四十一話、 カレーライスの誘惑と書生さんの好奇心
最近、古都街ビンティークではカレーという砂漠の国の伝統料理が話題になっている。香辛料をたっぷり使った独特の茶色ソースが、ご飯にかかっているらしい。
最初は物珍しさからだったけど、その独特の香りと、体の内側からじんわりと温まるような味が、徐々に人々の間で広まりつつあった。
誠司さんも、例に漏れずカレーの虜だった。
「イオリの作るカレーが食べたい」
「カレーですか……」
彼の希望に私は唸った。現代と違ってルーがない。
カレー粉も売ってなかったので、まだ取扱店だけの秘密の調合なのかもしれない。
ガラムマサラらしきものも見つけられなかったので、地道に香辛料を組み合わせて試作を重ねていた。
試作中は香辛料の独特の香りが漂い、私も誠司さんもその香りにすっかり魅了されていた。
結局いろいろやってみた結果、香草、馬芹、 丁子、鬱金……これらを基本に肉桂を加えた甘口用と、胡椒、唐辛子、辛子を加えた辛口用の二種類を用意した。
「俺、今日もまかないはカレーがいいな」
「昨日もじゃありませんでした?」
「毎日でもいいよ」
ご機嫌な誠司さんは爽やかな笑顔。
美形の笑顔ってやっぱり眩しい。
「あんなにたくさんの香辛料を混ぜるだなんて思ってもみなかった。ほんとに、イオリには尊敬しかないよ」
「他の店の作り方は私は知りませんよ?」
「大丈夫、文句なしで美味しい」
目指したのは気取らない、いわゆる『お母さんの作るカレー』だ。ていうか、私の家カレーかもしれない。家で作る時に玉ねぎを飴色にしないし、多少の違いはあるけれど。
巷のカレーはそこそこ辛味があるらしいので、甘いものが好きな人や女性が多い星月では甘口も用意した。
ーーかろりん。
そんな日の午後、店内にまた新しいお客さんがやってきた。背筋をピンと伸ばし、なんというか書生さんのような格好をしている。
手には分厚い本を抱え、どこか知的な雰囲気を漂わせた彼のその大きな瞳には、好奇心旺盛な光が宿っている。
「ごめんください」
彼の声は、若々しく、どこか澄んだ響きがあった。彼は、店内を見回すと、カウンター近くのテーブル席に静かに腰掛ける。誠司さんが注文表を差し出すと、彼はそれをじっと見つめた。
その視線が、新しく書き出された「特製カレーライス」の文字に止まる。
「これは…『ライスカレー』とやらですか?」
書生さんは、少し遠慮がちに尋ねた。
その言葉には、未知の食べ物に対する興味がにじみ出ている気がした。
「そうですよ。
最近話題の異国料理ですね。目新しいだけではありません、不思議な香りが食欲を誘い、香辛料をじっくり煮込んだ、なんとも奥深い味わいです」
誠司さんの言葉になんとなく熱っぽさがあるのは気のせいだろうか。誠司さんはカレーに取り憑かれている気がしてきた。
聞いていた書生さんは、それを聞くと、さらに興味が増したようで、身を乗り出すように尋ねた。店内に
「ほほう、香辛料ですか。
私は、普段はもっぱら書物と向き合っており、食にはあまり頓着しない質ではありますが、この香りは、どうにも心を惹きつけますね。
これは、どのような効能があるのですか?」
書生さんの真面目な問いかけに、誠司さんはクスッと笑った。
「……効能、ですか。そうですね、入っている香辛料それぞれに薬効があるらしいのですが……」
「なんと!」
「大きくまとめると体を温め、食欲を増進させる効果があるらしいですよ。
そして何より、一度食べると、また食べたくなるような、不思議な魅力があるんです」
誠司さんの実体験のこもった言葉に、書生さんはじっと考え込んだ。彼の眉間に、少しだけ可愛らしい皺が寄っている。
そして、意を決したように言った。
「では……その、特製カレーライスを、一ついただけますか?」
「はい、カレーライスですね。
甘口と、辛口がございますがどちらにいたしますか?」
彼がカレーライスを選んだことが嬉しいのか、誠司さんはにこにこと問いかけた。
「甘口は、お子様や辛いものが苦手な方におすすめしております。
辛いものがお嫌でなければ、辛口のほうが香辛料の刺激とその中にあるコクや風味豊かな味わいが楽しめるかと」
「では、辛口を」
「かしこまりました。少々お待ちください」
誠司さんは満足そうに頷く。
カレーに関しては、予め仕込んで厨房に置いてあるので、温めてかけるだけで良い。待たせることなく湯気を立てるカレーライスが、書生さんの前に運ばれた。
皿の上には、ごろごろの具材と、深い焦茶色のルーがご飯の上にとろりとかかり、その独特の香りが、店内にふわっと広がる。
書生さんは、目の前のカレーライスを、まるで珍しい書物でも見るかのように、じっと見つめている。
「これは……見慣れない姿ですね」
書生さんは、おそるおそるスプーンを手に取った。そして、ルーとご飯を一緒に掬い、ゆっくりと口に運ぶ。
その瞬間、彼の顔が、フワッと明るくなった。大きな瞳が、驚きと喜びに満ちて、キラキラと輝いている。
「……これは!
なんとも不思議な香りが口いっぱいに広がり、それでいて、ご飯の甘みと見事に調和しています……!
そして、後からじんわりと体が温まるような……否、辛味が! ぴりりとした辛さが舌を刺すようで、あっ、また味わいが変化しました。
これは果物かなにかの甘みでしょうか……。
まさしく、未知の味覚ですね!」
書生さんは、興奮したようにそう言った。
その矢継ぎ早で真面目な感想が、なんだか可愛らしくて、私は思わず笑ってしまった。彼が、日頃から本を読んでいるからか、表現の仕方も面白い。
彼は、それから夢中になってカレーライスを食べ始めた。まるで、新しい知識を貪るように、一口、また一口と、スプーンを口に運んでいる。
勢いに身を任せるようなその姿は、先ほどの堅苦しさとは打って変わって、とても無邪気に見えた。
「これは、素晴らしい発見です!
まさか、この喫茶店で、これほどまでに奥深い、新しい味覚に出会えるとは……」
書生さんは、皿を綺麗に平らげると、満足そうにため息をついた。その顔には、新しい世界を垣間見たかのような、清々しい表情が浮かんでいる。
「ありがとうございます。
気に入っていただけたようで、良かったです」
彼のグラスに新しくお冷を注ぎつつ、誠司さんが声をかけると、書生さんは深々と頭を下げた。
「ええ、まことに。この『カレー』というもの、大変興味深い存在です。この身が許すならば、研究してみたいほどに……」
書生さんの言葉に、誠司さんと私は思わず顔を見合わせた。どちらともなくクスッと笑ってしまった。彼にとって、カレーライスは、ただの食事ではなく、探求の対象になったようだ。
書生さんは、会計を済ませると、また分厚い本を抱え、満足げに店を出て行った。彼の背中からは、新しい発見の喜びと、知的好奇心に満ちた、瑞々しい空気が漂っていた。
ーーかろりん。
ドアベルが鳴り、書生さんの姿が見えなくなる。
流行のカレーライスが、新しい出会いを運び、書生さんの心に、新たな発見の喜びを灯した気がした。
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