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第2話 運命のルーレット前半

「現世の家族も、友達も――縁のある奴は、みんな消される」

エンジニアは力なく笑った。その笑顔の奥に、諦めと覚悟が同居している。


「友達......か」

呟くように言って、エンジニアはまた沈黙した。幼い頃から、彼の周りには誰もいなかった。教室の隅で一人、機械の仕組みを考えている姿を、クラスメートは気味悪がった。両親でさえ、彼の特異な集中力と繊細さを理解できず、困惑した目で見つめるばかりだった。


地獄に堕ちても、それは変わらなかった。他の魂たちは彼を避け、彼もまた一人でいることを選んだ。


だが、この男は違った。アビスプロデューサーだけは、彼の価値を見抜いてくれた。二人の間に流れる沈黙は、もはや孤独ではなかった。


「それでも、最後まで"弱さ"を見せるしかない。俺たちはそうやってここまで来た」

エンジニアの声は静かだった。震える指先とは対照的に、その瞳には揺るぎない意志が宿っている。

「......最後は俺たちが盾になる。そのために、ここまで残ったんだよな」


アビスが短く頷く。エンジニアも無言で頷いて拳を握りしめた。その指の関節が、白くなるまで。

初めて手を差し伸べてくれた人のために。初めて対等に扱ってくれた人のために。

彼は、自分なりの方法で戦う覚悟を決めた。


美津子は、バディたちと向き合った。彼女の瞳は、深い湖のように静かで、底知れぬ決意を湛えている。

「心配するなよ、美津子」

「お前を"盾"にする気はない。......今日は俺たちが"盾"だ」


美津子は頷く。ただ、その眼差しはどこまでも深く、静寂そのものだった。誰も「大丈夫」とは言わなかった。ただ、全員が"諦めの悪さ"だけを握りしめて、この瞬間を迎えていた。



運命の舞台



会場は、かつて"選ばれし者"だけが足を踏み入れることを許された、最高級カジノだった。


天井には巨大なシャンデリアが幾重にも連なり、その光は冷たく、まるで星座のように遠い。赤と金に彩られた絨毯は、何度も踏みつけられてなお獣のような光沢を放ち、歴史の重みを静かに物語る。

壁には歴代の"勝者"と"敗者"の肖像画が並んでいる。どの顔も微笑みとも絶望ともつかぬ表情で、まるで時を超えてこちらを見下ろしているかのようだった。


そして、会場の中央――

据えられたルーレットテーブルは、一見すれば贅を極めた賭博台。だが、盤面に目を凝らせば、そこには異様な光景が広がっていた。


「赤も黒も、偶数も奇数も、動物も果物も、すべて削ぎ落とされている」

ただ、冷たい数字が円周に沿って、沈黙して並ぶだけだった。

1、2、3......

どれも等しく無機質。感情も、思いも、祈りも受け付けない。


運命は、善も悪も、美も醜も問わず、ただ数字として人間を振り分ける。


そこには"ゲームの華やかさ"も"人間の願掛け"も一切存在しない。あるのは、純粋な確率と冷酷な必然だけだった。


カルトルーレット・カリスマ

「これが、"運命のルーレット"だ」

カルトルーレット・カリスマが自慢げに指を滑らせる。その指先は、まるで楽器を奏でるように優雅で、同時に不気味だった。

「赤か黒か、幸運か不運か? ――そんな色分けはここには要らない。君たちの命運を分けるのは、ただの数字だ」


彼の装束は、スーツのようでいて聖職者のローブのような不可思議な代物。袖口は信者の寄進で誂えた銀の糸で縫われ、首からは十字架のようなルーレットメダルがぶら下がっている。目元には常に薄笑いが浮かび、その表情は聖性と邪悪を同時に纏っていた。


彼の動作は舞台俳優のように大げさでありながら、なぜか信者たちの視線を一身に集める磁力を持つ。片手で球を持ち上げる所作だけで、観客席の空気がピンと張り詰める。


口を開くと――

「ようこそ、祝福された運命の晩餐へ」

その声は低く、艶やかで、耳に触れた瞬間にどこか"正しさ"を疑いたくなる響きを持っていた。


カリスマの目は、時折ルーレットよりも観客の心の中を覗くようで、「番号をコールしなさい」と命じるだけで、信者たちは狂気と歓喜の声を一斉に上げる。


"司祭の神聖"と"胴元の狡猾"が奇妙に入り混じった存在――それが、運命のカリスマだった。



運命の始まり



「今日、運命はあなたたち自身に委ねられる」

カリスマはルーレットの球を高く掲げ、信者たちに番号を叫ばせる。

「4!」「9!」「13!」「13!」「13!」


異様な同調圧力。欲望と悪意が渦巻き、天井を突き抜けて地獄へと届くかのような響き。


「さあ、運命を叫びなさい。あなたたちの"望み"が、この台に命を与えるのです。罪も罰も、ただの数字に過ぎない――そう、あなたたちの声が、誰かの終わりを決める」


彼の瞳の奥で、冷徹な確信と狂気が不気味に交錯していた。人の命を数値で測り、運命を数式で決定することこそが、この世界の真理だと信じ込んでいるかのように。


数字—それが彼の人生を支配する絶対的な法則だった。幼い頃から両親は数字に取り憑かれ、株価、売上、利益率を追い求めて家庭を顧みなかった。そして最後は、その数字に裏切られて破産し、一家は離散した。残されたのは、冷たいコンクリートのアパートと、空っぽの冷蔵庫、そして数字への歪んだ執着だけだった。


みじめな少年時代から這い上がるため、彼は数字を武器にした。信者数、献金額、メディア露出回数—すべてを数値化し、操作し、増殖させた。嘘と偽りを巧妙に織り交ぜながら築き上げた教団は、一時は何万人もの信者を抱える巨大組織へと成長した。


だが、偽りの栄光は長くは続かない。内部告発、資金流用の発覚、信者の離反—積み重ねてきた数字が崩れ落ちるのは、築き上げるよりもはるかに早かった。教祖の座から転落し、すべてを失った彼は、再び地獄の底へと墜ちていった。


そして今、彼は蘇った。カルトルーレット・カリスマとして、死と運命を数字で裁く存在として。過去の屈辱と栄光への渇望が、彼を更なる狂気へと駆り立てている。数字こそがすべて—この歪んだ信念だけが、彼の心に残された唯一の真実だった。


カリスマが球を投げる。

静寂が一瞬だけ場を支配し――世界が息を止める。

「運命のルーレット憐憫、4!」


球が止まると、エンジニアの肩がわずかに揺れる。タブレットにかつてエンジニアが子供のころ過ごした施設の友人の訃報が映る。

エンジニアは膝に爪を立てて黙っている。誰も、慰めの言葉をかけなかった。その沈黙こそが、この瞬間の重さを物語っていた。



ミツコエルの祈り



ミツコエルが静かにリールを回す。

「......今度は、私の番。ミツコエル・リール!」

〈私の中で、リールがただ音を立てて回る。けれど、ボタンもレバーも――この手じゃ、誰一人救えない。私は"台"だ。ただ"祈る"しかできない。私が本当に祈りを捧げても、それはただの自己満足に過ぎないのかもしれない。それでも、誰かが救われることをまだ諦めきれない。〉


リールが回転し、カラカラという機械音だけが会場を満たす。その音は、まるで時の歯車が軋むように響いた。


止まった図柄は――"バディ3人"のシルエット。

一瞬だけ、エンジニアの背筋が伸び、遠い席の泣き声が止まる。

「......ありがとう」

誰が呟いたのか、誰も覚えていない。ただ、その言葉だけが、暗闇に小さな光を灯した。



輪廻の重み



「次、運命のルーレット――輪廻、9!」

また球が転がり、今度はアビスの顔が一瞬だけ引きつる。タブレットにアビスの孫の訃報が映る。

――何も、守れなかった。

その想いが、彼の全身を駆け抜ける。


再び美津子がリールを回す。

今度は"母子の手を握る絵柄"が揃う。

アビスが目を伏せ、写真をそっと握りしめる。わずかに、その手が震えていた。過去と現在が交錯し、失ったものと守りたいものが心の中で重なり合う。



天罰という名の運命



「さあ、"天罰"だ。これが、運命の本当の顔だ」

カリスマの声が、会場の隅々まで響く。

「トドメだ!運命のルーレット......天罰、13!」

球は転がる。


その時ミツコエルの通信端末に、ピロン――と小さな通知音。

通知音が響いたあとの数秒間、会場のどこからも音が消えた。世界が、一瞬だけ呼吸を忘れたようだった。


画面には、"みゆきが眠るように息を引き取った"画像が送られてきた。部屋は静かで、誰も泣き叫んでいない。ただ、一枚の写真だけが、すべてを物語っていた。

美津子は、その画像をじっと見つめる。涙は流れない。

「みーちゃん、お疲れ様」


その小さな声だけが、誰にも届かず、豪奢な闇に吸い込まれていった。

あるいはただ"お疲れ様"だけが、この地獄に残った最後の温かさだった。



最後の抵抗



カルトルーレット・カリスマの顔が歪む。

「どうした?――」球はまだ転がっている。


その刹那、美津子のリールが回る。 「ミツコエル・ライフ!」 〈誰かが消えていく。私は、ただ祈ることしかできなかった。自分を信じて、最後まで〉


カラカラ_ガラガラ_ギューーーーーン


まるで"弱さ"を刻むように、リールは止まらない。その音は、最後の希望を紡ぐ糸車のように響き――だが同時に、絶望を刻む時計のように会場に響き続けた。


希望の糸が一本ずつ紡がれていく。けれど、それと同じ速度で絶望の針が時を刻んでいく。

光と影が交錯する中、美津子の運命は回転し続けるリールに委ねられていた。救済への道筋が見えるたび、破滅への足音が近づいてくる。


カラカラ_ガラガラ_ギューーーーーン


音は止まらない。希望という名の光が差し込むその瞬間、絶望という名の闇がそれを飲み込もうとする。まるで永遠に続く天秤のように、救いと破滅が拮抗していた。



(後半へつづく)


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