第26話 ”聖女”という存在
私は今、大聖堂の食堂へと向かう途中だ。
聖女巡礼を終えた報告をエレノーラ様にするためだ。
つい先ほどまでイグノールたちとダンジョン攻略に挑み、四十九階層の裏ボス【無貌王フェイスレス】を撃破したばかりだ。
終わってイグノールたちと別れ、テレポートで自分の私室に転移してきた。
食堂の扉を開けると、目的のエレノーラ様はいた。
彼女は優雅な手つきではあるが食事に専念しているみたいだ。
私の姿に気づくことなく、無我夢中で目の前の料理を口に運び続けている。
「エレノーラ様、お久しぶりです。タクトです」
私はエレノーラ様に一礼し声をかけた。
せわしなく動いていた彼女の両手が、はたと止まる。
首にかけた大きめのナプキン姿は今まで見たことがなかった。
頭を上げ、エメラルドグリーンの視線がこちらに向く。
「……おお、タクトですか。よく帰ってきましたね」
エレノーラ様は横に置かれた水を飲み干し、一息ついてから話す。
「なかなか会えなくてごめんなさいね」
「いえ、お忙しいのですね。戦況はいかがですか?」
私の問いにエレノーラ様は詳細に語ってくださった。
話の中で、私は何度も耳慣れた名前を聞いた。
各地で奮戦する将軍や聖騎士、そして魔王軍の魔将たち。
けれど、その戦況の裏側に――巡礼で出会った聖女たちの姿はなかった。
「聖女の方々は、今もそれぞれの地で?」
私がそう尋ねると、エレノーラ様は静かに頷いた。
「ええ。あなたが会った七人は、皆、自分の領分で戦っているわ。あなたが見てきた通り、聖女とは祈りや象徴であると同時に、最前線の力でもあるの」
その言葉に、巡礼の日々が脳裏をよぎる。
小麦畑に立つ優しい笑み。灼熱の砂漠で踊る炎。星霧の森の静かなまなざし――
彼女たちはそれぞれ違う信念を抱き、それを力に変えていた。
「……ですが、時にはその力が、人を遠ざけることもありました」
思わず口からこぼれる。
エレノーラ様はナイフを置き、わずかに口角を上げた。
「それもまた、聖女という存在の宿命でしょうね。――人を導く光は、時に眩しすぎて、影を生む」
エレノーラ様は、食事を終えるとナプキンを外し、姿勢を正した。
「タクト、巡礼で何を学び、何を得たのか――貴方なりの答えは出ましたか?」
問われ、私は一呼吸置いて口を開く。
「はい。それぞれの聖女様が持つ力は、属性や魔法以上に“信念”でした。
信じるものが違えば戦い方も異なり、それが人を救う形も変わる……。
そんな当たり前のことを、肌で感じました」
エレノーラ様はゆっくりと頷く。
私は続ける。
「そして、私の考えは半分正しく、半分間違いだったことに気づきました。
聖女として民に寄り添う神々しさと気品を持ちながらも、それぞれの聖女が人としての考えを持ち、人としての弱さと悩みに向き合い生きている。
そんな一面を目の当たりにしました……」
私の答えにエレノーラ様は笑みを浮かべる。
「その通りですわ。そして、信念は戦場でこそ試されます。
迷えば力は揺らぐ。
迷わずとも、時にその信念が刃となって自分に返ってくることもある……」
淡い微笑みの奥に、かすかな影が見えた。
さっきの星霧色の光の残像が、胸の奥で妙に引っかかる。
「タクト、あなたが得たものは必ず武器になる。次はそれを、迷いなく振るえるかが鍵よ」
その言葉に、私は静かに頷いた。
巡礼で出会った七人の姿が、戦場の中で交錯する光景を想像する。
――次は、ダンジョン五十階層。
戦いはさらに苛烈になり、あの教えが試されることになるだろう。
「――タクト、話の続きは歩きながらにしましょう。ちょうど見せたいものがあります」
「見せたいもの……ですか?」
「ええ。百聞は一見にしかず、です」
そう言うと、彼女は私の額に指先を触れ、短い詠唱を唱えた。
空気が歪み、視界がわずかに波打つ。
「これであなたは外から見えません。私の後ろを離れずについてきて」
次の瞬間、足元の光陣が輝き、私たちは大聖堂から戦場の外縁部へと転移した。
耳をつんざく金属音と、焼け焦げた匂いが全身を包む。
遠くでは魔王軍の旗が揺れ、人と魔の咆哮が入り乱れている。
だがエレノーラ様の歩みは迷いがなく、私も足を止めることなくついていく。
「タクト、巡礼で出会った七人の聖女……。
彼女たちは祈りの象徴であると同時に、戦場を変える力を持っている。
ただし――その力は、使い方を誤れば人を傷つけ、国を割る刃にもなる」
彼女の声は戦場の喧噪をすり抜け、まるで耳元で語られているように響いた。
私は口を開きかけたが、その瞬間、視界の奥で淡い星霧色の光が揺れた。
敵軍の後方、高台の上。
煙の切れ間に、光の羽を持つ人影が立っている。
心臓が一瞬跳ねる。
あの輪郭、あの魔力の気配は――
次の瞬間、爆煙が視界を覆い、その姿は消えた。
「……どうしました?」
「い、いえ……気のせいだと思います」
エレノーラ様は一度もそちらを見ず、ただ歩を進める。
「覚えておきなさい、タクト。信念は戦場でこそ試される。
迷えば力は揺らぐし、迷わずとも、その光が影を生むこともある」
その言葉が、戦火の轟きよりも深く胸に残った。
私たちは戦場の外縁を抜け、前線のひときわ激しい区域へと近づいた。
不可視の魔法に包まれているとはいえ、背筋が冷たくなるような魔力の奔流が肌を打つ。
「タクト、よく見ておきなさい」
エレノーラ様は足を止め、両手を胸の前で組んだ。
低く澄んだ詠唱が始まると、周囲の空気が一変する。
戦場に降り注ぐ銀白の光。
裂けた地面から立ち上る瘴気が消え、倒れていた兵士たちが次々と息を吹き返す。
同時に、敵陣の奥で魔将クラスの巨影が呻き声を上げ、そのまま光の柱に飲まれて崩れ落ちた。
「……これが、聖女の力です」
エレノーラ様は一歩も動かず、ただ戦況を支配していた。
「祈りと信念があれば、人を生かし、戦局を変えることができる。だが――同じだけ奪うこともできる」
私は言葉を失い、その背中を見つめるしかなかった。
やがてエレノーラ様は深く息を吐き、こちらを振り返った。
「……もう十分でしょう。タクト、あなたは大聖堂に戻りなさい」
「師匠……」
「不可視の魔法も長くは持ちません。次はあなたの戦場が待っています。ここは私に任せなさい」
彼女の声は穏やかだが、拒む余地はなかった。
「はい。どうかご武運を」
私は頷き、転移の光に身を包んだ。
視界が白く満ちる直前、再び遠くで淡い光が揺れた気がした――。




