四十九話、和風ロールキャベツ
ーーかろりん。
その日、店に入ってきたのは、以前来てくれた女性だった。新婚のご夫婦で、ご主人とご一緒に来店してくださった彼女の名前は梅子さん。
あれ以来、時折ご夫婦でご来店されるが、いつもはご主人と一緒なのに、今日は一人らしい。
彼女は、店内を見回し、少しだけ落ち着かない様子で、カウンター席の一つに腰掛けた。
「いらっしゃいませ。今日は梅子さんお一人ですか?」
私が声をかけると、梅子さんは小さく「はい」と答えた。
いつもの明るい笑顔の中に、どこか迷いや、話したいことがあるような雰囲気が見て取れた。
彼女は、注文表を手に取るものの、視線は手元に留まらず、時折、ちらりと私の方を見る。
「どうしました?」
「あ、いえ、その……抹茶オレを、冷たいもので」
私がそう尋ねると、梅子さんは少し緊張した面持ちでを注文してくれた。
抹茶を少量のお湯で溶き、それを牛乳と合わせて泡立て器でよく混ぜる。グラスに氷とともに入れて、冷たい抹茶オレをお出しすると、梅子さんはふぅと息を吐いた。
「おいしい……ありがとうございます」
こくりと飲んで、はにかんだ梅子さん。それでも、彼女の視線は、やはり何かを言いたげに、私と誠司さんの間をさまよっている。
「梅子さん、何か私に、ご相談でも?」
「え、ええと……。その……実は、伊織さんに、お願いしたいことがありまして……」
梅子さんはハッとしたように顔を上げ、その頬が、少しだけ赤く染まった。彼女は、緊張を隠さず言葉を紡ぎ出した。
「なんでしょう。私にできることなら」
私の言葉に、梅子さんは意を決したように、まっすぐに私を見つめた。
「あの……伊織さん、お料理を教えて欲しいんです!」
「料理、ですか?」
「はい……!
あの、夫の正太が、最近、ハイカラな料理にすごく興味があるみたいで……『いつか作ってみたいな』って、ぼそっと呟いていたんです。
でも、私は母譲りの料理しかできず……」
梅子さんは、そう言って、困ったように眉を下げた。お母様譲り、というのはおそらく和食系なのだろう。
「それで、どうしたらいいか悩んでいたら、以前『星月』で伊織さんの心遣いを思い出して……ここなら、きっと優しく教えてもらえるんじゃないかと思って、思い切って来てみたんです」
「心遣い?」
誠司さんが「どうしたの?」と声をかけてくれる。首を傾げる彼が、いなかった日の話だろう。
「その、無理を申し上げました。
本来そういったことをしていないのも、わかりますので……あの、断っていただいても……」
「いえ、大丈夫です」
彼女の言葉に、私の胸はじんわりと熱を帯びた。あの時、二人のことを考えたクラブハウスサンドを覚えていてくれたなんて、本当に嬉しい。
そして、何よりも、愛する夫のために、慣れない料理に挑戦しようとする梅子さんの気持ちが、とても可愛らしく、いじらしい。
「梅子さんの、その優しい気持ち、きっと届きますよ。私でよければ、ぜひお手伝いさせてください!」
私がそう言うと、梅子さんの顔に、パッと明るい笑顔が花開いた。その笑顔は、まるで春の陽だまりのようだ。
「本当ですか!?
ありがとうございます、伊織さん!」
「もちろんです。それなら、今日はロールキャベツに挑戦してみましょうか。お出汁と醤油ベースの味付けにするので、お家でも再現しやすいと思います」
誠司さんも、私たちの会話を静かに聞いていたが、梅子さんの嬉しそうな笑顔を見て、ふわりと優しい笑みを浮かべていた。
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営業後では遅くなってしまうので、アイドルの時間を使うことになった。
「お店は俺がみとくよ。なにかあったら声かけるから、任せて」
にっこりと笑う誠司さんの頼もしさに、梅子さんと二人で頭を下げつつ、厨房に引きこもらせて貰う。
食材を取り出して、分量だけ簡単にメモしてもらい、梅子さんの洋食レッスンが始まった。
「ロールキャベツは、一見難しそうに見えるかもしれませんが、一つ一つの工程はシンプルだから大丈夫です」
私がそう言うと、梅子さんは真剣な眼差しで頷いた。メモを取っている手にぎゅっと力が入る。
まずは、キャベツの葉を剥がすところから。
「大きい葉を、破れないように丁寧に剥がします。沢山使う時は先に芯をくり抜いておきます。
硬い芯の部分は、薄く削いでおくか、茹でた後に麺棒などで叩いておくと巻きやすいです」
私はそう言って、キャベツの葉を外して洗う。同じことを梅子さんにも続けてやってみてもらう。
「何枚か重ねてさっと茹でます。あとで煮込むので軽くで大丈夫ですよ」
言いながら、キャベツの葉を塩を入れた熱湯でさっと茹で、柔らかくしていく。バットに取りだして水を切ると、湯気と共に、キャベツの甘い香りが立ち上がった。
次に、中の具材だ。
「ひき肉と、細かく刻んだ玉ねぎを混ぜていきます。今日は豚ですけど、鶏や牛、合い挽き、なんでも大丈夫です。パン粉と卵はまとまりが良くなります」
「これは、順番とか関係ないのでしょうか?」
「大丈夫です。すべてこうやって捏ねるので」
私はそう言いながら、ひき肉と炒めた玉ねぎ、パン粉、卵をボウルに入れ、塩胡椒で下味をつける。力を込めて捏ねていく。
わあっと驚く仕草の梅子さんが可愛らしい。
彼女も私の手元をじっと見て、一つ一つの工程を真似つつ、丁寧にこなしていった。
「さあ、いよいよ巻いていきますよ!
キャベツの葉を広げて、具材を乗せて、手前からきゅっと巻いていきます。両端も内側に折り込んでね」
私が実演してみせると、梅子さんは真剣な顔で挑戦する。最初は、具材がはみ出してしまった。うまく巻けなかったからか、少し落ち込んだ顔をした。
「あぁ……! 難しい……!」
「こう、片側はしっかりと巻き込んで、反対は最初だけ巻いたらそのままにして、最後に押し込むんです。そうすると、留め具がなくても綺麗に巻けますから」
「こう、ですか……?」
途中までは順調なのだが、少しいびつになってしまったので、梅子さんはむむむと唸った。
「大丈夫よ、梅子さん!
最初はみんなそうなります。私も、初めての時は、何度も失敗しましたし……焦らなくていいんですよ」
「はい!」
私がそう励ますと、梅子さんは、もう一度、真剣な顔でキャベツの葉を広げ始めた。誠司さんも、時折、厨房の入り口から、温かい眼差しで梅子さんの様子を見守ってくれている。
目が合ったら、ひらりと手を振られた。
何度かの失敗を経て、ついに、梅子さんが作ったロールキャベツが、見事な形になった時、彼女は「できた!」と小さな声を上げて、本当に嬉しそうに笑った。
「見てください、伊織さん! きれいに巻けました!」
「はい、素晴らしいです! 梅子さん、完璧ですよ!」
その笑顔は、努力が実を結んだ喜びで輝いていた。
最後に、煮込みだ。
「煮崩れないよう、きっしりと底に詰めてくださいね。お家にあるもので作れるように、出汁と醤油をベースに、少しみりんを加えます。これで、ご飯にもよく合う、優しい味になるわ」
私はそう言いながら、鍋にロールキャベツを並べ、ひたひたになるまで出汁を注ぎ込む。弱火でコトコトと煮込んでいくと、部屋中に香ばしい香りが広がる。
「その間に、赤茄子のソースを作ります。今日はええと……これを。私のレシピ……拵え方なんですけど」
「い、いいんですか!?」
「ええ、隠してないので大丈夫ですよ」
にっこりと笑うと、梅子さんは戸惑いがちにレシピを受け取った。
渡したのは、ニンニクや玉ねぎと炒めたよくあるトマトソースのレシピだ。本当に隠してない。簡単に説明しながら味見をしてもらう
「美味しいです」
「ロールキャベツは、今煮込んだもののままお出ししても良いし、このトマトソースをかけるともっといつもと違う雰囲気が楽しめていいですよ」
食器も片付けた頃、煮込んだロールキャベツは、キャベツがとろとろになり、中の具材にもしっかりと味が染み込んでいた。
私たちは、梅子さんが作ったロールキャベツを試食した。
「美味しい……!
私が作ったなんて思えないくらい、すごく美味しいです……!」
梅子さんは、感動したように目を潤ませた。
メモをぎゅっと抱きしめる彼女は、きっと正太さんの喜ぶ顔を想像しているのだろう。
「この調子なら、おうちでも大丈夫です!
正太さんも、きっと喜んでくれるはずですよ」
「伊織さん、本当にありがとうございます!
これで、正太を驚かせることができます」
梅子さんの瞳は、愛する人への想いでキラキラと輝いている。その姿を見ていると、私まで温かい気持ちになる。
梅子さんの手料理が、正太さんの食卓を彩り、二人の新婚生活が、ますます温かいものになっていくのは、きっと、もうすぐのことだろう。
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