第13話 国軍再編成の陰で【国王・聖女エレノーラ視点】
王城の奥深く、重い扉に守られた国王クラヴェール五世の私室。
燭台の炎が低く揺れ、葡萄酒の香りが漂っていた。
廊下に見張りはなく、室内には国王と聖女エレノーラだけが向かい合っている。
「来たか、エレノーラ」
クラヴェール五世は椅子に身を預け、手にしたワインをゆっくり回した。
エレノーラは一礼し、定められた距離を保ったまま立つ。
「単刀直入に言おう。……儂の愛人にならぬか?」
エレノーラは眉ひとつ動かさず冷ややかな目で返す。
「お戯れを……ご冗談はよしてください」
国王の目にわずかに邪悪な光が差す。
「ククク……、冗談か……悪くないな」
国王は口元に笑みを残し、杯を卓に置く。
指先が肘掛けを軽く叩いた。
二度、三度、間を計るように。
「最近のそなたは、随分と忙しいようだな。……いや、周囲にいる者がか……」
視線は笑みを湛えたまま、じわりと鋭さを帯びる。
「私事にまで関心を持たれるとは、儂も幸せ者だ」
エレノーラは表情を変えず、声だけが柔らかい。
「噂というものは、放っておけば形を変えて広がるものです」
「物は言い様だな……ただ、好奇心は時に身を損なう。覚えておくといい」
言葉は穏やかだが、その響きには冷たい刃が潜んでいた。
国王は姿勢を正し、別の調子で言葉を続けた。
「本題だ。国軍の再編にあたり、そなたの力を借りたい。聖女の存在があれば兵の士気は格段に高まる。――第一陣から遠征にも同行してもらう」
国王の眼光に一瞬影が差す。
エレノーラは少し間を置いてから答える。
「……承知しました。ただし、指揮権は持ちません」
「それで構わぬ。我が国に勝利をもたらすよう働いてくれ」
エレノーラは跪いて胸に手をやる。
「――御身のままに」
国王は手を軽く振って密会を終わらせた。
扉が閉まり、室内には国王だけが残る。
彼は窓辺に歩み寄り、王都の灯を見下ろした。
杯を傾けながら、わずかに口角を上げる。
「……駒は、近くに置くほど扱いやすい」
赤い液面が炎の光を反射し、血のように輝いた。
「だが――底の見えぬ水に手を入れる時は、慎重にな」
◇ ◇ ◇
聖女エレノーラは自室に戻ると、扉を閉ざして結界を張った。
光の膜が壁と床を巡り、外界の気配を遮断する。
「……用心に越したことはありませんわ」
エレノーラは椅子にゆっくり腰を下ろし、肘掛けを指で軽く叩く。
「……思った以上に耳と目が利くのね、クラヴェール五世」
ふと、前にタクトへ告げた言葉が脳裏をよぎる。
――国王陛下にはくれぐれも気をつけなさい――。
「……フッ、この件はタクトには伏せましょう。できる限り私が引き受けます」
声は低く、結界の中に吸い込まれていく。
「彼の成長のためには、余計な火種は遠ざけるしかない……」
窓の外、厚い雲が月明かりを覆い隠した。
室内は闇に沈み、その中でエレノーラは次の手を思案していたのだった――。




