六話、魔法使いと酒場と珈琲
現代日本で産まれた私ーー佐藤伊織は、ある日突然気づいたら獣耳や魔法使いや冒険者のいる大正浪漫的な世界に迷い込んでいた。
そこから紆余曲折あったが、今は白瀬・アリオルト・誠と喫茶店を営むことで生計を立てている。
喫茶『星月』本日も開店いたします。
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かろりん、とドアベルが鳴り、入ってきたのは長いローブを纏った女性だ。
ローブと同じ濃紫の帽子を外すと隠れていた髪がふわりと揺れた。色素の薄い肌、きらきらの銀髪と青い瞳。
ーー彼女は本物の、魔法使いだ。
「カウンターに来るのは珍しいですね、マルグリットさん」
「……いいでしょ、別に」
「ふふ、もちろんです」
まるで現代のRPGゲームのように聞こえる話だが、彼女のような冒険者は、ギルドで依頼を受けたり、自ら冒険をし、迷宮と呼ばれる遺跡を探索したりしているらしい。
この喫茶『星月』がある古都街ビンティークにはそういった冒険者も多い。大正〜昭和にかけてを彷彿とさせる街中には、鎧を装備した人もよく見かけた。
「珈琲とクッキーを貰える?」
「もちろん。新商品のホットケーキもありますが、クッキーでいいですか?」
「えっ、メニューを頂戴」
マルグリットさんは共用語で書かれた注文表を真剣な顔でじっと見つめた。
美しい銀髪の隙間から覗く耳は少しとんがっていて、イヤーカフ型の耳飾りは魔石のついた魔道具なのだそうだ。
「……美味しそうね。残念だけど今日はやめとくわ。
あんまりゆっくりもできないのよ」
不満そうに彼女は言った。
「わかりました。
ではまたお時間のある時にでも」
「ええ、必ず。この間食べたフルーツサンドも美味しかったわ。
貴女ってもしかして、私たちのこと太らせようとしてる?」
「ええっ」
驚く私をからかっていたのかマルグリットさんはくすくすと笑う。
「ふふ、冗談よ」
もう、マルグリットさんってば。
彼女は、この店においてオープンしてすぐの時からの常連様。
飲み慣れない珈琲の味をいち早く好んでくれた人でもある。
砕いたナッツを混ぜたナッツクッキーと、絞り出して中央にジャムをのせたジャムクッキーをお皿に盛り付けて、珈琲と共に提供する。
「お待たせ致しました。珈琲とクッキーです」
いつも決まって珈琲を注文していただくので、マルグリットさんが来たら珈琲の準備を始めておくのだ。
「ありがとう。いただくわ」
「マルグリットさんがお好きなジャムクッキーと、本日はナッツクッキーをご用意しました」
「ナッツは好きよ」
そう言ってマルグリットさんがナッツクッキーを口に運ぶ。
「ん、サクサクね。アーモンドと胡桃かしら。
香ばしい香りとナッツの風味がいいわね」
ナッツクッキーは、ゴツゴツとした見た目だが思いのほか軽い。砕いて混ぜ込んだナッツの食感と香りの楽しさにマルグリットさんは微笑んだ。
「いつもご来店ありがとうございます。
……イオリ、注文。牛酪トーストやるからカフェオレ頼んでいい?」
「もちろん」
別なお客様の対応していた誠司さんが戻ってきた。
彼はにこやかに微笑むがマルグリットさんは視線を合わせない。本人曰く、人付き合いは得意では無いんだそう。
「……なんか前より色が明るいような気がするわ」
「さすがですね。
以前は木苺を使用してましたが、暖かくなってきたので、苺にしてみました」
きらきらしたルビーレッドの苺ジャムは華やかで、味も他のクッキーとは違い、フルーツの香りが私たちを楽しませる。
クッキー用のジャムは、普段のものよりしっかりと煮詰めて水分を少なくしてある。しっかりとした甘みとねっちりとした食感は、少しでも満足感が得られるのだ。
「へえ……。あ、おいし」
「お口に合いました?
すみません、ちょっと失礼しますね。……誠司さん、カフェオレの提供お願いします」
誠司さんに声をかけると、振り向いた彼は華々しい笑顔で答えてくれる。
「ありがとう! トーストも準備できてる。
牛酪とパンのいい香り混ざって蠱惑的だよね、つい珈琲が飲みたくなるよ」
誠司さんはそう言って牛酪トーストとカフェオレを提供しに行く。熱々のトーストに載せた牛酪が余熱で溶けて、ふんわりと香る。
マルグリットさんは、そんな誠司さんが持つ湯気のたつトーストを静かな視線で見送っていた。
「トーストも良さそうね。
……ほんと、酒場より断然こっちがいいわ」
ふん、と不満そうに頬杖をつくマルグリットさん。
普段は魔法使いとして「冒険者」をしている彼女だが、酒場はあまり好きではないそうだ。
「うるさくないし、雰囲気もいいし、なにより食事が凄くおいしいんだもん」
「マルグリットさんにそう褒めていただいて嬉しいです」
酒場料理や冒険者ギルドは元現代人としては興味をそそられるけれど、誠司さんには止められていた。
治安的な意味であまりオススメできないらしい。
「酒場のお料理も美味しそうですけど……」
「大味なのよ。
量が多ければいい、みたいなところもあるし」
「そうなんですね。
お酒に合う料理は味付けがはっきりしたものが多いですし、自然と濃いめ多めなのかも」
ふん、とマルグリットさんが鼻を鳴らす。
「私は量より質が大事なの。
……この店と同レベルの料理なら、お酒と肴を嗜んでもいいわよ」
「ふふ、随分買っていただいてるんですねえ。
それじゃあ、マルグリットさんがなにかお祝いしたい時は『星月』で酒宴をします?」
冗談めかして言ったら、マルグリットさんはその澄んだ泉のようなブルーの瞳をまん丸に見開いた。
「あなた、そんなものもつくれるわけ?」
もちろんだ。ここでのお店を喫茶店にしたのは、私の好みもあるがこの異世界で、単純に『カフヱー』の文化ができ始めている時代だったからだ。
一人暮らし歴も長かったし、和洋中含め料理のレパートリーには割と自信がある。
「ええ、もちろん」
「へえそれは知らなかった。
それは是非とも、ご馳走してもらいたいな」
ひょい、と顔を出したのは誠司さん。
下げ盆を置くとにこにことした顔でマルグリットさんに声をかける。
「食材の仕入れなどでも『冒険者』の皆様にはお世話になってますし、何かあれば是非お声掛けください。
店主の説得は、協力させていただきます」
説得。
別に説得されなくても誠司さんにもマルグリットさんにもご飯くらいご馳走するのに。
「じゃあ決まりね。
近々声かけるからその言葉、忘れないでね」
「ふふ、わかりました」
約束ですね、と頷く。
不敵な笑みを浮かべるマルグリットさんは、少しリフレッシュできたのか、会計を済ませると颯爽と店を出ていった。
なにもなくたっていいけれど。
お祝いできるいいことがあったなら尚良い。
そんな日が来るのを楽しみに、私もいい気分で仕事に励むのだった。
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