八話、鍛冶師と厚焼き玉子サンド
ーーかろりん。
呼鈴が鳴る。
入ってきたのは見慣れた姿だった。毎日のように顔を出してくれるお客様で、珈琲がお気に入りの鍛冶師さんだ。
「いらっしゃいませ、ゴローさん」
髭面のゴローさんはカウンター席にどっかりと腰をおろして私を見た。ふさふさの眉や髭の隙間からのぞく瞳は期待にきらめいている。
「おう。星空珈琲と厚焼き玉子サンドをくれ」
「星空珈琲と厚焼き玉子サンドですね」
頷きながら珈琲の準備としてネルフィルターを取り出して洗っておく。
お湯を沸かしながらフライパンを温める。
ボウルに卵を2つ割る。よく溶いて、作り置きのだしをたっぷりと、大さじ1くらいの砂糖を加える。お好みで牛乳もいれちゃう。濡れ布巾と油を使いながら分厚い玉子焼きをつくっていく。
玉子焼きが出来たら、粗熱をとるために皿に置いておく。
「出来たてのなんと良い香りか。そのまま挟んでもいいぞ?」
「ふふ、まだダメですよ」
熱々は魅力的だけど、そのままサンドにするとパンがべしゃっとなっちゃうのよね。
玉子焼きを冷ましている間に洗ったネルの水気を切り、フィルターにセットしたら星空珈琲の粉を入れる。いい香り。
お湯をサーバーに注いで温める。
薄く切った特製のパンに辛子マヨネーズを塗り、厚焼きを挟む。軽く重しを乗せて押さえておく。
珈琲は、まずはしっかりと蒸らす。
サーバーのお湯を捨てて、蒸らしがおわったらゆっくりとのの字を描くようにゆっくり、ゆっくりとお湯を注ぐ。
ふわん、といい香りが広がる。
「他で珈琲を飲んだこともあるが」
カウンターで作業を静かに見守っていたゴローさんがおもむろに口を開く。
「どこも、ここまで良い香りはしなかった」
「……嬉しいお言葉です」
のの字を描く。ゆっくりと。
ぽたぽたと珈琲がサーバーに落ちていくのを待つ間に、カップも温めておく。
泡の山が消える前にまたのの字を繰り返す。
その間に厚焼き玉子サンドを盛り付ける。
サーバーにたっぷりと珈琲ができたら、軽くゆすって味を均一にしておく。
さあ、完成だ。
「お待たせしました。星空珈琲と厚焼き玉子サンドです」
サーバーからカップに珈琲を注ぎ、厚焼き玉子サンドと一緒に提供する。
ゴローさんは待ってましたとばかりに目を輝かせた。鍛冶師の仕事をする太い指が厚焼き玉子サンドをがしっと掴む。
そのまま髭の口元がぐわっと開いて、ばくりと大きな一口。
「うまい!!」
シンプルな褒め言葉。それがなんとも嬉しい。
もぐもぐと咀嚼して、次は片手で珈琲を一口。
「黒い見た目から想像できんこの豊かな香りとまろやかな舌触りが実にうまい。そしたまたこの厚焼き玉子、肉のようにジューシーだ! それがふんわりしたパンに挟まれていくらでも食えそうな気持ちにさせてくれる」
食レポのレベルが高い。
そのままバクバクと食べすすめ、皿を空にしてからゴローさんはふう、と息を吐いた。
「珈琲のおかわり、いりますか?」
「ああ」
もう一度注ぐと、先程より穏やかな香りが訪れた。ゴローさんもそれを味わうかのように目を閉じる。
「ここでこうして過ごすようになってから、仕事によく集中できるようになった」
「そうなんですか」
「ああ、腑抜けた失敗が減ったんだ」
「珈琲には目を覚ます効果がありますからね。
お仕事前に飲んでもらうのはとても良いと思いますよ」
私がそう言うと、ゴローさんはふん、と髭の奥で笑った。
「それだけではない」
ゴローさんは、私から注がれた二杯目の珈琲をゆっくりと持ち上げ、香りを深く吸い込んだ。その瞳が、どこか遠い場所を見つめているようだった。
「この店に来て、お前さんの淹れる珈琲を飲み、朝食を食べる。この時間が、俺にとっての『始まり』なんだ」
「始まり、ですか?」
私は少し首を傾げた。
「ああ。俺の仕事相手は、火と鉄だ。
集中を欠けば、作品の出来が変わるのは勿論、大怪我の危険だってある。
だが、ここで過ごす時間は、俺の心と体を整えてくれる。それが、仕事への集中に繋がっているんだ」
ゴローさんの言葉に、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
ただ珈琲や料理を提供しているだけでなく、私や、この店がお客様の生活の一部になっているんだーー。
異世界から来た私にとって、この喫茶店が、誰かの役に立っていることが、何よりも嬉しかった。
「そう言っていただけると、私も嬉しいです」
私は自然と笑顔になった。ゴローさんは、そんな私の顔を見て、満足そうに頷いた。
「それに、お前さんらの顔を見るのも、日課になったからな」
ゴローさんは少し悪戯っぽくそう言って、ちらりと私の後ろに立つ誠司さんを見た。誠司さんは、いつの間にかテーブルの拭き掃除を終え、昼に向けて仕込みをしてくれている。
ゴローさんの言葉に、誠司さんはにこりと微笑んだ。その笑顔はいつも通り、元軍人とは思えないほど柔らかい。
「イオリとセージの作る料理と珈琲は、俺の毎日の楽しみだ。これからも、毎日通わせてもらうぞ」
ゴローさんはそう言って、二杯目の珈琲を飲み干した。その顔には、すっかり活力が戻っているように見えた。
「はい、いつでもお待ちしています」
私が元気よく答えると、ゴローさんは満足そうに立ち上がった。
「じゃあな、仕事に戻る」
「お気をつけて」
ゴローさんは、ずっしりとした足音を立てて店を出て行った。かろりん。と呼鈴が鳴り、ゴローさんの姿が見えなくなる。
「ゴローさん、本当にこの店を気に入ってくれてるんだね」
私は、ゴローさんが座っていたカウンターを拭きながら、しみじみと呟いた。
「そうだね。イオリの珈琲と料理は、ゴローさんの活力源だね」
誠司さんが、優しい声で言った。
その声には、どこか誇らしげな響きがあった。
「誠司さんも、いつもありがとうございます。
私一人じゃ、きっとこんなにたくさんの常連さんに来てもらえなかった」
私が誠司さんに感謝の言葉を伝えると、誠さんは少し照れたように頬を掻いた。
「そりゃあ、イオリのためなら、いくらでも」
誠司さんの言葉に、私は「なんだか大袈裟ですね」と笑った。彼の瞳が、私を真っ直ぐに見つめていることに、私は気づかない。
ただ、この喫茶店が、少しずつこの異世界で、私の、そして誰かの大切な場所になっていくことが、何よりも嬉しかった。
今日もまた、純喫茶『星月』の新しい一日が始まる。
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