五十一話、謎の男の持ち込む噂
古都街ビンティーク。
大正ロマンを思わせる和風文化ととファンタジーな異世界が混ざりあったような摩訶不思議な街。
木造平屋の合間に冒険者の酒場があり、荷車は驢馬ではなくエルバという四足獣が牽引し、石畳の道の横にはガス灯に似た魔具街灯が立っていた。
大通りを抜けて、少し開けた場所に洋館が立っている。よく手入れされたその洋館には純喫茶『星月』を表すシンボルプレートがあった。
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背中ほどまである黒髪と丸眼鏡が印象的な彼は、異国を匂わせる長衣を身に纏っている。
そんな不思議な雰囲気のお客様は珈琲を飲んだあと、にっこりと言った。
「では……取引といきましょうか。その『お任せ甘味』と引き換えに、私がこの店に、とっておきの『噂』を置いていく、というのはいかがです?」
「……分かりました。お任せ甘味と、その『噂』の取引、お受けします」
噂と甘味の取引、というのはピンと来ないが、その挑戦的な視線はこちらを試しているようでもあった。
「――ほう、それはそれは。
どのような甘味が出るか……楽しみにしていますよ、伊織さん」
うふふ、と笑う彼は、涼しげな目を伏せ、珈琲を一口飲んだ。形良い唇は深く深く弧を描いている。
彼の丸眼鏡の奥の瞳が、何かを観察するように、店内の様子をじっと見つめていた。
「甘味……『取引』……。
あの人の思惑はわからないけど、なにか他にはない意外性のあるもの……」
そんな彼の視線を背に、私は甘味をどうするか考える。彼に提供する特別なお菓子。
今から仕込む時間はない。
「……よし」
迷ってても仕方ない。
私は魔具氷室から深型の金属バッドを取り出した。中には極光があった。
一面の極光を菱形になるように切り、器の底に入れる。
「お待たせいたしました、ザヴァンさん。本日限定の、極光クリームあんみつです」
寒天に、茹でて冷やした赤えんどう豆、小豆餡、それから求肥と白玉、あいすくりん、フルーツをいくつか添えて、黒蜜ではなくさっぱりとした白蜜をくるりと回しかけてある。
ザヴァンさんは、手袋をしたまま、ゆっくりとあんみつを手に取った。丸眼鏡の奥の瞳が、その輝きを捉え、わずかに細められる。
「……ほう。これは、また。興味深い」
彼は、そう呟くと、スプーンで一口、ゆっくりと口に運んだ。その瞬間、彼の顔に、驚きがあった。
「……これは」
言いつつ、彼は丸眼鏡越しにあんみつを覗き込む。
そして、下の方を狙ってすくうと、またゆっくりと口に運んだ。
すると、彼に微かな変化が訪れた。口元が、ほんのわずかに緩み、まるで心が解けていくような、静かな満足感が漂った。
「……これが、極光、ですか」
「はい。精霊の涙のゼリーです」
以前うちに立ち寄った水精族という精霊族が、お礼にと置いていった、小さな煌めく小瓶。
それは、まるで星の輝きを凝縮したかのような、極光の液体。瑞々しさを閉じ込めたような香りと、儚い甘さがする『精霊の涙』だ。
精霊の涙は非常に稀少なもので、食べると心が安らぎ、幸福感をもたらすという。
あの日貰った小瓶をやっと使う覚悟が出来て、試作として作っていたゼリーを急遽あんみつに隠した。光を透過する極光に輝くゼリーは、微かに青みを帯びており、美しい。
「……素晴らしい。これほど清らかな甘味は、なかなか口にできるものではない。まるで幼子がみた穢れなき幸夢」
彼の声は、先程より一段と穏やかで。あの攻撃的にすら見えるVの字のような笑顔ではない、静かな微笑みには、彼の感動が込められているのが伝わった。
目を伏せるようにして食べる様は味わっているのだろうと思えた。
「伊織さん」
「は、はい!」
「これはまさに、秘密を話したくなる味ですね。うふふ」
ザヴァンさんは、そう言って、私に視線を向けた。彼の声は喜色に弾んでいる気がする。
「では、約束通り、とっておきの『噂』をお聞かせしましょう」
彼の言葉に、私は思わず息を呑んだ。誠司さんも、カウンターの向こうで、グラスを磨く手を止め、静かに耳を傾けている。
ザヴァンさんは長い袖で口元を隠す。
「この世界のどこかに、『異世界のことを記した書物』が存在する、という噂です」
「ーーっ、」
その言葉に、私は全身の血の気が引くのを感じた。異世界の書物。私がこの世界ではないところから来たーーつまり「異世界人」であることは、誠司さんしか知らないはずだ。私の最大の秘密。
誠司さんも、私の隣で、明らかに動揺しているのが分かった。いつもにこにこした彼から表情が完全に消え去り、その瞳には驚きと警戒心を宿している。
ザヴァンさんは、そんな私たち二人の反応を、丸眼鏡の奥から、じっと観察していた。彼の口元には、意味深な笑みが浮かんでいる。
「……うふふ。
お二人とも、随分と動揺されているようだ。まさか、この噂が、これほどまでに、お二人の心を揺さぶるとは思いませんでしたよ」
白々しく聞こえる彼の言葉は、私たち二人の秘密を知っているかのようだった。どくどくと私の心臓は、激しく鼓動を打っているのを嫌に強く感じた。
この噂は、一体どこから来たのだろうか?
ザヴァンさんは、どこまで知っているのだろう?
「ーーさて、この甘味は、私の想像をはるかに超えるものでした。精霊の涙の希少性を考えると……これでは、私の提供した噂だけでは、釣り合いがとれませんね」
ザヴァンさんは、そう言って、デザートの残りをゆっくりと味わった。そして、再び私の方を見て、意味深に微笑んだ。
「ですから、おまけの情報と参りましょうか」
彼の言葉に、私と誠司さんは思わずごくりと固唾を飲んだ。さっきの今だ。なんの情報かわからないけどこわい。
「伊織さん。あなたはもうすぐ、欲しかったものが手に入るはずですよ」
ザヴァンさんは、そう言って、空になったあんみつの器を静かに置いた。
彼の瞳は、私を真っ直ぐに見つめている。その言葉が、私の何を指しているのか、私には全く分からなかった。しかし、その声には、不思議な確信が込められているように聞こえた。
「――では、この辺で。
また、興味深い取引ができることを、楽しみにしていますよ、伊織さん、誠司さん」
そう言い残すと、ザヴァンさんは、ほとんど音もなく、席を立った。彼の足音は、店内に広がる珈琲の香りの中に、溶け込むように消えていく。長衣を翻し、呼鈴を鳴らすこともなく、彼はまるで最初から存在しなかったかのように、静かに店を出て行った。
彼の姿が見えなくなる。
「……異世界の書物……」
私の声は、震えていた。
迷宮や魔法の存在するファンタジーな世界だ。異世界の書物、なんてアイテムが存在してもなんら不思議ではないだろう。
その『異世界』が、私の知る世界と同じとも限らない。むしろ違う確率だって十二分にあるはずだ。
……それでも、あまりにもピンポイントだった。
誠司さんは、無言でじっと私の顔を見て、それから困ったように眉を八の字にした。
「ごめんね、つい動揺してしまった。俺の方が軍人らしく知らん顔できたら良かったんだけど……」
「ううん、気にしないでください。私こそ、だいぶ露骨だったと思うので……」
「……彼は、どこまで知っているんだろう」
誠司さんの言葉は、私たちの心に、大きな不安を呼び起こした。謎多きザヴァンさんの持ち込んだ噂は、単なるゴシップなんかじゃなく、私に深く関係しているものだった。
そして、私が「欲しかったもの」が手に入ると言い残していったけど、それは一体何なのだろうか。
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