花冠の骸ー崩壊
金曜の放課後、空は嘘のように晴れていた。
夕陽は鈍く滲み、まるで誰かの血を薄めて流したような色をしていた。
アタシは、待ち合わせの駅前に立っていた。手には観覧車の絵――あの日、彼女が描いてくれた紙切れ。
凛は、すこし遅れてやってきた。
制服のまま、髪には小さなリボンをつけていた。
笑っていた。けれど、いつもの笑みではなかった。
どこか遠くを見ているような、あるいは、すべてを終えた人の笑顔。
電車に揺られて、ふたりで向かったのは、郊外の遊園地だった。
観光客の減った、古びた施設。メリーゴーランドは止まりかけ、ジェットコースターの軋む音だけが、寂しく夜に響いていた。
でも、アタシたちは、笑った。
誰もいない観覧車に乗り、沈黙のまま手を繋いだ。
夜の光が、ふたりの顔に斑を落とした。
「ねえ、沙耶ちゃん」
凛がぽつりと呟いた。
「今がずっと続いたら、いいのにね」
アタシは答えなかった。けれど、その手を、強く握った。
観覧車のてっぺんで、ふたりは空を見た。
そこには星がなかった。ただ、黒いだけの、何もない夜だった。
でも、アタシには、それが美しいと思えた。
この人となら、どんな闇の中でも歩いていける。
「わたし、もう迷わない」
「本当のことなんて、誰も言わない。だったら、自分で選ぶしかないんだよ。……ね?」
アタシはうなずいた。
心のなかで何かが崩れていた。
けれど、それは恐怖ではなく、幸福だった。
降りた観覧車の出口で、ふたりは向かい合った。
凛が、アタシの頬に触れた。
その指先は温かく、震えていた。
「じゃあ、また来週、同じ時間に、同じ場所で。絶対に、来てね」
アタシは、うなずいた。
その夜、眠れなかった。
胸の奥で、ひどく静かな鐘の音が鳴り続けていた。
幸福とは、こんなにも静かで、儚く、狂おしいものなのだと、アタシは知った。
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その日も、空はよく晴れていた。
まるで何事もないように、世界は澄んだ青を掲げていた。
アタシは、先週と同じ時間、同じ駅前に立っていた。
リボンをつけた。彼女とおそろい。
ノートも持ってきた。ふたりだけの詩が詰まったノート。
そして、観覧車の絵――くしゃくしゃの、でもアタシにとっては聖書みたいな紙切れ。
彼女は、来なかった。
時刻は過ぎていった。秒針が、アタシをなぶるように進んだ。
夕陽が傾き、街の影が伸びていく。
それでも、彼女は、来なかった。
電話をかけた。
「現在使われておりません」
その声が、アタシの胸を殴った。
次第に、手の震えが止まらなくなった。
足が勝手に動いていた。
駅を抜け、遊園地へ向かった。
あの観覧車がまだそこにあることを、信じたかった。
改札を抜け、電車に揺られ、着いた先。
遊園地のゲートには、看板が掛かっていた。
《閉園のお知らせ》
アタシは、呆然と立ち尽くした。
風が吹いていた。観覧車は、止まっていた。
もう、回らない。
アタシの時間も、そこで止まった。
帰り道、遠くでサイレンが鳴っていた。
なんの音か、最初はわからなかった。
「ねえ、あれマジ?さっきの転落のやつ……」
「うん、女子高生だったって」
足が勝手に止まり、アタシは振り返った。
でも、声の主たちはもういなかった。
目の前が、にじんだ。けれど、涙ではなかった。
視界が、静かに、音もなく崩れていく。
誰かが話していた。「自殺らしいよ」「え、うそ……」「あの子、明るかったのに」
笑っていた声、驚いた声、ざわめく声。
アタシは、聞いていなかった。
耳に届いていたけれど、聞いていなかった。
凛が死んだ?
そんなはずはない。
だって、だって――
“来週もまた来よう”って、言ったじゃないか。
あれは、嘘だったの?
それとも……
“さようなら”のかわりだったの?