四十六話、すももとブルーベリーのフルーツタルトほうじ茶風味
古都街ビンティーク。
大正浪漫や明治維新とRPG的な異世界が混ざりあったような摩訶不思議な街。木造平屋の合間に冒険者の酒場があり、荷車は驢馬ではなくエルバという四足獣が牽引し、車輪の大きな馬車に裕福そうな人が乗り込んでいる。石畳の道の横にはガス灯に似た魔具街灯が立っていた。
「いらっしゃいませ!」
呼鈴の音色が、かろんかろんと今日も純喫茶『星月』に響く。こぽこぽと誠司さんが淹れる甘く香ばしい珈琲の香りが、店中に満ちていた。
白瀬・アリオルト・誠司。
人目を引く美丈夫である彼は、元軍人であることを感じさせないやわらかな態度で接客する。鍛えられたせいか常に姿勢が良く、立ち振る舞いが綺麗だ。
珈琲を淹れてるだけで絵になるなんて。
その日、店のドアを開けて入ってきたのは、見慣れた顔だった。冒険者ギルドの受付嬢、カリーナさんだ。
いつものきっちりとした制服ではなく、柔らかな色のワンピースに身を包んでいる。ウェーブのかかった栗色の髪は、ゆるくまとめられ、ふんわりと波打っている。眼鏡の奥の栗色の瞳は、普段の鋭い光とは違い、どこか疲労を滲ませていた。
「あら、カリーナさん!
いらっしゃいませ。今日はお休みですか?」
私が声をかけると、カリーナさんは少しだけ驚いたような顔をした後、いつものしっかりとした笑顔を向けた。
「ええ、イオリ、ご無沙汰ね。
実は今日はやっと取れた休日なのよ。戦いのない場所を求めて、ここに逃げ込んできたわ」
彼女の言葉に、私はくすっと笑ってしまった。
冒険者ギルドの受付は、まさに戦場のような場所だろう。次々と押し寄せる冒険者たちの依頼対応に、時にはトラブルの仲裁、休憩する暇もないと聞く。
「お疲れ様です。どうぞ、お好きな席へ」
誠司さんがメニューを持って向かうと、カリーナさんはカウンター席の端に腰掛けた。いつもはテキパキと動く彼女の手が、今日はどこか所在なさげにメニューを眺めている。
「普段はこんなにゆっくりする時間なんてないから、どうしたらいいか分からなくなるわね」
カリーナさんが、少し戸惑ったように呟いた。その言葉に、彼女が普段どれほど多忙な日々を送っているかが伝わってくる。
「お飲み物は何になさいますか?
せっかくのおやすみでしたら、甘いものはいかがですか?」
私がそう尋ねると、彼女は少し考えてから、「そうね……じゃあお任せでお願いするわ」と、少しだけいたずらに笑った。その挑戦的な笑顔は、危険にも果敢に挑む冒険者のようだ。
「かしこまりました。とっておきをご用意しますね」
私は、カリーナさんのために、フルーツタルトを取り出した。
香ばしいタルト生地に、ほうじ茶の香りを移したカスタードクリームをたっぷりと敷き詰める。その上には、旬のすももとブルーベリーを美しく並べ、仕上げにほんのり香ばしいきな粉を軽く振る。温かみのある和の風味と、果物のフレッシュな味が楽しめる。
忙しい日常を忘れさせてくれるような一品だ。
「お待たせいたしました、カリーナさん。
すももとブルーベリーのフルーツタルトほうじ茶風味です。お飲み物は涼やかに冷たい緑茶をご用意しました」
私が運んでいくと、カリーナさんの瞳が、タルトの鮮やかな色彩に、わずかに見開かれた。
「あら、綺麗ね」
彼女は、そう呟くと、フォークを手に取った。
ルビーのような赤いすももと、深く鮮やかな青色のブルーベリーが宝石のように散りばめられている。そこに銀のフォークがするりと差し込まれた。
底のタルトがさくりと軽い音を立てる。きな粉の淡い色が、全体を優しく包み込むようにかかっていた。
一口食べると、その表情が、ふわりと和らいでいく。普段の姉御肌で毅然とした雰囲気からは想像できないほど、穏やかな笑みを浮かべる。
「……美味しい。クリームの優しい甘みが口いっぱいに広がって……卵だけじゃない、香ばしい風味もするわ。これがほうじ茶ね?」
「はい、その通りです。
ほうじ茶は、焙煎でうまれる成分が、脳をリラックスさせ、心を鎮静させる効果があると言われているんです」
カリーナさんが、もう一口、タルトを口に運んだ。
「それに、すもものキュッとした酸味とブルーベリーの爽やかさが、いいアクセントになって、たっぷりとしたクリームも全く重くないわ。タルト生地のサクサクとした食感も心地よくて、きな粉の香りが後を引く……まるで、疲れた心が解き放たれていくようだわ」
その瞬間、彼女の肩から、ストンと力が抜けるのが分かった。まるで、張り詰めていた心が、ゆっくりと解き放たれていくかのようだ。
カリーナさんが、二つ目のタルトに手を伸ばそうとした、その時だった。
「カリーナさん、お久しぶりです!」
店に入ってきた若い冒険者の男の子が、元気よく声をかけた。彼の隣にいた仲間たちも、カリーナさんの姿に気づき、次々と挨拶をしてくる。
「ああ、あなたたち! 元気にしているかしら?」
カリーナさんは、一瞬だけ、ギルドの受付嬢の顔に戻り、テキパキと冒険者たちに応対し始めた。彼らの依頼の進捗や、最近のダンジョンの状況について、的確なアドバイスを与えている。しごできだわ……。
「この間依頼されてたあの魔物の素材、どうすればもっと効率よく集められるっすか?」
「あの採取地、最近ちょっと危険になってて……」
次々と浴びせられる質問に、カリーナさんは一つ一つ丁寧に答えていく。彼女の優しさや、面倒見のよさが、冒険者たちから厚い信頼を得ている理由なのだろう。
「まったく、休日にまで仕事の話ばかりさせないで頂戴!」
カリーナさんは、ふん、と怒るかのようにそう言いながらも、その口元には、どこか嬉しそうな笑みが浮かんでいた。結局、彼女は、誰かの役に立つことを、心の底から求めているのだ。
冒険者たちが満足そうに席に戻っていくと、カリーナさんは、再びタルトに手を伸ばした。そして、ひんやりとした淡いグリーンの緑茶を一口飲むと、ふぅ、と深く息を吐いた。
「……まったく、おちおち休んでもいられないわね」
そう言いながらも、その表情は、先ほどよりもずっと穏やかだ。気を抜いたように頬杖をついて、誠司さんに食事を注文している先程の冒険者たちをぼんやり見ている。
「でも……この場所は、本当に特別ね」
カリーナさんが、そう呟いた。
そして、美しい硝子のグラスのふちを指先でなぞりながら、少しだけ遠い目をして、微笑んだ。
「この味は……まるで秘密基地ね」
その言葉に、私は胸が温かくなった。
彼女にとって、この喫茶店が、忙しい日常から離れて、心と体を癒す、誰にも邪魔されない特別な場所になっているのだ。
「また、逃げ込ませてもらうわ。ありがとう、イオリ。あっちの彼にもよろしくね」
カリーナさんは、そう言って、軽くウィンクを投げた。そしてスマートに会計を済ませると、店を出て行った。その背中は、再び戦う日常へと帰っていく、いつもの冒険者ギルドの受付嬢の姿だったけれど、その足取りは、どこか軽やかなように見えた。




