四十八話、藍銅鶏のローストチキン
ーーからんからん!
勢い良く呼鈴が鳴る。
「いらっしゃいませ!」
その日の午後、店がちょうど賑わいを見せ始めた頃、元気のいい呼鈴の音と共に、アランさんが姿を現した。
彼は、前回よりもさらに旅慣れた様子で、身につけた薄手の皮鎧には、新しい冒険の痕跡だろうか、いくつかの擦り傷が見て取れる。
しかし、その顔は健康的に日焼けし、彼の凛々しい頬に生えた無精ひげも、どこか誇らしげに見える。
彼のウォームブラウンの瞳は、私を見つけると、すぐにキラキラと輝きを増した。
「よお、イオリ! 来たぜ!」
彼の声は、店の活気に負けないほど明るく、響き渡る。そのフランクな呼びかけに、カウンターの奥で珈琲を淹れていた誠司さんの手が、ぴくりと反応したのが分かった。
「いらっしゃいませ、アランさん。今日は、お仕事帰りですか?」
私が尋ねると、アランさんはカウンター席に軽快に飛び乗り、ニヤリと笑った。
「おうよ! でっかい仕事終わりに、イオリの美味い飯と珈琲を求めて、はるばる戻ってきたってわけだ!」
彼は、そう言って私の顔を見てにっかと笑った。その視線は、熱く、真っ直ぐで、少し照れくさくなる。
「おすすめのガッツリした飯と、珈琲、頼むぜ。あと、イオリが作る一番美味い菓子を全部だ!」
「全部自信をもってお出ししてるので、お菓子全種類になっちゃいますよ?」
「いいぜ! と、言いたいところだが、それじゃあイオリも大変だろうし、さすがに残しちゃ悪いな。オススメをくれ」
彼の豪快な注文に、私は思わず笑ってしまう。
お菓子全種類はさすがに無理そうだけど、今日はお仕事帰りで大盤振る舞いの気分なのかもしれない。
誠司さんは、逆にそんなアランさんの言葉に、口元をわずかに引き締めたのが分かった。彼の翡翠色の瞳が、アランさんを静かに、しかし、鋭く見つめている。
「珈琲は冷たいのもありますがどうします?」
「おー、じゃあせっかくだしそっちもらうか」
私が厨房で料理の準備をしている間も、アランさんはカウンター越しに話しかけてくる。
「いやぁ、今回の仕事は骨が折れたぜ。
迷宮の奥深くで、とんでもねぇ魔物とやり合ってきたんだ! 本来はこんな所にいるはずねぇんだが、そんなこと言ってるヒマもなくてよ」
彼の声は、冒険者としての自信と誇りに満ちている。本当に楽しそうで、充実した生活をしているのが伝わってくる。
「だがな、そいつを倒して得た素材で、とびきりの武具が作れるんだとよ。
これでまた、一歩、夢に近づいたぜ!」
アランさんは、そう言って力こぶを作った。
その腕には、確かにしなやかな筋肉が隆起している。彼の言葉からは、危険を顧みず、己の道を切り拓く冒険者としての生き様が伝わってきた。
「すごい。アランさんは、本当に、色々なところを冒険しているんですね」
「へへ、そりゃあな。だが、どんなに遠くに行っても、結局、この街にーーここに帰りたくなるんだよ」
彼の視線が、私に向けられた。
その言葉には、明らかに私への個人的な意味が込められているのが分かった。かあっと、頬が熱くなる。
その時、誠司さんが、静かに、しかしはっきりと口を挟んだ。
「お客様、お飲み物から先にお持ちしましょうか? 冒険で渇いた喉に冷たい冷珈琲が沁みますよ」
誠司さんの声は、いつも通り穏やかだが、その言葉には、アランさんへの牽制が含まれているように見えた。彼の視線が、アランさんの言葉を遮るように、まっすぐに向けられている。
アランさんは、そんな誠司さんの態度にも動じず、ニヤリと笑った。
「おう、頼むぜ! そうだな、まずは珈琲で喉を潤すか」
冷珈琲は、サーバーに氷をぎっしりと詰めて熱々の珈琲を落とし、急速冷却している。
硝子のグラスに氷をたっぷりといれた冷珈琲が運ばれてくると、アランさんはそれを一口飲み、満足げに目を閉じた。
「ああ……これだよこれ!
どんな高い酒よりも、ここの飯と珈琲が、一番の癒しになるぜ!」
彼の言葉は、誠司さんへの賛辞でありながら、同時に私への賛辞でもある。誠司さんの眉が、ピクリと動いたのが分かった。
私が、藍銅鶏のローストチキンと、付け合せのピーマンとインゲンのマスタードサラダ、ポタージュスープを運んでいくと、アランさんの目はさらに輝いた。
「おお! 今日も美味そうだな!」
ナイフとフォークを両手に構えると、まるで獲物を捉えた狩人のようにすいすいと彼の手が動いた。
「んお!! うめぇ!!
ローストチキンは皮はパリパリ中はふっくらジューシー!
この付け合せはマスタードか? ピリッとした刺激がいいアクセントだ!」
ピーマンとインゲンは青臭さが気になる人が多いので軽く下茹でして、マスタードマヨで和えてある。ポタージュはシンプルだが、濃厚さがあって、サラダもポタージュも鶏肉の淡白さを補える組み合わせだ。
彼は、豪快な食べっぷりで、あっという間に平らげた。そして、デザートとしてあいすくりんを口にすると、その表情は、言葉にならないほどの幸福感に満ちている。
「イオリ、お前に頼みがあるんだ」
食後、満足した様子でふう、と息をついたアランさんが、真剣な顔で私を見た。
「もしよかったら、次の冒険の前に……俺と二人で、この街の美味しいものを巡らないか?
俺の奢りだ。なんなら、セイジも一緒でもいいぜ!」
彼の言葉は、ストレートだ。
にっこりと自信ありげな誘いを、明確に私個人へのものとして伝えてくる。最後の「セイジも一緒でもいいぜ!」という言葉は、彼なりの配慮なのか、それとも、誠司さんへの挑発なのか。
誠司さんが、珈琲カップを磨く手を、ぎゅっと止めたのが分かった。彼の背中から、明らかにピリピリとした空気が漂ってくる。
私は、アランさんの突然の誘いに、一瞬言葉に詰まった。彼の真剣な眼差しは、私の返事を待っている。
「ええっと……それは……」
私の戸惑いをよそに、アランさんは、満足そうに笑った。
「ま、返事は急がなくていいぜ。俺は小せぇ男になりたくねえしな。また来るわ!」
彼はそう言って、会計を済ませ、満足そうに店を出て行った。その背中には、冒険者としての自信と、私への確かな好意が、まるで光のように輝いているように見えた。
ーーかろりん。
呼鈴が鳴り、アランさんの姿が見えなくなる。店内に、再び静寂が戻った。
アランさんの熱い視線と、彼からの誘いが、甘く残っていた。
「イオリ」
誠司さんの声が、静かに鋭く響いた。
「誠司さん、あの……」
どう答えていいか、わからない。
好きだと告白されたわけでもない、食べ歩きなら友達同士でもするだろう。けど、デートの誘いようにもみえる、アレを、どう受け止めたらいいのだろうか。
「イオリは、彼と出かけたい?」
「いえ、その、ええと……」
出かけるのが嫌ということもないが、積極的に行きたいというほどでもない。
「……食べ歩きなら、俺とでもいいよね?」
彼の瞳には、ハークさんに対するものとはまた違う、アランさんへの嫉妬にも似た感情が揺れているのが、はっきりと分かった。
「それは、もちろん……」
怒ってはいないのだろうが、笑ってるはずのその顔には妙に迫力がある。圧されるように、ぎこちなく頷くと、彼は長く息を吐いた。
「アランと行くなら、俺も行くから」
「えっ」
「なに? やっぱりアランと二人がいい?」
「あ、いえ、そんなことは、全然!
……その、毎回ご迷惑おかけしてすみません」
最近毎回、定休日にも会ったり助けて貰ったりしている気がする。アランさんと出かけるというのも、心配をかけているのだろうと思うと、色んな意味で申し訳なさが募る。
誠司さんからも、好きだとか、付き合いたいとか、言われたことはない。裕子さんの一件で、彼に想い人がいることを知ったが、それが私だという保証もない。
「イオリは全然、わかってない」
彼から向けられるこの嫉妬らしい気持ちも、きっと恋愛感情というより、保護者的な感情だと思えば納得がいく。
けれど、目の前でむくれる彼がもし本当に私に恋をしているのなら……。
ぎゅ、っと詰まる胸の中に、私は小さな熱を感じた。
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