二十九話、梅雨の過ごし方
ーーかろりん。
控えめに呼鈴が鳴る。
外はしとしとと雨が降り注ぎ、ひんやりとした空気が店内にはいってくる。
「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」
白瀬・アリオルト・誠司。店員である彼の穏やかな声が、純喫茶『星月』に響く。
大正ロマンを思わせるレトロな雰囲気のある店内は同じくアンティーク調の光源でゆるやかに照らされている。魔力で動く道具ーー『魔具』として一般的に使用されている魔具灯だ。
その日、抹茶オレを飲みながらカウンターに座っていたのは、図書館司書のアイリスさんだった。白を基調とした清潔感のある制服姿は、いつも通り。
きょろりと店内を見回す藤色の瞳は、今日は少し考え込んでいるように見える。
「伊織さん、誠司さん。
少し、お話してもいいでしょうか?」
アイリスさんが、抹茶オレのカップをそっと置き、こちらに顔を向けた。
「もちろんですよ、アイリスさん。何かお困りですか?」
私が尋ねると、アイリスさんは小さくため息をついた。
「実は、図書館の利用者がなかなか増えなくて……。もっと本を身近に感じてもらいたいのですが、何か良い方法はないかと、ずっと考えているんです」
アイリスさんの言葉に、私と誠司さんは顔を見合わせた。本を身近に、か……。
「うーん……たしかに、図書館って、ちょっと敷居が高いと感じる人もいるかもしれませんね」
誠司さんがそう呟いた。
この古都街ビンティークは、昔ながらの雰囲気も強く残っているから、図書館も堅苦しいイメージがあるのかもしれない。
「全員が全員、共用語や旧帝国語を読めるわけでもないですものね」
この星月喫茶店に『共用語』の注文表と『旧帝国語』の注文表があるように。
私の言葉にアイリスさんは頷く。
「はい、お互いに無意識に避けがちといいますか……冒険者さんなんかはわりと皆様柔軟な思考をお持ちの方が多いのですが……」
「彼らは新しいもの好きが多いですし、環境への適応力も求められる 職業でしょうからね」
誠司さんの言葉は、裏返して、彼がいた軍はそうではないと言っているようだった。
……真実はわからないけれど。
「そうなんです。
もっと気軽に、本に触れてもらえる機会があればと……」
アイリスさんの寂しそうな表情を見て、私は何かできないかと考え始めた。外に目をやれば、しとしととした雨が降り、薄暗い。
ちょうど今は梅雨の時期で、雨が続くとお客様の足も遠のきがちだ。何か、この時期ならではの、楽しいイベントができないだろうか?
現代日本にいた頃のことを思い出してみる。
本、梅雨、室内でできるイベント……ただ本を薦めたりするんじゃなく、文字が読めなくても楽しめるような……。
「……そうだ。
アイリスさん、良いことを思いついたかもしれません」
「えっ、本当ですか?」
「実は、喫茶店も梅雨の時期は客足が減ってしまって、何か工夫できないかと考えていたところなんです。
そこで……『読み聞かせと新作メニュー試食会』なんて、どうでしょう?」
私がそう提案すると、アイリスさんの目が大きく見開かれた。ぱしぱしと瞬く藤色の瞳は、まだピンときてはいないようだ。
「読み聞かせ…と、試食会、ですか?」
「はい。星月で、アイリスさんに絵本や物語の読み聞かせをしていただくんです。
それなら識字率は関係ありません。
大人も子どもも、旧帝国語しかわからない方も、みんなお話を楽しめるでしょう?」
「それは、たしかに……」
「その間、お客様には私たちの新作メニューを試食してもらって、雨の日でも喫茶店で充実した時間を過ごしてもらう。
そしたら読み聞かせを通して、本や図書館に興味を持ってもらうきっかけになると思いませんか?」
誠司さんも、私のアイデアにすぐに乗ってくれた。
「いいかも。いつもの美味しい食事も楽しめる他に、物語の読み聞かせが聴けるなら普段よりお得感があって、雨の日でも外に出る気になるかもしれない」
「そうでしょう?
そして、代金は、アンケート用紙に感想を書いてもらえれば、無料にするんです。
読み聞かせの感想や、新作メニューの感想を、簡単にでいいので記入してもらうようにすれば、改善点も探しやすいですし。
図書館の宣伝も、読み聞かせの最初と最後に入れていただいて、本に興味を持った方が、図書館に足を向けやすいようにするんです」
アイリスさんは、じっと私の話を聞いていたが、私の言葉を聞くにつれその藤色の瞳はきらきらと輝いた。
「それは……素晴らしい案です!
しかも、場所の提供までしてくださるなんて……。ありがとうございます、伊織さん、誠司さん!」
アイリスさんは、深々と頭を下げてくれた。
「いいえ、こちらこそ、ありがとうございます!
アイリスさんの読み聞かせ、個人的に私と誠司さんも楽しみにさせていただきますね」
それから私たちは早速、打ち合わせを行い、すぐにイベントの告知をすることにした。
常連のお客様や、ご近所さんをメインに、予約制で人数を絞って開催することに決まった。
告知用の小さなポスターを店内に貼り、来店したお客様には直接声をかけて予約を受け付ける。
雨が続く毎日の中、このイベントが、少しでも人々の心を明るく照らすことを願って。
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