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四十話、薄荷と桃のクリームソーダ

 



 磨き上げられた木のカウンターやテーブル、アンティークのようなデザインの魔具灯(ランプ)の優しい光が、店内に穏やかな温かみのある空間を演出している。


 その日の午後、店は珍しく静まり返っていた。


 たまたま他のお客様が途切れた時間。

 誠司さんも厨房の奥で作業中で、カウンターには私一人しかいない。そんな時、ドアベルが軽やかに鳴ったけれど、その音は、まるで水が弾けるように、どこか不思議な響きがあった。


 ーーかろん……。


 店に入ってきたのは、美しい女性だった。

 彼女の周りには、きらめく水滴が舞っているかのようで、ふわりと羽織ったきらびやかな羽衣は、本当に羽で織られているみたいに見えた。

 透き通るような肌は露に濡れていて、そこから放たれる輝きは、まるで光そのもの。

 あまりにも幻想的なその姿に、私は息を飲んだ。


 この人はきっと、妖精かなにかなのだ。そう直感した。



「いらっしゃいませ……」



 私が戸惑いながら声をかけると、彼女はふわりと微笑んだ。その笑顔は、花が咲くように可憐で、どこか人を惹きつける魅力がある。



「ふふ、この香りに誘われて来ちゃったの」



 彼女の声は、まるで清らかな水が流れるような、心地よい響きがあった。

 彼女は、ゆっくりと店内を見渡し、窓から差し込む光が一番よく当たる席を選んで座った。その姿は、まるで絵画のようだ。



「あの……お身体は、大丈夫ですか?

 少し濡れているようですが……」



 タオルをお持ちしましょうか、と尋ねると、彼女は少し驚いたような顔をしてから楽しそうに笑った。その笑い声も、まるで水がコロコロと転がるように軽やかだ。



「大丈夫よ。私は水の子だから。

 それより、あなたが作っている、あの甘やかな香りのする飲み物が欲しいわ」



 彼女が指差したのは、ちょうど私が試作していた、夏限定の新作ドリンクだった。


『桃月雪』を開発した時に、ふと思いついたものだ。桃月雪と同じようにフレッシュな生の桃と、桃のコンポートを使うことで味に深みを出している。



「かしこまりました。

 それでは、あちらの薄荷と桃のクリームソーダをご用意しますね。ひんやりと爽やかで、甘さの中にも清涼感がありますよ」



 私がそう告げると、彼女の瞳が、興味深そうに輝いた。

「雨薄荷」というハーブを使ったミントシロップはとても綺麗な薄荷色が出ていてお気に入りだ。



「まあ、素敵。それをお願いするわ」



 私は、すぐにクリームソーダの準備に取り掛かった。大きめのグラスにたっぷりの氷と、透き通るような薄荷色が美しい雨薄荷のシロップ、炭酸水『ひらりさいだぁ』をゆっくりと注ぐ。

 下は濃い薄荷色、上に行くにつれて色が薄くなった所に、桃のコンポートシロップを注ぐ。自然と、グラデーションができ上がる。


 最後に、あいすくりんをクネル型に盛り、生桃とコンポートをバランスよく乗せ、小さなミントの葉を飾った。


 やがて、涼しげな色が美しいクリームソーダが、彼女の前に運ばれた。グラスの中では、小さな泡がシュワシュワと音を立てて弾けている。



「まあ……これは、なんて幻想的なの……!」



 彼女は、グラスを見るなり、感嘆の声を漏らした。そして、優雅な手つきでスプーンを手に取り、一口、ゆっくりと口に運ぶ。


 その瞬間、彼女の顔に、うっとりとした表情が浮かんだ。



「……透き通る味わいね。まるで泡みたいに、このまま消えてしまいそう……」



 彼女の声は、儚げで、どこか寂しげに聞こえた。

 まるで、彼女自身が、いつか泡のように消えてしまう存在であるかのように。彼女は、薄荷と桃のクリームソーダをゆっくりと味わい、時折、窓の外の景色をぼんやりと眺めていた。

 その姿は、まるで、この現実の世界とは、少しだけ違う場所にいるかのよう。


 そして、突然のことだった。

 彼女は、クリームソーダを飲み干すと、ふわり、と席を立った。



「美味しかったわ。素敵な時間をありがとう」



 そう言って、にこやかに微笑むと、彼女の身体が、まるで水面に溶け込むように、ゆらりと揺らいだ。

 次の瞬間には、もうそこに彼女の姿はない。


 ただ、美しいガラスのグラスが残されているだけ。



「お客様!?」


「イオリ、どうしたの? 大丈夫?」


「あ、うん、ええと……」



 私が慌てて声を上げると、厨房にいた誠司さんがその大きな声に気づき、驚いたようにこちらを見にきた。どう説明したものか。

 彼女は、まさに水のように、気まぐれで自由奔放に、代金も払わず、突然姿を消してしまった。



 しかし、ふと気づくとグラスの隣には、小さな煌めく小瓶が一つ、置かれていた。それは、まるで星の輝きを凝縮したかのような、極光(オーロラ)の液体。小瓶をそっと開けてみると、瑞々しさを閉じ込めたような香りと、儚い甘さがした。


 それから、こういったものに詳しそうな冒険者の人達に相談して調べてもらったところ、この小瓶は『精霊の涙』という希少な品らしい。

 そしてその身体的特徴から彼女は、泉などに住む『水精族(ナーイアス)』という精霊族だろう、ということもわかった。



 彼女は気まぐれに純喫茶『星月』に現れるようになった。雨が降る前や、満月の夜、あるいは、誰もいない静かな時間帯に、ふらりと姿を見せては、私の作る甘いものや飲み物を楽しみ、そして、不思議な話を残していくのだ。


 遠い水辺の物語や、妖精たちの秘密、時には、未来を暗示するような、謎めいた言葉。

 そして、お会計の代わりに、いつも『精霊の涙』を置いていくのだった。


 彼女との出会いは、水音のように甘く、儚い妖精との出会いが紡ぐ、不思議な日々のはじまり。

 純喫茶『星月』に、より一層、神秘的で幻想的な彩りを与えてくれるのだったーー。



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