五十話、謎の男
古都街ビンティーク。
大正ロマンを思わせる和風文化ととRPG的な異世界が混ざりあったような摩訶不思議な街。
木造平屋の合間に冒険者の酒場があり、荷車は驢馬ではなくエルバという四足獣が牽引し、車輪の大きな馬車に裕福そうな人が乗り込んでいる。石畳の道の横にはガス灯に似た魔具街灯が立っていた。
そんな街にある古い洋館が、今は喫茶店として営業している。純喫茶『星月』はそんな小さな私のお店だ。
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かろりん、と。
その日、店のドアが開いて入ってきたのは、これまでにない異質な空気を纏った男性だった。
長い黒髪は、背中まで伸び、顔の半分は丸眼鏡に隠れているため、目元はよく見えない。しかし、眼鏡の奥から覗く、わずかな光が、こちらを値踏みしているかのように感じられた。
口元は、深く笑んでいて、Vの字を描いているが、それは柔らかとは言い難い、攻撃のようにすら見えた。
彼は、和装でも洋装でもない、異国を匂わせる長衣を身に纏い、露出が一切ない。手もきっちりと手袋をしている。その全身から漂う、どこか浮世離れした雰囲気に、私は思わず息を呑んだ。
まるで、この町の常識から切り離された存在のようだ。
「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席へ」
私が声をかけると、彼はゆっくりと店内を見渡した。その視線は、珈琲の香りに、そしてカウンターでグラスを磨いている誠司さんの姿に、しばらく留まった。
そして、まるで獲物を選ぶかのように、窓から少し離れた、店の奥まったテーブル席へと静かに歩みを進めた。
彼の足音は、ほとんど聞こえない。
「ご注文、お伺いいたします」
誠司さんが注文表を持って彼のテーブルへと向かうと、男性は眼鏡の奥から、じっと誠司さんを見つめた。
その眼差しは、静かでありながら、どこかすべてを見透かすような、不思議な力強さを感じさせた。
「――ほう、これが、噂に聞く『星月』……」
ぽつりと。
どこかでうちのことを聞いていたのだろう、彼の言葉は興味深そうに響いた。低く艶のある声は丁寧で静かだが、どこか含みがある。
まるで、言葉の裏に別の意味が隠されているかのようだ。
「珈琲を。ええ、この店の、最も特徴的な一品を、淹れていただけますか?」
口の笑みをそのままに、こてりと首を傾げながら言う彼の言葉に、誠司さんは一瞬、戸惑ったようだったが、すぐにいつもの穏やかな笑顔に戻った。
「かしこまりました『星空珈琲』ですね。心を込めて淹れさせていただきます」
誠司さんはそう言って、カウンターに戻ってきた。私に「珈琲、お願いするね」と笑う彼の表情はいつもと変わらず浅く微笑んでいるが、どこかぴりっとした空気が流れるのを感じた。
私は、誠司さんの雰囲気に、言いようのない緊張感を覚えていた。彼の言う「噂」とは、一体何のことだろう。
考えていても仕方ない。
頭を軽く振り、思考をリセットさせると、いつも以上に丁寧に豆を選び、ネルドリップで珈琲を淹れ始める。濃く深い琥珀色の液体が、ゆっくりとカップに満たされていく。湯気と共に立ち上る甘く香ばしい匂いが、店内にふわりと広がる。
「お待たせいたしました。『星空珈琲』でございます」
誠司さんがカップを置くと、男性は手袋をしたまま、ゆっくりとカップを手に取った。その動きは、一切の無駄がなく、流れるようだ。
彼は、珈琲の香りを深く吸い込み、丸眼鏡の奥の瞳を細めた。
「……ほう。これは、興味深い。ただの飲み物ではない、何かを宿している」
何かを宿している?
私の疑問を置き去りに、彼は、そう呟くと、ゆっくりと一口飲んだ。その瞬間、彼の顔に、微かな変化が訪れた。キツくVの字に結ばれていた口元が、ほんのわずかに緩んだように見えた。
「……悪くない。いいえ、むしろ……悪くないどころか、非常に結構」
彼の口調は、相変わらず丁寧だが、その言葉には、確かに称賛の響きが込められていた。
「もしよろしければ、本日の『お任せ甘味』はいかがでしょうか? 珈琲にもよく合いますよ」
私がそう提案すると、彼は珈琲カップを静かに置いた。そして、丸眼鏡の奥から、私の方をじっと見つめた。その切れ長の瞳は、血のように赤い。
その視線に、私は背筋が伸びるのを感じた。
「……“お任せ”ですか。それは、また興味深い。イオリさん……でしたね。あなたは、面白い色をしています」
「面白い色……?」
彼の言葉に、私は少しだけ戸惑った。
前世というか元いた世界の話では人にはオーラがありそれがみえるという人もいた。真偽は定かではないが、オーラは人によって色が違うらしい。……そういう話だろうか。
「お褒め頂けたなら、光栄です」
私がそう答えると、彼は小さく頷いた。
「では……取引といきましょうか。その『お任せ甘味』と引き換えに、私がこの店に、とっておきの『噂』を置いていく、というのはいかがです?」
彼の提案に、私は頭にクエスチョンマークを浮かべた。まさか、甘味と噂を交換するとは。隣の誠司さんも、静かに眉をひそめている。
「……それは、どういう意味でしょうか?」
誠司さんが、落ち着いた声で尋ねた。
「意味、ですか。うふふ。それは、甘味を味わってからのお楽しみ、ということですよ。さあ、取引に応じますか?」
彼の口元には、意味深な笑みが浮かんでいた。その瞳には、私たちが知らない何かを見透かしているかのような光が宿っている。
私は、誠司さんと顔を見合わせた。彼の言葉の裏にあるものは何だろう。しかし、彼の持つ不思議な魅力に、私は抗えなかった。
「……分かりました。お任せ甘味と、その『噂』の取引、お受けします」
「――ほう、それはそれは。
どのような甘味が出るか……興味深いですね。ありがとうございます。では、楽しみにしていますよ、イオリさん」
そう言って、彼は、手元が隠れる程長い袖で口元を隠した。まるで、攻撃的な笑みを一層深めたことを、隠すように。
彼がこの喫茶店に持ち込む「噂」とは、一体何なのだろう。
相手の真意がわからないまま、私は厨房へ向かった。
できることはいつもと同じ、お客様の要望に答えるため全力で尽くすことだけだった。
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