がかかったかもしれない」
イグノールが冗談めかして笑う。
だがその瞳には、かすかに陰があった。
クローディアは視線を地面に落としたまま、無言で剣を鞘に収める。
メリエラの視線は、私の魔法を放った手をじっと見つめていた。
バルドスだけが大声で豪快に笑った。
「さすがタクトだな! お前が加われば百人力だ!」
私は「そうか」とだけ返し、目を逸らしかすかに笑みを浮かべる。
――だがイグノール達を見ていて、わかった。
このパーティーを真に支えていたのは、きっと前の補助役のミレーヌだったのだと。
イグノール達の剣も魔法も一流だ。
だが、まとめる誰かがいなければ空回りする。
情報の整理、連携の調整、言葉にしない指示――。
きっとあの人はそれを全部やっていたのだろう。
だがもう、その支えは私が引き受けた。
……それでも、やはり物足りない。
この程度では、聖女エレノーラ様の指導によって鍛えられた私の力は試されもしない。
もっと先へ進むしかない。
魔王軍を討つと決めたのだから。
――この程度の試練で、立ち止まっている暇などない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【まめちしき】
【ミレーヌ】…………ミレーヌ=サフラージ。元勇者パーティーメンバー。登場人物紹介を参照。
【ダークナイト・アークデウス】……ダンジョン第五十階層ボス。闇と古の誓いに縛られた不滅の騎士王。堕落の黒剣という大剣使いであり、魔法と召喚で戦場を支配する。虚空召喚・黒騎士団、冥府結界、終焉の黒剣舞といった攻撃手段をもつ。生前は大陸を二度も救った英雄だったが、仲間の裏切りで全てを失い、魔界の闇の契約に身を投じた。
【浄化衝波】……汚穢や邪念を一瞬で吹き飛ばす高密度の聖属性衝撃波。物理と霊的な両方の結界を貫通し、敵の呪縛や怨念をも浄化する。
【聖闇の鎮魂歌】……聖と闇の相反する力を調和させた、魂を安らかに還す終焉魔法。不死の怨霊や呪縛存在を完全消滅させ、輪廻へと導く秘奥の鎮魂術。世界でタクトだけが唱えられる魔法の一つ。