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五十二話、一人、街を歩く日

 



 かろりんと鳴るいつもの呼鈴(ドアベル)の音が、今日の『星月』には響かない。定休日だからだ。


 静まり返った店内は、いつもと違う空気をまとっている。魔具灯(ランプ)の優しい光も、珈琲の香りも、今はなく、窓から差し込む朝の光だけが、静かに床を照らしている。

 私は、磨き上げられたカウンターに頬杖をつきながら椅子に座り、窓の外をぼんやりと眺めていた。




 ザヴァンさんが店に現れてから、数日が経つ。彼の言葉が、ずっと頭から離れなかった。


 例えるなら、嵐の前の静けさのようなこの不安感。……ザヴァンさんは、何を、どこまで知っているのだろう。私の秘密は、誠司さんと私、二人だけしか知らないはずだ。そう思ってきた。

 でも、何らかの方法で調べることが出来たとしたら?私すら知らない、私がこの世界に来たその「瞬間」を彼が目撃していたとしたら?

 不安は、どんどんと可能性を生み出していく。

 誠司さんが誰かに言ったとは考えたくない。



「新商品、って気分でもないのよね……」



 いつも店の定休日は試作をしたり、珈琲や紅茶の新しいブレンドに挑戦することが多かったからつい、いつものようにここにきたものの、そんな気持ちにもなれなかった。


 このまま店にいても、気持ちが落ち着かない。

 そうだ、少し外に出てみよう。気分転換が必要だ。

 私はそう決心し、薄手の上着を羽織って外へ出た。


 街は、朝の光に満ちていた。

 石畳の道は、昨夜の雨で濡れて、柔らかな陽光を反射してきらきらと輝いている。大正ロマンを思わせる木造の家屋や、洋風の瀟洒(しょうしゃ)な建物が並び、その間を、大きな車輪の馬車がゴトゴトとゆっくりと進んでいく。


 行き交う人々は、和装の人も、洋装の人も、和洋ミックスといった出で立ちや、RPGのような鎧姿や防具をつけた冒険者のような格好が混ざって、この街独特の雰囲気を生み出している。

 この街の不思議な光景も、今ではすっかり見慣れた光景だ。


 ーー初めて来たときは、すべてが奇妙で、まるでゲームみたいに偽物じみて、突拍子もなくて。

 自分がこの世界に馴染めるのか不安だった……。


 創作の中だけだと思っていた『魔法』の存在、それが組み込まれた『魔具』や、ここが私のいた場所ではないと明確に伝えてくる迷宮(ダンジョン)の存在やそこに挑む『冒険者』。

 その中には、人間ではない『獣人』や『妖精』といった不思議な種族すらもこの世界には存在していた。



「おっ、おはよう伊織ちゃん!」


「あ、八百屋の……おはようございます」



 明るいおかみさんが手を振ってくれる。

 軽くお辞儀をしつつ挨拶をすると、彼女は弾けるように笑った。


 不安に包まれる中、それでもこうして温かい人々との出会いと、あの喫茶店という場所が、私をこの世界に繋ぎ止めてくれた。


 でも、ザヴァンさんの言葉は、私の中に、再び「異世界人」である自分を強く意識させた。この街並みも、行き交う人々も、すべてがまるで作り物の舞台装置のように感じられ、自分がその中に溶け込んでいないような、小さな疎外感が胸をよぎる。


 そんなモヤモヤした気持ちを抱えたまま、私は大通りを歩き続けた。ふと、見慣れない路地裏に、小さなお店を見つけた。煉瓦造りの可愛らしい建物で、窓からは、珈琲の香ばしい匂いではなく、甘い香りが漂ってくる。


 私は、ふらりとそのお店の扉を開けた。

 中に入ると、店内は薄暗く、花のような形の魔具灯がオレンジ色に店内を染めていた。カウンターの向こうでは、白髪の老人が、ゆっくりとこちらを見た。



「いらっしゃい」



 しわがれた声は、酷く柔らかくて、私はなぜか泣きたいような気持ちになった。この店だけではなく、この世界に迎え入れられたような錯覚をしてしまったのだ。


 私は、店主らしきおじいさんに促されるまま窓際の席に座り、目の前の注文表(メニュー)を見た。いくつかの飲み物と甘味が用意されているようだ。



「あの、レモネードと、トーストをお願いします」


「トーストは黒パンと白パンどっちにするかね?」


「ええと、白パンで……」



 答えると、彼はこくりと頷いて奥の厨房へと向かった。

 しばらくして、私の目の前に運ばれてきたのは、淡い色合いのレモネードだ。厚みのあるグラスの中には氷と薄く切られたレモンの半月切りが浮いている。

 涼やかな色合いと上品な飾り付けはこのお店によく似合っていた。そおっと口付けると、ひんやりと冷たくてほんのりと甘い味が、喉を通り過ぎていく。



「おいし……」



 レモンの爽やかな香りは、私の心をそっと撫でるように、落ち着かせてくれた。


 次に、トーストに手を伸ばす。

 大きめの丸い白パンを切ったトーストはバターが塗られていて(かぐわ)しい。その横に、甘く煮た小豆が添えられている。うちの餡子よりゆるく、汁気があるので、スプーンですくい慎重に乗せた。

 一口食べると、バターの塩気と小豆の甘みが絶妙なバランスで、サクサクとしたトーストにじゅわりとした小豆が染みて食感も心地良い。ぱくぱくと食べ進めるうちに、私の心は、少しずつ満たされていくのを感じた。


 ザヴァンさんの言葉が、再び頭をよぎる。

「異世界の書物」ーーどんなものなんだろう。私がこの世界に来た理由がそこに記されていたりするとか?ううん、普通のファンタジーアイテムかもしれないよね。

 私は軽く首を振り、もうひとつの言葉を思い出す。うーん「欲しかったもの」って言われても……食材とか?ピンと来ないなぁ。


 答えは出ない。でも、今は、この甘いレモネードと小豆トーストの温かさを感じていたい。この一人の時間が、気持ちを整理するために必要だったのかも。



「ずいぶんゆっくりしちゃったな……」



 疲れているならゆっくりしていくといい、そんなおじいさんの好意に甘えて長居したらついうとうとしてしまっていた。せめて多めに支払おうとしたが「それだけ居心地いいと感じてくれたのが一番の報酬だ」と優しく言われてしまっては、これ以上は無粋だろうと諦める。

 また来ます、と言うとおじいさんはいつでもおいで、と笑った。素敵な人だった。



 喫茶店を出ると、外はもう夕暮れ時。魔具街灯に明かりが灯り始め、街は柔らかな光に包まれている。


 私は、ゆっくりと来た道を戻るように純喫茶『星月』へと向かう。モヤモヤは、まだ完全に消えたわけではない。それでも、あそこで美味しいものを食べ、ゆっくりとしたことで、少しだけ心が軽くなった気がした。

 この街での日々を、もっと大切にしよう。そして、明日、また喫茶店で、お客様たちを迎えるために。



「誠司さんは、今頃どうしてるのかな……」



 ぽつりとこぼれたその言葉はなんだか恥ずかしくて、いや別に恋してるとかじゃなくて!と自分に言い訳する。


 誠司さんも、ザヴァンの言葉をきっと気にしている。明日会ったら、とりあえずそのことは置いておきましょう、と伝えよう。

 考えすぎたって仕方ないのだ。

 明日も美味しい珈琲をいれて、お客様を迎えよう。



「よーし! がんばるぞー!」



 ちょっと無理やりでも、朝のぼんやりした自分よりはいい気がして、えいえいおー!と声をあげる。

 ……そして、不審者になりそうだと思って慌てて逃げ帰ったのであった。




お読み頂きありがとうございました!

少しでもお楽しみいただけましたら、よろしければ評価やブックマークをお願いします。

続きや続編製作の活力となります!


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