三十九話、『桃月雪』
先日、夏限定のかき氷を作ろうと佐吉さんに相談した時、彼は無愛想に「この氷に合う味を、お前さんが見つけてみろ」とだけ言った。
私はその言葉を胸に、抹茶蜜と粒餡、白玉を合わせた『翠風』を考案した。
その日、佐吉さんがいつものように氷を届けにやってきたところに誠司さんが声をかける。
無言で氷を運び終え、カウンターに腰を下ろした彼に、私は心を込めて作った「翠風」を差し出した。
「お待たせいたしました!
手削りかき氷『翠風』でございます!」
私が、佐吉さんの氷を丁寧に削り、その上に、抹茶蜜と粒餡、白玉を乗せたかき氷を、カウンターに置いた。
透明な氷が、抹茶の鮮やかな緑と粒餡と白玉のコントラストを引き立てている。見た目も涼やかで、どこか和の趣を感じさせる一品に仕上がった。
佐吉さんは、目の前のかき氷を、じっと見つめた。そして、無骨な手でスプーンを手に取ると、一口、ゆっくりと口に運んだ。
ーー彼の顔には、何の感情も浮かんでいない。
彼は、黙ってかき氷を全て食べ終えた。
私は、彼の反応を息を詰めて待っていた。何か言葉をくれるだろうか。気に入ってくれただろうか。
佐吉さんは、空になった器の横にスプーンを静かに置くと、ゆっくりと顔を上げた。
そして、鋭い眼差しで、私を真っ直ぐに見た。
「……中途半端だ」
佐吉さんの声は、低く、しかし、はっきりと響いた。
その言葉に、私の心臓がひゅっと冷えた。
どくりどくりと嫌な心音が聞こえてくる。
その言葉は期待していた言葉とは、あまりにもーーかけ離れていた。
「味も、見た目も、中途半端だ。
俺の氷を、もっと活かせるはずだ」
そう言い残すと、佐吉さんはそれ以上何も言わず、静かに店を出て行った。
その背中からは、彼が抱く氷職人としての、揺るぎない誇りと、頑固なまでのこだわりが、ひしひしと伝わってきた。
ーーかろりん。
いつものように呼鈴が鳴り、佐吉さんの姿が見えなくなる。
店内に、重い沈黙が満ちた。
私の胸には、彼の言葉が深く突き刺さった。
中途半端。
その言葉は、私に、職人としての甘さを突きつけられたようだった。
佐吉さんの氷を、私はまだ、本当に理解できていなかったのだ。
「イオリ、大丈夫?」
誠司さんが心配そうに声をかけてくれたけれど、私はただ、固く唇を噛み締めることしかできなかった。
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私は、ある決意を胸に、ボルトさんの工房を訪ねていた。工房の中は、金属を叩く音や、機械の油の匂いが充満している。
「ボルトさん! お願いがあります!」
私が声をかけると、ボルトさんは、小さな部品を手に、睨むような目で私を見た。
「なんだ、イオリ。
こんなとこまで、わざわざ何の用だ」
鬱陶しい、といった様子のボルトさん。
だが彼が耳を傾けてくれていることに気づかない自分ではない。
私は、佐吉さんから言われた言葉と、私が求めるかき氷の理想を、彼に懸命に伝えた。
「佐吉さんの氷は、本当に素晴らしいんです。
でも、今ある削り機では、その美しさや繊細さを、最大限に引き出せない。もっと、薄く、もっと、きめ細やかに削りたいんです!
この氷の質を、これ以上ないほど活かせるような、新しいかき氷機を、ボルトさんに開発してほしいんです!」
私の熱意に、ボルトさんの鋭い眼光が、揺らいだ気がした。
腕を組み、私の言葉をじっと聞いていた。
その彼の表情は相変わらず偉そうだが、その瞳の奥には、挑戦への意欲が宿っているのが分かった。
「フン。面白いことを言う女だ。
氷の質を活かす、か。
………いいだろう。俺の腕が鳴るぜ」
ボルトさんは、そう言って、ニヤリと笑った。
彼の言葉は、相変わらずだけど、彼の腕前は確かだ。私は、彼の言葉に、一筋の光を見出したような気がした。
そこからの数日間、ボルトさんの工房には、夜遅くまで金属を削る音や、機械が動く音が響き渡っていたのだろう。
ーーそして、ついに、彼は新しいかき氷機を完成させたのだ。
それは、金属の塊のようでいて、至る所に彼のこだわりが入っているのが窺えた。
精巧で、美しい輝きを放っている。
「フン!どうだ、イオリ。
この俺が、お前らのために、特別に開発してやった代物だ。二重冷却機能を搭載し、氷を削る刃の角度も、極限まで調整した。
これなら、氷の表面が溶けることなく、雪のように美しく、きめ細やかに削れるはずだ」
ボルトさんは、そう言って、自信満々に胸を張った。
彼の言葉通り、このかき氷機は、まるで魔法のように、佐吉さんの氷を、これまで見たこともないほど、繊細で美しい雪へと変えることができたのだ。
そして、再び、佐吉さんがお店にやってきた日。
私は、新しいかき氷機で、心を込めて作った新作を、彼の前に差し出した。
「佐吉さん。和三盆と桃の雪かき氷『桃月雪』です。
技工士のボルトさんにーー佐吉さんの氷を最大限に活かせるように、新しいかき氷機を開発していただきました」
私がそう言うと、佐吉さんは、目の前のかき氷を、じっと見つめた。
見た目も味も半端だ、そう言われた私は宇治金時案を捨てた。
桃月雪。
その名の通り、淡い桃色の蜜が、雪のように白い氷の上に優しくかかり、和三盆の繊細な香りが、ふわりと立ち上る。その見た目は、まるで、夏の夜空に浮かぶ、美しい月明かりのようだった。
佐吉さんは、無骨な手でスプーンを手に取った。
そして、そっと、雪のように削られた氷を掬い上げ、ゆっくりと口に運んだ。その瞬間、店内に、「シャリ…」と、これまでのかき氷とは違う、澄んだ、心地よい音が響いた。
彼は、目を閉じ、その音に、そして、口の中に広がる繊細な氷の感触に、じっと耳を傾けているようだった。
そして、ゆっくりと目を開けると、佐吉さんは、私を真っ直ぐに見つめた。彼の無表情な顔に、ほんの微かな、しかし確かな満足の表情が浮かび上がった。
「これは……音がいい」
佐吉さんが、そう小さく呟いた。
彼の言葉は、いつもと変わらぬ無愛想な響きの中に、確かな納得と、そして、彼なりの最高の褒め言葉が込められているのが分かった。
氷の音。
それは、氷職人である彼にとって、何よりも雄弁に、その品質を物語るものなのだろう。
私は、彼の言葉に、心から安堵し、そして、喜びが込み上げてきた。ボルトさんの技術と、佐吉さんの氷へのこだわり。
二人の匠の技が、喫茶『星月』で、新しい輝きを放った瞬間だった。
「このかき氷機なら、この間の『翠風』も悪くねえはずだ」
どうやら、佐吉さんは抹茶味のほうが好みらしい。
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