幕間四話、店内での内心
俺は、カウンターの奥で珈琲豆を挽きながら、イオリの横顔を見ていた。彼女の笑顔は、この喫茶店そのものだ。
優しく、暖かく、どんな客の心も解きほぐしていく。そんな彼女の隣にいられることが、最近の俺にとっては何よりも大切な時間だった。
けれど、最近、その穏やかな日々に、静かな、しかし確かな波紋が広がりつつある。
ハーク。
褐色の肌のあの冒険者だ。
彼が店に現れるたびに、俺の胸の奥には、いつもと違う感情が湧き上がる。それは、警戒心にも似た、不快な感覚だった。
彼が無表情な顔の奥で何を考えているのか読めないから、余計にそう感じるのかもしれない。
「誠司さん、そのままサンドイッチもお願いしていい?」
イオリが、俺の顔を覗き込むように声をかけてきた。俺は、慌てて普段通りの笑顔を作る。
「もちろん。そっち手伝おうか?」
「今は大丈夫です。
あとで、力仕事お願いしますけど」
少しだけおどけた調子の彼女に俺は笑う。
「ご褒美はデートがいいなぁ」
俺は、そう答えて、意識的にハークの方へと視線を向けた。
彼は、いつも通り、壁際の席で静かに珈琲を飲んでいる。しかし、彼の瞳は、俺の視線に気づいたのか、一瞬だけ俺とイオリの間に向けられた。
その無表情の奥に、微かな挑戦的な光が宿ったように見えたのは、俺の気のせいだろうか。
「もう! 誠司さんってば」
そんな醜い争いを知らないイオリがぷいっと顔を背けるが、彼女は照れてくれているのもわかる。
それをいつものおふざけとして受け取られていることだけが残念だが。
先日、イオリが怪我をした。
ぶつけてアザが出来た、と言われたがあのアザは恐らく誰かに掴まれてできたものだ。
誰かに絡まれたことを隠しているのだろう。
隠されて正直ショックだった。
でもそれが、心配をかけたくないと思う彼女の優しさであることも、わかっていた。
だから目をつぶった。
迷子になったところを、通りすがりのハークが助けてくれたーー。そんな休日の雑談で、暴漢に絡まれたところをハークが救ったのだと推察できても。
俺が守れない時間、他の男が彼女を守っていた。その事実が、俺の心をざわつかせた。
「イオリ、痛むならまた手当し直すよ?
ーーお客様も、どうぞごゆっくり」
あからさまな牽制。
ハークは勿論、イオリも気づいただろう。
しかし、彼は気に留めない。
何より――イオリの怪我を見た時の、彼のあの言葉。
「手当は、私がすればよかった」
あの時の彼の声は、小さかった。
けれど、聞こえた。
低く、ぼそりとしていたが、声はイオリへの強い独占欲のようなものが滲んでいるように聞こえた。
そして、優しくイオリに触れる仕草。
イオリの手の傷をじっと見つめる彼の視線。
あれは、単なる気遣いではない。
俺の胸には、言いようのない焦燥感が募った。
「イオリは目立つ」
それはイオリがかわいいから?
それだけ?
彼がイオリの何を知っているのか、俺には分からない。けれど、イオリがこの世界では異邦人であるという秘密は、俺とイオリだけのもののはずだ。
彼がその秘密に、どこか触れているような気がして、俺の警戒心はますます高まっていった。
「お客様、本日の珈琲はいかがでしたでしょうか?」
「……悪くない」
会話を遮るような俺の言葉に気を害した様子もなく、ハークはこちらを見て言った。
目が合ったのは一瞬。
すでに珈琲を飲み干していたハークは静かに立ち上がっていた。会計を済ませ、イオリに一瞥をくれると、彼はいつものように、音もなく店を出て行った。
ーーかろりん。
呼鈴が鳴り、ハークの姿が見えなくなる。
彼女には、安心して過ごしてほしい。
そのためにも、俺が傍で支えたい。
彼が、イオリを見る時のあの静かな眼差し。あれが、俺の心をかき乱す。
イオリは、優しさ、温かさ、そして、人を惹きつける不思議な力のある魅力的な人だ。
多くの人が彼女に惹かれるのもわかる。
「ハークさん、そんなに悪い人じゃないと思いますよ?」
イオリの言葉が痛い。
そりゃあそうだ。彼女からすれば、恩人だし常連だ。それ以上の感情なんてないだろう。
それなのに、勝手に俺が敵意を向けてるのだ。
わかってる、わかってるけど。
「……警戒心の薄いイオリに言われてもなー」
笑顔が作れなくて、子どもっぽくなってしまう。
そっぽを向いた俺にはイオリの顔は見えない。
う、と唸る声が聞こえた。
大人げなく、小さなことに嫉妬してしまう自分をどうか許してくれないか。
君を他の男にとられたくないんだ。
「怒ってます?」
イオリが、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
俺は、大げさな仕草で肩をすくめる。
「これは今日のまかないを豪勢にしてもらわないと、腹の虫がおさまらないなぁ」
俺の言葉に、イオリは安心したように微笑んだ。その笑顔を見るたびに、俺の心は温かくなる。この笑顔を、何としてでも守りたい。
「超豪華にします!」
俺の不機嫌の理由を、きっと怪我のことだと思っているのだろう。
それでもいい。
今日、彼女の隣にいるのは俺なのだから。
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