四十七話、赤紫蘇ババロアと赤いクリームソーダ(リリー目線)
朝のまだ日が高くない時間。
オープン前だから、裏口からドアを開ける。
印象的なカランと鳴る音は聞こえない。ドアをくぐると、純喫茶『星月』独特の、甘く香ばしい珈琲の香りがして、ふわりと私の鼻腔をくすぐった。
窓から差し込む柔らかな日差しと、魔具灯の優しい光に照らされた店内は、いつも穏やかな温かさに満ちている。
「いらっしゃい、リリーちゃん!」
「こんにちは! イオリさん!」
イオリさんの朗らかな声が、私を迎えてくれる。彼女はいつだって、どんな時も、明るくて優しくて、この喫茶店の雰囲気そのものだ。
「今週のお花、届けに来ました!
孔雀草です。見てくださいこのきりりとしたオレンジ色、きっと元気をもらえますよ!」
黄色が可愛い万寿菊と、オレンジや赤もある孔雀草があり、今日は孔雀草を持ってきた。
私がそう言うと、イオリさんは嬉しそうに微笑んだ。今日も抱えてきたうちの自慢のお花を、店内の小さな花瓶に活けていく。
「ありがとうございますリリーちゃん。いつも素敵な花を届けてくれて。今日のも可愛いですよ」
イオリさんはそう言いながら花瓶に活けられたばかりの孔雀草を愛おしそうに見つめていて、私まで心が温かくなった。
花屋の私が届ける花が、この喫茶店の一部になって、ここを訪れる人々の心を和ませているんだよね。
店内で花を活けていると、誠司さんが顔を出した。彼の薄茶の髪が、窓から差し込む光を受けてキラキラと輝いている。淡い翡翠色の瞳は、いつも穏やかで、物腰も柔らかい。
こんなにかっこよくて優しく接客してくれるのだもの、女の子には大人気なのも当然よね。
「おはよう、いつもありがとう。この花があるだけで、店の空気が一段と和みますよ」
誠司さんがそう言って私にほほ笑みかける。
けど私は他の女の子たちのようにその笑顔を勘違いしたりしない。だって全然特別じゃないから。
「イオリ、チェック終わったよ。今日も暑くなりそうだし、アイスティーと冷珈琲を今のうちに仕込んでおこうか?」
「はい、お願いします」
「あの梅ゼリー、前に仕込んだシロップのやつ? 味見してもいい?」
「今はダメです。……休憩になら」
私は、二人のやり取りを、いつものようにそっと見守っていた。
誠司さんはさっきよりもずっと気安い仕草でイオリさんに話しかけている。イオリさんと誠司さんは、なんというか……仕事仲間ってだけではないのよね、きっと。
誠司さんがイオリさんをからかったり、二人が互いを気遣い合い、笑い合ったりする姿を見るたびに、彼らが相手をどれほど大切に思っているか、私にははっきりと伝わってくるような気がした。
花を活け終え、一息つこうとすると、イオリさんが私に声をかけてきた。
「ねえ、リリーちゃん。よかったら、ちょっと付き合ってくれない? 」
「大丈夫です! どうしたんですか?」
「今、新しい飲み物とデザートを試作してるんだけど、リリーちゃんの率直な感想を聞かせてほしいの」
イオリさんの言葉に、私は目を輝かせた。
新メニューの試食。それは私にとって特別な楽しみの一つだ。
こうやってオープン前に店内に入れて貰えることも含めて、仕事仲間として見てもらえているんだと思う。嬉しい。
「はい! もちろんです、イオリさん!」
私が元気よく答えると、イオリさんは嬉しそうに微笑んだ。
しばらくして、私の目の前に運ばれてきたのは、驚くほど鮮やかな二つの赤い物だった。
一つは、シュワシュワと泡立つ赤い炭酸と、細い楕円のアイスがのった赤いクリームソーダ。もう一つは、紅白の二層になったゼリーのような見た目だ。
「みて、リリーちゃん。これはね、赤紫蘇を使った、新しいシロップで作ったんです」
「赤紫蘇ですか?」
「はい、綺麗な色でしょう?
赤紫蘇ソーダと赤紫蘇のババロアです」
イオリさんの言葉に、私は思わず息を呑んだ。
赤いクリームソーダは、グラスの中で氷と赤紫に色づいた炭酸、そして白いクリームがコントラストをなしていて、まるで夏の夕焼け空のよう。
「……っ、ん!」
意外とすっぱい。
一口飲むと、じゅわっとくる。爽やかな赤紫蘇の香りが鼻腔を抜け、後からくるクリームのまろやかさと炭酸のシュワシュワ感が、口の中で不思議なハーモニーを奏でた。
見た目だけでなく、味もとても斬新で、でも、どこか懐かしいような、そんな不思議な魅力があった。
「じゃあ次は、こっちのババロア? を……」
次に、紅白の二層ババロアをいただく。
上の層は、赤しその鮮やかな赤色で、下の層は、優しい乳白色。
スプーンですくうと、プルンと揺れた。
不思議な味……。
赤紫蘇の爽やかな香りがまず広がり、その後に続く白い層の、ミルクの優しい甘みが舌を包み込む。見た目にも美しく、口どけも滑らかで、異なる二つの味が、まるで互いを引き立て合うように、絶妙なバランスで溶け合っていく。
「どうですか? あの、正直な感想でいいので……」
「イオリさん……これ、美味しいです!
赤紫蘇ってクセの強いイメージだったんですけど、こんなに鮮やかな色なのに、味が強すぎなくて、それぞれの素材と見事に調和していると思います!
クリームソーダは、見た目の華やかさと、口の中の清涼感が最高だし、ババロアは、ゼリーよりなんというか食感が柔らかで、赤紫蘇がすごくふんわり香りますね!」
私が熱弁すると、イオリさんは嬉しそうに目を細めた。誠司さんも、カウンターの向こうで頷いていた。
赤紫蘇なんてお菓子と合わなさそうなのにちゃんと美味しく仕上げてくるイオリさんは本当にすごい。
「ありがとうございます。
作ってみたものの、万人受けする味じゃないからどうかなと思って……」
イオリさんはそう言って、色鮮やかな新作菓子をみている。こんなに美味しいのに慢心せず、色んなことを考えているんだろうな。
そしてそれが、この喫茶店を、そして訪れる人々の心を豊かにしていく。
「見習わなきゃ」
「リリーちゃん?」
「ううん、ほんとに美味しかったです!
でも、もし改良するなら、いくらでも試食しますよ!」
自分なりに色んなことを考えているつもりだけど、まだ足りない。もっと頑張らなきゃ。
ここに来ると、美味しさだけじゃなくて、いつも元気を貰える気がした。
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