第22話 調和の聖女〜森と若葉の守護者
夕方までダンジョン攻略に明け暮れた私は、イグノールたちと夕食を共にした後、事情を説明して次の聖女の元へと向かう。
私はすでに前日にエレノーラ様から残りすべての書簡を預かっていた。
準備を整えてテレポートを詠唱すると、青白い転移光がが私を包み込んだ。
転移の光が消えると、むっとする湿り気と甘い花の香りが全身を包んだ。
足元には苔が柔らかく広がり、遠くでは滝の音が低く響いている。
大きな葉に当たった水滴が、ひと粒、またひと粒と私の肩へ落ちてきた。
「……ここが、バシローン共和国の森か」
空を覆う樹冠は深い緑で、ところどころから差し込む光が霧の粒を照らして揺れている。
耳を澄ますと、小鳥のさえずりや虫の羽音に混じって、確かに人の笑い声のような響きがあった。
「タクトさん!」
振り向くと、緑のくせ毛に花を咲かせた女性が、腕に小さな動物を抱えて立っていた。
民族的な布をつなぎ合わせたドレスが風にひらめき、彼女の足元からは細い蔦がするすると伸びている。
今までの聖女たちとの違和感を抱きつつも、私は跪き一礼する。
「お初にお目にかかります。貴女が聖女ニエラ=シャンパリナ様でしょうか?」
「そうよ。ようこそ、森の家へ!」
その笑顔は、木漏れ日のあたたかさそのものだった。
私はインベントリから書簡を取り出し、ニエラ様に手渡す。
彼女はさっと内容に目を通すと、私を見てにっこり微笑む。
森の奥へ案内される途中、彼女はすれ違う獣人やエルフ、背丈の低い妖精のような子ども達と次々に挨拶を交わしていく。
まるで彼女の存在が、種族の壁を柔らかく溶かしているようだった。
「ここではね、種も水も、影も、全部分け合うの。誰かが独り占めしたら、森が怒っちゃうから」
ニエラ様の言葉は軽やかだったが、その根っこには確かな信念があった。
私は彼女の隣で、その空気を静かに吸い込む。
人も自然もひとつの呼吸で繋がる世界――私にはまだ遠い感覚だ。
広場に着くと、獣の群れが水場を巡って小競り合いをしていた。
ニエラ様は肩の小動物を地面に降ろし、木精の腕輪から伸びる蔦でそっと間を隔てる。
草の匂いと共に、争いはすぐに収まった。
「……魔法の制圧力は十分だが、防御が甘いな」
つい口にしてしまい、私は森の環境を損なわずに戦うための結界魔法や広域防御の応用法を説明した。
ニエラ様は目を輝かせる。
「それなら、私が守れる範囲がもっと広がるね!」
そう言って笑った。
その日、私は「与え合う」という感覚を共有した。
ニエラ様からは、奪わずに得るための知恵と呼吸を。
私からは、森を守る力を広げる術を。
それぞれが少しずつ相手の世界を持ち帰る――そんな出会いになった。
森の奥へ進み、木漏れ日の中を歩いていると、空気が一変した。
湿った風に、焦げたような匂いが混じっている。
「……あれ、煙?」
ニエラ様の表情が固くなる。
駆け出すと、獣人の集落の端で木々が倒れ、見慣れない鎧姿の男たちが焚き火を放っていた。
傭兵だ。森の資源を奪うために入ってきたのだろう。
「止めないと……でも、人間同士の争いは森がもっと荒れる」
ニエラ様は小声で迷いを吐く。
「それでは、荒れさせずに片付ければいい――」
私は深く息を吸い、地面へ掌をかざした。
『広域防御結界』
魔法が発動し、傭兵たちの周囲を淡い光壁が覆う。
外界との接触を断ち、炎も風もそこから漏れない。
「今です、ニエラ様!」
彼女は頷き、木精の腕輪を掲げる。
緑の蔦が生き物のようにうねって傭兵たちの足を絡め取る。
肩の小動物が短い鳴き声を上げると、傭兵の武器から芽が出て、金属が脆く崩れた。
戦いは短かった。
誰も傷つけず、森も焦がさず、外敵を追い出すことに成功した。
傭兵は駆けつけた警備兵たちに捕らえられ、連行されていく。
村の子どもたちが駆け寄り、ニエラ様の手を握る。
「ありがとう、タクトさん。私、今まで“守る”って近くのものだけ見ていた。でも……あなたのおかげで、森ごと守ることができたわ」
「私もです。力に頼らず、何物も奪わずに守るやり方が、逆にこうも力になるとは思いませんでした」
私たちは笑いあった。
静かな風が吹き抜け、枝葉が笑うように揺れた。
それは、この森が二人の調和を祝福しているようだった。
私はその後、ニエラ様に結界の張り方を伝授した。
夕暮れ、別れ際。
ニエラ様は腕輪のツタから伸びた、小さな若葉を私の手にそっと置いた。
「これは“芽”。あなたの世界でも育つはず。根付いたら、また会いに来てね」
その笑顔は、森そのものの優しさを宿していた。
夕暮れ、別れ際。
ニエラは腕輪の蔦から伸びた、小さな若葉を私の手にそっと置いた。
「これは“芽”。あなたの世界でも育つはず。根付いたら、また会いに来てね」
その笑顔は、森そのものの優しさを宿していた。
――分け合うこと。奪わずに守ること。
戦いの場で磨いてきた力は、相手を退けるためだけじゃない。
結界も魔法も、誰かが笑って暮らせる時間を長くするために使える。
手のひらの若葉が、体温でわずかに揺れた。
この小さな芽が根を張る時、自分の中にも何かが根付いていると証明できるだろう。
そんな予感が、胸の奥で静かに広がっていた。
◆◆◆
転移陣を抜けると、大聖堂の中広間に立っていた。
そこからエレノーラ様の自室へ報告に行く。
すでに遅い時間だというのに、エレノーラ様は書類をまとめている最中だった。
「おかえりなさい、タクト。ニエラはどうでしたか?」
「……あの方は、森そのものでした。強くて、優しくて……でも守り方は、まだ広げられるはずです」
私の言葉に、エレノーラ様は満足げに頷く。
「それでいい。あなたが持ち帰ったものは、必ずどこかで役立つわ」
窓の外では夜風が吹き、遠くで街の灯りが瞬いている。
私は手の中の若葉をそっとインベントリにしまった。
そして、今日の邂逅に感謝したのだった。




