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三十五話、技工士とカプチーノ風

 



 ここは異世界。

 ある日突然、迷い込んでしまっていた。


 大正ロマンや昭和レトロ、そんな言葉が似合いそうな街並みには、私が生きてきた世界との大きな違いがあった。



 それは甲冑や皮の鎧を身につけた『冒険者』と呼ばれる人々や、獣の耳や尻尾、表皮をもつ『獣人』と呼ばれる人達である。


 魔法使いがいたり、迷宮とよばれるダンジョンがあったり。


 不思議で賑やかな異世界は今日も面白い。

 本日も純喫茶『星月』開店です。




 ━━━━━━━━━━★




 今日の喫茶『星月』は、穏やかな賑わいに包まれていた。


 誠司さんはいつものように接客に励んでいる。

 女の子たちが黄色い声をあげ、楽しそうに雑談している。


 かろりん、と呼鈴(ドアベル)が勢いよく鳴り響いた。



「おい、イオリ! セージ! いるか!?」



 低く、しかし、やけに響く声が店内に届く。

 店に入ってきたのは、小柄で、作業着を着た、白髪の老人だった。


 痩せているが、射抜くような鋭い眼光だ。

 彼の周りには、機械油と金属の、どこか武骨な匂いがする。

 彼はこの街でも指折りの技工士、ボルトさん。


 彼の腕は確かだと聞くけれど、誰に対しても偉そうで、よく揉めているという噂も耳にする。



「ボルトさん、いらっしゃいませ」



 私が声をかけると、ボルトさんは、まるで自分の工房にでもいるかのように、躊躇なくカウンターの前にやってきた。


 そして、ドン、と音を立てて、彼が手にしていた奇妙な金属製の筒をカウンターに置いた。


 それは、棒の先にらせん状の羽がついていて、持ち手には小さな機械が組み込まれている。

 現代のハンドブレンダーに似ている形だ。



「フン。お前ら、いまだに手で泡立ててんのか?

 まったく、非効率極まりねぇな」



 ボルトさんは、そう言って、私たちが普段使っている手動の泡立て器を、鼻で笑うように一瞥した。



「これを見ろ。俺が作った、動力付きの泡立て器だ。

 これを使えば、誰でも簡単に、ふわふわの泡が作れる」



 彼は、自慢げにそう言い放った。

 その表情には、自分が最高の技工士だと信じている、揺るぎない自信が満ちている。


 接客から戻ってきた誠司さんが、その道具をじっと見つめた。彼の翡翠色の瞳が、その精巧な構造に興味を抱いているのが分かる。



「これは……素晴らしいですね、ボルトさん。

 細部まで精巧に作られています。この動力の部分は……」



 誠司さんが、持ち手の部分を指差すと、ボルトさんは、フン、と鼻を鳴らした。



「ああ、動力か。

 動力は魔具師に頼んだ。構造は俺だが、動力だけは魔石の力を借りた。とはいえ、その魔石を動かすための仕掛けは、俺が考案したものだ。

 そこらの魔具師じゃ、こんな緻密なものは作れねぇ」



 ボルトさんの言葉は、相変わらずで、他の職人への辛辣な評価も含まれている。でも、彼が誇らしげに語る言葉の端々から、彼の技術への深い愛情と、飽くなき探求心を感じることができた。


 魔具師については、魔具を作る人ーーくらいの認識しかない私だが、技工士であるボルトさんとは関わりが深いのだろう。


 お互いの領域を尊重しつつも、時に協力し、時には競い合う。彼が作り出したこの泡立て器は、まさにその境界線にあった。



「ボルトさん、凄いものを開発したんですね!

 私たちも、ぜひ使ってみたいです!」



 手渡されたその泡立て器はずっしりと重く、しかし、手のひらに吸い付くように馴染む。


 冷たい金属の感触が、彼の情熱を伝えているかのようだった。



「試してみる?」


「そうですね」



 誠司さんの言葉に頷き、私は卵白のボウルと、牛乳の入ったボウルを用意した。

 ボルトさんは、そんな私たちの様子を、腕を組みながら、やや不機嫌そうに見守っている。


 私が、その泡立て器のスイッチを入れると、小さな魔石が光を放ち、先端の羽が高速で回転し始めた。


 まず、卵白のボウルに入れると、みるみるうちに、ふわふわのメレンゲができあがっていく。牛乳は沸騰しない程度に温めてから泡立てるとあっという間にきめ細やかな泡が立ち上がった。



「わあ、すごい!

 あっという間にふわふわになりましたね」



 ボルトさんの眉がわずかに、ぴくりと動いた。

 彼の口元が、ほんの少しだけ緩んでいるように見えたのは、私の気のせいではないだろう。



「フン…まぁ、こんなもんか。

 どうだ、手で泡立てるよりは、マシだろう」



 ボルトさんは、そう言って、そっぽを向いたけれど、その声には、どこか満足げだ。

 彼が作った道具が、この喫茶店で、こんなにも喜ばれることに彼自身も少し驚いているようだった。


 誠司さんも、その泡立て器の性能に感心したようで、目を細めている。



「これは、本当に素晴らしい道具ですね」



 誠司さんの言葉に、ボルトさんは、再びフンと鼻を鳴らした。



「当たり前だ。俺の技術は、そんなもんじゃねぇ。もっと色々なもんが作れるんだからな」



 そう言いながらも、ボルトさんの表情には、微かな誇らしげな色が浮かんでいた。

 現代のように、数段階の強弱をつけれるようにしてくれと言ったらつけてくれるだろうか。


 そんなことを考えてしまう私はちょっと意地悪かもしれない。



「ボルトさん、この泡立て器をつかって今出来たこの牛乳(ミルク)を入れた、新しいドリンクはいかがですか?」


「おう」



 返事を聞き、私は珈琲を淹れる準備をする。

 いつもより珈琲の粉を多くして濃いめに淹れる。

 本来ならスチーミングした牛乳(ミルク)をいれるが、今回は泡立てたフォームドミルクを使用する。


 珈琲にフォームドミルクを注ぐ。

 最初はカップを斜めにして。徐々に水平にする。



「ーーお待たせしました。星空珈琲カプチーノ風です」



 今日もまた、純喫茶『星月』には、新しい物語が生まれていく。

 頑固な技工士が、その腕前を駆使して生み出した新しい道具が、この喫茶店に、新しい可能性をもたらしてくれるのだった。




お読み頂きありがとうございました!

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続きや続編製作の活力となります!


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