第10話 砕かれた誇り、魔王軍の脅威
カルシミール大聖堂の中広間。
私が転移を完了すると、そこに私を待つエレノーラ様の姿があった。
「エレノーラ様、状況はどうなんですか?」
「タクト、大変です。今朝出発した斥候部隊が……壊滅状態という知らせが入りました」
その言葉に、胸の奥が冷たく締め付けられる感覚が走る。
嫌な予感が、最悪の形で現実となってしまった。
「詳しい状況は……?」
「情報は断片的ですが、生き残りから緊急の魔法通信がありました。どうやら魔王軍の幹部クラスの魔物が現れたようです」
巡礼で得た安堵感など、瞬く間に霧散していく。
現実は容赦なく牙を剥いてくるのだ。
「……一刻の猶予もなりません。今から現地へ転移します」
「わかりました。お願いします」
エレノーラ様は静かに頷くと、彼女の掌に光の魔法陣が展開される。
行き先は王都から北西に二十キロ、森と渓谷が入り混じる魔王国領の国境付近。
「テレポート!」
空間が歪み、次の瞬間、私たちは血生臭い風が吹きすさぶ戦場跡へと降り立った。
そこに広がっていたのは――無残に打ち砕かれた斥候陣地だった。
木々はなぎ倒され、地面には巨大な爪痕のような裂け目が走っている。
辺りには兵士たちが血に染まった姿で倒れている。
中には痛みで呻き声を漏らす者もいる。
「一刻を争います。一気に行きますわ」
エレノーラ様が聖杖ルミエール・クラリオンを出現させ、呪文を唱える。
澄んだ声が祈りとなって響き渡った。
「大いなる癒しを!『範囲高位回復魔法』」
魔法は即座に広範囲に発動し、聖なる光が地面を包む。
淡い輝きが傷ついた兵士たちの身体を完全に癒す。
しかし、魔王軍の猛威に晒され、植え付けられたショックは、身体が癒えども深く心に刻まれていた。
「次は死んだ者たちの処置に入ります」
迅速に詠唱を開始する。
「力尽き命を絶たれた者たちに、大いなる神の祝福を。『範囲蘇生魔法』!」
再び澄んだ声が森全体にこだまする。
巨大な魔法陣が死者のいる地面に浮かび上がり、光が舞い上がる。
神の奇跡が森に散った兵士たちに及んでいく。
大きく損壊した肉体は全快し、心臓の鼓動が甦り、二度と開かなかったはずの目が見開かれる。
回復して立ち上がる兵士たちの中に、私はイグノールたちの姿を見つける。
「イグノール……!」
イグノールは傷の癒えた自分の腕をぐっと握りしめながら顔を上げた。
「タクト……来たのか……」
その声は、力無く掠れていた。
彼の目ににかつての鋼の意志は消え失せている。
「……無念だ。俺たちの力は途中までは届いていたんだが、奴が現れてからだ。ボス級の……いや、あれは悪魔だ。形勢が逆転したんだ……」
イグノールの拳が震えている。
「俺は甘かった……タクト、お前の言う通りだった」
誇り高き彼の心が、魔王軍の圧倒的な暴力の前に砕かれてしまったことを、私は痛いほど理解した。
「言うな、イグノール。ここから立て直せばいいんだ」
「いや、奴らはまだ近くにいる。タクト、お前だけでも逃げるんだ」
どれだけ強がった言葉を並べても、目の前の現実がそれを拒絶しているようだった。
「それはお前の方だ、イグノール。みんなを連れて後退するんだ」
イグノールの目に、恐怖心と安堵が入り混じっている。
「すまん、タクト。だが、気をつけろ。お前の言っていた通り、奴らはとんでもなく強い」
「ああ、わかってるさ。だけどこのままやられっぱらしじゃ悔しいだろ」
私の言葉にイグノールの目から涙の筋が流れ落ちる。
「もちろんだ! 今はお前に託す。タクト……頼んだぞ」
私は笑って応えた。
「任せろ!」
イグノールたちが撤退準備に入るのを確認し、エレノーラ様の元へ駆け寄る。
「魔王軍はまだ近くにいるらしいです。ひと泡吹かせに行ってきます」
「この状況では致し方ありませんね……。ただし、あまり手の内を見せないようにしなさい。敵も情報を欲しています」
「わかりました。行ってきます」
私は深く呼吸を整え、魔力感知を発動させる。
――いた。
この瘴気、この圧……間違いない。
魔王軍がまだこの森に潜んでいる。
「よし……見つけた。待ってろ」
森の奥――約三百メートル先。
まるで“見せつける”かのように堂々と瘴気を放っている。
奴らはこちらを待ち構えている。
「……待たせたな」
私は座標を調整して呪文を唱える。
「テレポート!」
人間が敗北を喫した地の血生臭い空気が淡い光に満ちる。
視界が一瞬にして白く塗りつぶされた。




