第39話 第八階層の守護者に挑む
第七階層の激闘を制し、私たちは第八階層への階段を探した。
若干の魔物に遭遇したが、程なくして上への階段を発見する。
「よし、少し休憩しよう」
イグノールの指示で私たちはひと時の休息を過ごした。
軽い食事を振る舞い、みんなが口にした。
英気を養った後、ヒールを施す。
付与魔法を再度かけ、次の戦いに備える。
階段を駆け上がると、今までとは違う構造が目に飛び込んでくる。
――ここが、第八階層。
古代に封じられた怪獣たちの、牢獄。
はやるイグノールを制し、私は魔法で階層全体の探知を施す。
「これは――大広間が三つも並んでいる。明らかに今までの階層とは違う!」
通路が全くない。
迷路も長い直線もなく、大きな部屋が目の前に存在する。
側面に小部屋のようなものがいくつもありそうだが、踏破するには広間を通るしかない。
「この部屋に入るしかないんだな?」
「ああ。それしかない」
「じゃあ行こう、みんな」
イグノールの言葉にみんなが頷く。
バルドスとクローディアが正面の大きな扉を押し開ける。
見えた先は――まるで別世界だった。
天井は果てしなく高く、岩壁には黒い結晶がびっしりと生え、淡い燐光を放っている。
その光を反射して、床一面を覆う黒沼がかすかに揺らめいた。
空気は重く、肺に入れるだけで粘つく毒を飲み込んだように喉が焼ける。
仲間の息遣いが一瞬、揃う。
緊張が全身を貫いたその時だった。
沼が割れた。
ぶくぶくと泡が膨れ上がり、轟音と共に三十メートルほどの巨大な身体に無数の首が這い出てくる。
蛇のようにしなり、竜のように咆哮し、目の奥に毒光を宿した――グレートヒュドラ。
十の首が一斉にこちらを向いた瞬間、吐き出された紫煙が空気を侵し、沼は濃緑に濁っていく。
「毒の霧……!」
「下がるな! ここで押し負ければ一歩も進めん!」
咆哮が大広間を揺らし、毒霧が波のように押し寄せた。
足場はすでに半分以上が沼に沈み、残された陸地はわずか。
咆哮一つで黒沼が波打ち、巨大な胴体が揺れるたびに石床が砕ける。
吐き出される毒霧は我々には効かない――しかし、ヒュドラも黙ってはいなかった。
轟音。
一つの首からは灼熱の炎、別の首からは極寒の冷気、さらに雷撃と毒液が交互に迸る。
大広間の空気そのものがめちゃくちゃに引き裂かれ、炎と氷がぶつかり合って爆ぜ、紫電が閃光を走らせる。
「属性まで使うのか……っ!」
「避けろ、正面は危険だ!」
バルドスの盾が炎と雷を同時に受け止め、閃光に包まれながらも踏みとどまる。
クローディアの剣が首の一つを断ち切るが――ずるり、と黒沼から新たな首が芽吹き、元よりも強靭な動きで襲いかかってくる。
「切っても切っても増える……!」
「核を探すしかない!」
だがその間にも、無数の首が鞭のように襲いかかり、大広間の床が次々と破壊されていく。
炎と冷気が交差し、雷鳴が轟き、毒液が飛び散る。
耐性を持つ彼らですら、押し寄せる圧力と衝撃波に足をすくわれる。
――再生。
――多属性の咆哮。
――巨体の圧。
これを越えなければ、奥へは進めない。
幾度首を斬り落としても、すぐに沼から新たな肉が芽吹く。
炎と冷気、雷と毒液――四属性の咆哮が交互に吐き出され、広間全体はもはや地獄の坩堝だった。
床は爆ぜ、氷結と火炎が入り乱れ、残された立ち位置すらどんどん狭まっていく。
「キリがない! これではラチが明かない!」
クローディアの剣閃が首を断ち切るが、すぐに二本の首が再生して襲いかかる。
バルドスが盾を突き立て、雷撃を受け止めるが、衝撃で石床ごと押し砕かれた。
――単なる力押しでは勝てない。
私は呼吸を整え、掌に魔法陣を展開した。
「……見えるはずだ、奴を動かす核が」
視界に淡い光が広がり、巨獣の体が透けて見える。
無数の首の根元、巨大な胸郭の奥――そこに、脈打つ赤黒い結晶が脈動していた。
再生する肉も、属性を変える魔力も、すべてそこから供給されている。
「いた……あそこだ!」
私の指し示す先を見て、仲間たちの瞳が光を帯びる。
「胸の奥……コアか!」
「なら――道を拓く!」
ヒュドラがそれを悟ったかのように、十数の首を同時に振り上げた。
炎と氷、雷と毒液が一斉に吐き出され、大広間全体を覆い尽くす。
コアを突くためには、まずこの災厄そのものを突破しなければならなかった。
私の魔法が照らし出した胸郭の奥、赤黒く脈打つ結晶――。
そこがヒュドラのコア。
「見つけた! 胸の奥だ!」
「行くぞ、クローディア!」
「任せて!」
ヒュドラが怒号のような咆哮をあげ、十数の首が一斉に襲いかかる。
炎、氷、雷、毒液――四属性の咆哮が交差し、大広間は災厄そのものに飲み込まれた。
バルドスが聖盾で正面を受け止め、メリエラが魔力障壁で左右の衝撃を弾く。
私は不可視の結界で仲間の通路を切り拓いた。
「今だ――!」
イグノールが聖剣アルノールを振りかざし、クローディアが魔剣ノクス=エクリプスを重ねる。
光と闇、正と邪――二つの刃が交差し、激しい共鳴音が広間を震わせた。
「《聖魔双閃――アーク・レクイエム》!」
二人の剣閃が一直線に奔り、ヒュドラの胸を貫く。
結晶が裂け、赤黒い光が爆ぜた瞬間、十数の首が狂ったように振り乱れ――そして一斉に崩れ落ちた。
巨体が沼に沈む音が広間に響き、残されたのは蒸気と崩れた肉塊だけだった。
「……やったのか?」
「大丈夫だ。命の鼓動は止まった」
私は深呼吸し、仲間たちを見渡す。
まだ八階層は始まったばかり。
――だが、この災厄を超えた時、私たちパーティーの絆は確かに、次の段階に進むだろう。
第一の広間を越えた先に待つのは、吹き荒れる風音だった。
扉を押し開けるや否や、強烈な突風が全員の外套をはためかせる。
天井は裂け、黒雲が渦を巻き、稲光が絶え間なく走っていた。
――大広間そのものが、嵐の中にある。
その中心に、そびえる巨影。
巨人の胴に蛇の下半身、頭部からは無数の蛇髪がのたうち、雷光を散らしている。
両腕は竜爪のように肥大し、振り上げるたびに竜巻が巻き起こった。
――嵐帝タイフォン。
「……これが、古代の嵐帝か」
イグノールが聖剣を構えるのと同時に、広間全体へ雷鳴が轟く。
蛇髪が一斉に電光を放ち、四方八方から雷撃が襲いかかる。
イグノールが聖剣アルノールを振り払い、光の壁でいくつかを弾く。
が、なお強烈な残滓が床を貫いた。
「……ッ、盾を寄せろ!」
バルドスが前に立ち、聖盾に雷を集める。
だが衝撃は重く、足場ごと床が砕け、石片が飛散した。
その隙にタイフォンの巨腕が振り下ろされ、突風が押し寄せる。
詠唱していたメリエラの声がかき消され、立ち位置を大きく崩される。
「風が強すぎて魔法が通らない……!」
私は不可視の結界を展開し、風の流れを部分的に遮断した。
「ここだ、風の隙間を作った! 突っ込め!」
クローディアがその隙を駆け抜け、蛇髪の一本を斬り落とす。
断面が火花を散らし、雷撃の数がわずかに減った。
「効くな……ならば全部、断ち切る!」
彼女が次々と蛇髪を斬り落とすたび、タイフォンが咆哮し、雷雲が激しさを増す。
メリエラは風の流れを読み、逆位相の風魔法を重ねることで突風を抑え込み始めた。
バルドスは盾を軸に仲間を守り、イグノールは聖剣を握りしめて前へ。
タイフォンの胸郭が光り始める。
雷核――心臓部に刻まれた雷の結晶が輝き、広間全体が「嵐帝結界」に覆われた。
落雷が絶え間なく降り注ぎ、暴風で体が持っていかれる。
「くそっ……っ! これじゃ近づけねえ!」
その時、私は魔法陣を広げ、周囲の風の流れを一瞬だけ断ち切る。
「みんな、今だ!!」
イグノールが聖剣を掲げ、クローディアが魔剣を重ねる。
二人の刃が再び共鳴し、白光と黒雷が交差する。
「《聖魔双閃――アーク・レクイエム》!」
閃光が一直線に突き抜け、タイフォンの胸を貫いた。
雷核が粉砕され、咆哮と共に嵐が掻き消える。
巨体がのたうち、蛇髪がばらばらに落下していく。
最後に轟音を響かせながら、嵐帝は崩れ落ちた。
扉を抜けた瞬間、全員が足を止めた。
そこは石造りの大広間……のはずだった。
しかし床一面に積もっているのは瓦礫ではなく、白骨の山だった。
壁も天井も黒い瘴気に覆われ、視界が歪んでいる。
息を吸うだけで胸が重くなり、生命力を削られるような感覚が押し寄せる。
骨の隙間から、黒緑の光が脈打ち、広間全体が「生きている墓地」と化していた。
その中央、山を押し割って巨影が立ち上がる。
竜でも獣でもない、骸骨と腐肉が継ぎ接ぎにされた巨体。
空洞の眼窩に赤黒い炎が宿り、咆哮と共に瘴気を吐き出した。
――死霊巨獣ネクロゾア。
吐き出された瘴気が瞬時に広間を覆い、床に散らばる骨片がカタカタと動き出す。
次々と立ち上がる骸骨兵が、波のように押し寄せてきた。
「アンデッドまで……!」
「全員、囲まれるな!」
メリエラの炎が骸骨兵を焼き払うが、瘴気に触れた瞬間、再び立ち上がる。
バルドスの大盾がそれを弾き飛ばすが、巨獣の尾が薙ぎ払い、盾ごと吹き飛ばした。
私は魔力感知を展開する。
「……見える。胸郭の奥に、黒い核がある!」
その声に応じるように、ネクロゾアの体が震え、全身の骨が音を立てて組み替わる。
胸部が骨の鎧で覆われ、核を完全に隠してしまった。
「守りやがったか……!」
敵もさるもの。
一筋縄では行かない。
クローディアが魔剣ノクス=エクリプスで鎧を切り裂く。
だが、斬っても斬っても骨が重なり、修復される。
その上、地面の白骨が次々と集まり、巨獣の体に吸い込まれていく。
――倒すほどに強化されていく。
ネクロゾアが咆哮し、瘴気の嵐を放つ。
広間中の骸骨が一斉に爆ぜ、骨片が弾丸のように飛び交った。
「これ以上は持たん!」
バルドスが盾を構えるも、裂傷だらけになる。
私はバルドスを回復させつつ、不可視の壁を作り出した。
わずかな隙間が顔をのぞかせる。
「イグノール、クローディア! 今だ!」
二人が同時に駆け抜ける。
クローディアが骨の鎧を斬り裂き、隙を作り――
イグノールが聖剣アルノールを振り下ろし、黒核を穿つ。
耳をつんざく悲鳴と共に、巨体が崩れ落ちる。
瘴気が一気に引き潮のように引いていく。
骨の山が再び静かに積み重なるだけとなった。
三つの大広間を抜けた先、回廊の一角に小さな安置所のような空間があった。
崩れかけた石壁に腰を下ろし、全員が黙って息を整える。
私は手のひらで汗を拭い、魔力の循環を確認する。問題はない。
だが体の芯がじんわりと重く、三体の災厄を連戦した疲労は確かに残っていた。
クローディアが剣を壁に立てかけ、深く息を吐いた。
「……骨が折れたわ。あれだけの化け物を連続で、よく倒せたものね」
バルドスが肩を揺らしながら笑う。
「聖盾が割れるかと思ったぞ。だが、誰一人欠けずに突破した。それが誇らしい」
メリエラは魔力の残量を測りながら、静かに頷く。
「私の計算でも、もう限界ギリギリだった。……でも、ここまで来られた」
その言葉にイグノールが聖剣を見下ろし、拳を握る。
「俺たちは……強くなったな。以前の俺なら、どこかで折れてた。けど今は、違う」
私は仲間たちを見渡し、思わず小さく笑った。
「ああ、強くなったよ。三体の怪獣を越えたんだ。もう、どこへだって行ける」
重苦しい疲労の中、それぞれの胸に確かな自信が芽生えていた。
束の間の休憩。
私はみんなを回復させ、料理を振る舞った。
精気をつけた後、全員が立ち上がる。
剣を握り直すクローディア。
盾を構え直すバルドス。
杖を掲げるメリエラ。
そして、イグノールは聖剣アルノールを腰につけ、仲間を見渡して力強く言った。
「行こう。次の戦いに」
束の間の休憩は終わった。
魔王はまだ先だが、もう少しのところまで来ている。
だが、ここからが本番だった。
――次の一歩は、さらなる地獄と終焉への始まりだった。
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【まめちしき】
【グレートヒュドラ】……首を落としても再生する古代怪獣。首を断つほどに数が増え、毒霧や炎、冷気、雷撃など多属性を同時に操る。胸奥にある「コア」を破壊しない限り不滅。
【嵐帝タイフォン】……巨人の胴体に蛇の下半身、蛇髪から放たれる雷撃で戦場を制圧する。暴風掌・雷鳴咆哮・嵐帝結界といった大規模な気象操作で広間を嵐の領域に変える。胸に宿る「雷核」が弱点。
【死霊巨獣ネクロゾア】……竜獣の骸が瘴気で蘇った不死の怪獣。常に瘴気を放ち、周囲の死体や骨を操ってアンデッドを生み出す。瘴気で骨を操り、倒すほどに強化される。胸奥の「黒核」が命脈。




