三十七話、笑顔豚のトンテキ
ここはとある異世界。
現代日本で産まれた私ーー佐藤伊織は、ある日突然気づいたら獣耳や魔法使いや冒険者のいるRPG系ファンタジーと大正浪漫が混じりあった世界に迷い込んでいた。
古都街ビンティーク。
旧帝国の文化が色濃く残る街だが、近年、街の近くにできた迷宮の影響で、人気が出ている。
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冒険者である蜥蜴人族ダイガさんが喫茶『星月』に足繁く通うようになって、しばらくの月日が流れた。
最初は警戒心むき出しで、ぶっきらぼうだった彼も、今ではすっかり店の風景に溶け込んでいる。
相変わらず口数は少ない。
だが、ダイガさんが冷珈琲とクッキーを頬張る姿は、私たちにとってすっかり日常の一部となっていた。
スパイスの効いたものや、ナッツの入った食べ応えのあるものが好みらしく、美味しいと尻尾がゆるりと動く。
ある日のこと。
カンナさんが、いつものように豪快な笑い声と共に店に入ってきた。
「よぉ、マスター、誠司!
なんかお任せで頼んでいいか? 腹減ってんだ」
よく響くカンナさんの声。
ダイガさんの肩がピクリと反応する。
彼の肌の鱗が、熱を帯びる。
カンナさんがこちらに向かってくる間、ダイガさんは、まるで体が固まったかのように微動だにしない。
「おう、ダイガ! 今日も来てたのか!」
カンナさんがダイガさんに気づく。
軽い足取りで近寄ると、挨拶代わりに彼の肩を軽く叩いた。ダイガさんは、ビクッと体を震わせ、小さく唸った。
その様子は、いつもの強面な冒険者らしいダイガさんとはまるで別人だ。
「……た、たまたま、通りかかっただけだ」
明らかに動揺しているダイガさん。
私は思わずクスリと笑みをこぼしてしまった。誠司さんも、口元に微かな笑みを浮かべている。
カンナさんは、そんなダイガさんの反応を気にする様子もなく「なんだよ、ツレないな!」と笑いながら、いつものカウンター席に座った。
「それじゃあ『笑顔豚』のーー」
「お! カツレツか!? アレもいいな!」
「ふふ。それも素敵ですが。
ーー今日は『笑顔豚のトンテキ』なんていかがですか?」
カンナさんが獣の瞳孔をきらりと輝かせる。
「トンテキ!? また新しい料理か!」
「トンテキは豚のステーキですよ」
おう、頼むわ!
と笑うカンナさん。彼女のために、しっかりと大盛りにするのも忘れない。
ダイガさんは、その後も、時折カンナさんにちらりと視線を向けながら、珈琲とクッキーを口に運んでいた。
その瞳には、以前のような警戒心はほとんどなく、代わりに、親愛の情と、少しばかりの戸惑いが混じり合っているように見えた。
彼はもう、誠司さんを敵視していない。
むしろ、カンナさんが誠司さんと談笑しているのを見て、羨ましそうな、けれど温かい視線を送っているようにさえ見える。
「んじゃあな! また来るぜ!」
ダイガさんは、カンナさんが店を出るまで声をかけなかった。
彼女が去っていくのを、静かに見送っただけ。
その表情は、以前のような切なさだけではなく、どこか穏やかさも帯びていた。
ダイガさんは小さく息を吐く。
そして、空になったカップを手に、ふと私に問いかけた。
「……お前は、この店に来る奴らの、いろんな話を聞いてるんだろう」
そのぶっきらぼうな口調は変わらないけれど、彼の声には、以前よりも深い信頼が込められているように感じられた。
「ええ、それは、まあ……」
ダイガさんは、少しだけ顔を上げて、窓の外を見つめた。
カンナさんが去っていった方向だろう。
「……あいつは、いつも豪快で、誰かのために危険な場所に飛び込んでいく。見ていて……目が離せない」
仕事姿を思い出しているのだろうか。
ダイガさんの大きな瞳はこちらを見ていない。
それでも、カンナさんへの深い敬意と、守りたいという強い想いが宿っているのが分かった。
「……俺は、無愛想だし、気も利かない。
あいつみたいにうまくやれない。
だが、あいつが笑って、いつも通りギルドで騒いでくれるなら……それで、いい」
その言葉は、率直な想いだった。
以前の彼は、カンナさんに惹かれているからこそ彼女の周囲に嫉妬していたのだろう。
けれど今は、彼女の幸せを願い、そのために自分ができること、そしてできないことを、静かに受け入れているように見えた。
それは、きっと、奥ゆかしい愛の形。
カウンター越しに彼の瑠璃色の瞳が、温かくダイガさんを見守っていた。
誠司さんは何も言わないのだろう。
「ダイガさん。
それがあなたの、カンナさんへの愛なんですね」
ぽろりと、私の口からそう零れた。
ダイガさんは、ハッとしたようにこちらを見た。
彼の顔が、ほんの少しだけ赤く染まる。
「……そ、そんなんじゃない! ただ……」
彼は、慌てて否定しようとしたけれど、その言葉は途中で途切れた。
迷うような仕草で。
けれどその大きな口は力無く閉じられてしまう。
「ダイガさん。
この店は、いつでも、あなたを、あなたの気持ちを、受け入れますから」
無理に言葉にしなくても、いいんです。
私がそう言うと、ダイガさんは、深々と息を吐いた。そして、無言で、しかし、ゆっくりと頷いた。
彼の表情は、以前よりもずっと穏やかで、そして、どこか吹っ切れたような、清々しささえ感じられた。
静かに、ダイガさんは店を出て行った。その背中は、以前の警戒心や嫉妬の色はなく、ただ、大切な人を見守る、一途な愛情に満ちているようだった。
ダイガさんの、ぶっきらぼうで不器用だけれど、温かい愛情が、この喫茶店に、また一つ、優しい光を灯してくれた気がした。
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