三十八話、抹茶と餡子のかき氷『翠風』
ーーかろりん。
涼やかに呼鈴が鳴る。
外から入ってくる空気は蒸し暑い。
梅雨はまだ明けないが、古都街ビンティークにも夏が近づいていた。
自然と人々は涼しさや冷たさを求める。
うちには冷珈琲やアイスティーだけでなく、ミルクセーキやクリームソーダなど、冷たい飲み物が多い。
そんな暑い日に、純喫茶『星月』のグラスでキラキラと輝く氷は、お客様に涼やかな安らぎを与えてくれる。
この、溶けにくく、透き通るように美しい氷は、すべて、街で氷屋を営む佐吉さんの手によるものだ。
「氷の彫刻とか作れそうよね……」
パティシエの世界大会にはそんな種目もあるそうな。
空気が入る=密度が低いということなので、彫刻などには不純物の少ない質のいい氷が必要なのだとか。
ーー不純物の少ない氷は透明度が高い。
佐吉さんは、いつも無口で、感情を表に出すことはほとんどない。見た目も、少し痩せた体つきに、職人らしいゴツゴツした手をしている。
その手から生み出される氷は、まるで芸術品のように美しい。
私は、裏口側から店の外へ出た。
朝の日差しが眩しく、前日の雨で濡れた石畳は酷く眩しい。
つるりと、足が滑った。
その眩しさに目が眩んだのだろうか。
「あっ」
と小さく声を上げた、その時だった。
スッと、私の目の前に、ごつごつとした手が差し出された。倒れかけた私の体が支えられる。
顔を上げると、そこにいたのは、大きな氷の塊を抱えた佐吉さんだった。
彼は、いつものように無表情で、私の顔をじっと見つめている。配達の途中だろう。
「あ、佐吉さん、すみません、ありがとうございます……!」
私が慌ててお礼を言うと、佐吉さんは、小さく頷いただけだった。そして、すぐに大きな氷の塊を店内にある魔具氷室へと運び入れていく。
彼の周りには、ひんやりとした冷気が漂っていて、まるで彼自身が氷でできているかのようだ。
誠司さんが、佐吉さんに気づいて声をかけた。
好青年らしい笑顔だが、心なしか薄茶の髪は湿っているように見えた。
うっすら汗をかいているらしい。
「佐吉さん、いつもありがとうございます。
この氷がなければ、夏は越せませんよ」
お店をオープンする前からの付き合いで、誠司さんと佐吉さんは旧知の仲だと聞いている。誠司さんの言葉に、佐吉さんはちらりと視線を向けたが、何も言わない。
氷を運び終えると、軽く会釈し、店を出て行こうとした。
「佐吉さん!
実は、夏限定で、手削りのかき氷を作ろうと思っているんです。佐吉さんの氷で、かき氷を……!」
佐吉さんの足がぴたりと止まった。
彼は、ゆっくりとこちらを振り返る。
その無表情の奥に、何かを測るような、鋭い光が宿っているように見えた。
「……かき氷、か」
佐吉さんが、ぽつりと呟いた。
彼の声は、低く、どこか思案するような響きがある。そして、彼は、少しだけ考え込むような素振りを見せた後、無愛想に、しかし、はっきりと告げた。
「この氷は、純粋な氷だ。
だから、この氷に合う味を、お前さんが見つけてみろ」
彼の言葉は、私への挑戦状ですらあった。
純粋な氷だからこそ、合わせる味によって、その本質が試される。
佐吉さんの、氷に対する深いこだわりが伝わってくる。
「純粋な氷……」
誠司さんも、そんな佐吉さんの言葉に思うところがあるのか、思案げな顔をしている。
彼は、佐吉さんの言葉の裏に込められた、職人としての真摯な思いを感じ取っているようだった。
それから、私は毎日試作を重ねた。
純粋な氷に合う、最高の味。
定番の苺、先日の杏、みぞれ、金時、甘みのある果物、檸檬の酸味、珈琲の苦み。紅茶やお酒ーー様々なものを試したけれど、どれも今ひとつ、佐吉さんの氷が持つ透明感と涼やかさを引き出しきれない。
そして、やっと納得がいくものができた。
日本の夏に馴染み深い、お茶の味。
「抹茶は駄目だったんじゃなかった?」
「そうなんです。
そのままだと、抹茶の僅かな苦味が氷の邪魔をしてしまって……」
抹茶と餡子ーーいわゆる宇治金時は、もちろん試したのだ。
試作品は、絶品だった。
絶品だったが、氷を活かしているかといえば否だった。
「でもやっぱり、素材は引き立て合うのが一番だと思うんです」
メインが氷だとしても。
シロップの味が氷に負けている方がいいという意味ではないのだ。
「ほどよい苦味も魅力ですが、今回は抑えます」
ベースから手順を変えよう。
花蜜を加熱し、よく練ったら、水でシロップ状になるまで伸ばす。
そして、前回はここで加えたがーー
今回は一度しっかり粗熱をとった。
お茶の苦味は何種類かあるのだが、有名なカテキンは熱で苦味が出るので、苦味を抑えたいときは温度低めのお湯で淹れるのがいいのだ。
ゆえに、抹茶に熱を加えない。
白あんに抹茶を練り、濃い抹茶餡をつくる。
そしてそれを先程の花蜜に入れて抹茶蜜にする。
「白あんはなんで入れるの?」
「抹茶は、苦味もあるけど本来旨味が強いんです。
だからこそ、苦味を気にして使う量を減らすと、旨味も減ってしまうんですよね」
誠司さんはなるほど、と頷く。
旨味が減ったことで、苦味が強調されれば本末転倒なのだ。
そして、白あんの最大の魅力は、その上品でクセのない甘さだ。餡子ほど小豆の風味を強く主張しないため、抹茶の繊細な香りと旨味を損なわず、むしろ際立たせることができるはず。
「前回、舌触りが気になったの覚えてます?」
「うん、なんか氷が溶けた後にざらついたよね」
「抹茶を蜜に溶いただけだと、粉っぽさが嫌な感じに目立ってしまったんですが、白あんの滑らかな口溶けが花蜜と抹茶をつなぐ役割をしてくれることで一体感のある仕上がりになると思います」
加熱せず、雑味が出ないように丁寧に練り上げた抹茶蜜。
粒餡ともちもちとした白玉を端に添える。
「んっ!!」
試食した誠司さんの顔は、結果を雄弁に物語っていた。
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「お待たせいたしました!
手削りかき氷『翠風』でございます!」
宇治金時ーーと呼ぶのは諸事情でやめておいた。
私が、佐吉さんの氷を丁寧に削り、その上に、抹茶蜜と粒餡、白玉を乗せたかき氷を、カウンターに置いた。
透明な氷が、抹茶の鮮やかな緑と粒餡と白玉のコントラストを引き立てている。見た目も涼やかで、どこか和の趣を感じさせる一品に仕上がった。
佐吉さんは、目の前のかき氷を、じっと見つめた。そして、無骨な手でスプーンを手に取ると、一口、ゆっくりと口に運んだ。
ーー彼の顔には、何の感情も浮かんでいない。
恐怖なのか、嫌な予感がするのか。
私はじんわりと背中に冷や汗が流れるのを感じていた。
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