第34話 城門の守護者、星霧に揺れる影
魔王城第三階層のとある会議部屋。
石壁に揺れる蒼炎の松明は、血の匂いすら漂わせながら影を長く伸ばしていた。
二体のガーゴイル兵に先導され、深紫色のローブを纏った者がついていく。
会議部屋の扉が開く。
「失礼いたします。客人をお連れいたしました」
「来たか、通せ」
ガーゴイル兵が空席へと案内し、円卓の手前の席に着く。
「揃ったな。では俺、ゲルミスの名のもとに、これより会議を始める」
硬質な声を放ったのは、コルヌゴンの四天王ゲルミス。
青灰色の翼に大きめの鱗に覆われた約三メートルほどの巨躯。
その目は冷たく、戦場を盤上遊戯のように見下ろしていた。
まずは配下の魔将たちに現状報告をさせる。
魔王軍が劣勢で、人間の軍勢が撤退したにもかかわらず、数名の人間が魔王城に接近していることが報告される。
「……以上が現時点での状況報告となります」
ゲルミスの配下の一人、魔将ドルマークが報告を終え着席する。
会議は進み、やがて円卓の二つの空席を挟んだ巨躯の二人、四天王同士の怒号が飛び交う。
「兵を無駄死にさせるつもりか、フィナーン!」
ゲルミスが憤慨して大声を張り上げる。
彼を激昂させたのは、もう一人の四天王。
六本腕のマリリスがやり返す。
「これほど大量の数の兵士と魔物を統率しながら、ここまで侵攻されるとは。無能以外の何者でもないだろうが!」
二人はすさまじい形相で睨み合っている。
「……恐れながら、兵力の半数を正門に集約し、残りを城内に配置。秩序だった布陣こそ最も効率的です」
ゲルミスのもう一人の配下、獣頭の猛将バルグラスが意見する。ゲルミスもその案に同意し深く頷く。
「ならば最初からそうすればいいだろう。部下がいながらここまで侵入させるとは、無能としか言いようがないな」
六本の刃を絡ませる蛇尾をしならせ、四天王フィナーンが嘲笑う。
「何を言う! 魔王様の陣形は完璧だった。相手に強いのが混じっていただけだ」
「ほう、己が失策を魔王様のせいにするのか。随分殊勝なことだな……」
「貴様とて、兵を出しているだけではないか。もっと知略を提案しろ!」
「兵など盾にすればいい。奴らが這いつくばる間に、我が手で人間どもを八つ裂きにしてやる! 血と臓物こそ混沌の華、戦の本懐よ!」
「……野蛮な」
ゲルミスの声は氷のように冷え切っていた。
「無秩序はやがて敗北を呼ぶ。理解できぬのか」
「理解した上で踏みにじるのが愉しいんだろうが!」
フィナーンの双眸が赤く光り、刃を抜きかける。とっさに配下の魔法、サルヴァ=ディーンが割って入る。
「お待ちください、フィナーン様。ここは戦場を経験しているレメナス殿に意見を仰ぐが得策かと……」
サルヴァが推挙したのは――深淵の六翼《シェオル=シクス》唯一の生還者、レメナス=フィニス。
彼女は手をかざし、その美声を響かせた。
「やって来た人間は恐らく、タクトという者が率いる勇者一行かと。ここは城までの護りと各階層の陣形を厚くし、確実に仕留めるが得策」
柄から手を放し、四天王フィナーンが邪悪な笑みを浮かべる。
「なるほどなぁ。実際に相手した戦士の言うことは説得力がある。貴様も前に立つ覚悟はあるか?」
「もちろんでございます。受けた屈辱、倍にして返す所存でございます」
レメナスの目には怒りの炎が宿っている。
「それは頼もしい。期待しているぞ、レメナス」
「はっ! 深淵の六翼《シェオル=シクス》の名にかけて必ずや!」
場の空気がまとまりかけたその時。
その緊張を切り裂くように、別の声が響いた。
「……来るのね、彼が」
星霧のような淡い光を纏いながら、深紫色のローブの女が口を開く。
彼女の瞳は揺らぎ、何処か遠いものを見つめていた。
「タクト=ヒビヤ……運命はまた、私を試すのかしら」
ゲルミスが眉をひそめる。
「裏切り者の人間が何をほざくか。貴様の役割はただ一つ、我らに益する戦果を上げることだ」
フィナーンは妖しく舌を鳴らし、にやりと笑った。
「だが、この女の歌声は悪くない。血の渦にもよく響く。せいぜい魔王軍に貢献し、信頼を勝ち得るがいいさ」
深紫色の衣の女は応えず、ただ視線を落とした。
だがその胸の奥には――確かに、彼への想いが燻っていた。
魔王城の黒き門は、地を覆う瘴気と共に聳えていた。
鉄塊のように閉ざされた扉の前、勇者一行は剣と杖を構え、陣を整える。
「押し切れ! 奴らをここで止めるのだ!」
魔将の咆哮が轟き、魔兵たちが濁流のように押し寄せた。
巨躯のデーモンが斧を振り下ろし、炎を纏った魔人が前列に火球を浴びせる。
激しい衝突が門前で巻き起こり、血と火花が飛び散った。
◇ ◇ ◇
クローディアが剣を振るい、バルドスが盾で進路を切り開く。
メリエラの魔力が奔流となって敵陣を焼き、イグノールの聖剣が光を放った。
そしてその後方から、私は静かに支援の術を重ねる。
彼の結界が仲間たちを守り、幾度も死を遠ざけていた。
やがて魔兵の群れは押し返され、残るは魔将数名のみ。
仮面をつけた戦士――揺らめく衣に包まれた姿は、味方であるはずの魔将たちすら息をのませる威を放っていた。
クローディアが剣を構える。
鋼の閃きが交錯し、魔力の火花が散った。
次の瞬間。
仮面に細い裂け目が走り、破片が落ちる。
そこからわずかに覗いた顔――緑がかった銀髪、静かな光を宿す瞳。
「……イリシア……!」
私は思わず声を上げる。
戦場の喧騒を一瞬かき消す。
しかし少女は応えない。
ただ、伏し目がちに顔を逸らし、踵を返す。
翻る衣が霧を裂き、やがて魔王城の闇へと吸い込まれていった。
――認めたくはなかった。
だが、あの姿も、あの瞳も、紛れもなくイリシアだった。
「……なぜ、君が……」
答えは風にさらわれ、残されたのは胸を裂く問いだけだった。




